様々な人、時の移ろい

冷たい雨が上がって、随分暖かくなった。雨の後冷え込む冬のサイクルとは逆だ。昨日は二十四節気の雨水。雪が雨に変わる頃だ。既に次の雨が近づいている。今度の雨は春を運ぶ雨になる。
▼年度末工事に加え、来季の予算取りの見積が重なり、昼も夜もないハードワークが続く。でも僕がフォローしている中央官庁に出向中の地方公務員らしき女子ブロガーに比べれば足元にも及ばない。なんせ彼女の帰宅は早くて終電、たいてい丑三つ時、徹夜もめずらしくないという凄まじさだ。土日は疲れて寝ているかと思いきや、東京ライフを満喫している。ホントに女性は人生に貪欲だよ。
▼そんな生活だからブログも変則的。2週間も更新がなかったと思うと、日曜に過去の日付に遡って一挙に何日分もアップされたりする。さもありなん。連日午前様では平日に更新する余裕はないだろう。とかく九時五時昼寝つき税金ドロボーと揶揄されることの多い公務員だが、彼女の場合むしろ官僚に近い。公務員もピンキリだ。てか公務員に限らずどの業界も、エリートかその他大勢かの二極化が進む。進むというか元に戻っている。
▼ドロボーといえば、先日会社の古株の人がスポットで現場にきた後に、役に立ちそうな高価な工具が根こそぎなくなっていた。僕にはどれが役に立ってどれが高価かなんてことはよくわからない。仲のいい下請の人がご注進してくれたのだ。解体撤去の現場で残っているものは全て廃棄処分とはいえ、客先に一言断るのが礼儀だろう。
▼下請の人が言うには「ドロボーはどこに何があるかみんなわかる」そうだ。それは「どこに行ってもまず一番に金目のものを探して目を光らせている」からで、「ドロボーは生まれついてのドロボーで年をとったからといって治るもんじゃない」らしい。その人は若い頃は何度も現場のスクラップを売り払って着服し、今度やったらクビと釘をさされているが、人が変わるわけではないので別の形で顕れるわけだ。
▼この業界にいながら工具の価値もわからない僕も僕だが、それ以前にどこに何があるかまるで気づかないタイプであることは間違いない。なぜなら自分のものじゃないものに手を出すなんて思いもよらないからだ。だが自分がそうだから他の人もそうかと思ったらそうでもないようだ。僕が生まれついてのドロボーじゃないことは確かだ。じゃあ何か。人生は自分が何者か自覚するところから始まるが、たいていの人は終わる頃に気づく。僕もそのクチだ。
▼先日も気分転換にひとり夜中にネットサーフしていると、思わぬ情報に出くわした。昨秋上京した際、四半世紀ぶりにわが青春の喜久井町界隈を歩いたことは書いた。学生〜エロ本編集者時代併せて八年間通った銭湯は駐車場になり、定食屋は更地になっていたが、なんとなくネットに店名を入れて検索してみた。案の定食べログでは「再開情報がない」と書かれていた。しかし食レポの最終日付は14年3月になっている。つまり春までは営業していたのだ。上の子の入学式の際に訪ねていれば、あるいは間に合ったかもしれない。
▼向かいの印刷所はまだ動いていた。その印刷所で働いていたトクサンの他に、ストーンズファン、イボガエル、UFO党党首らが当時の常連だった。みんな同時に銭湯の常連でもあったが、食べるところとお風呂を同時に奪われた彼らは今どうしているのだろう。彼らに混じって僕とてっちゃんもそこにいた。バイトの帰りに二人で立寄ると、彼は壁に下がったメニューの札とにらめっこして、さんざん迷った挙句、結局「牛の生姜焼きに卵つけてご飯大盛で」と言うのが常だった。
▼そのあと同じ動機で、地元のバーを検索してみた。マスターがひとりでやってるカウンターだけの小さなバーだ。三十代の頃は、まだ女の子がいるお店の方がよかったので、常連というほど通ったわけではないが、地元で一番気に入っていたお店であることは確かだ。こちらに越してからは、年に一度正月に帰省するだけなので、自然と足が遠のいていた。
▼マスターは亡くなっていた。昨秋のことだ。おとなしくてシャイだが、それでいて人懐っこい人柄が忍ばれる。正面に対峙しているはずなのに、今にも後ろを向きそうな逃げ腰な雰囲気が、常に半身のような印象を与える。そんな人だった。
▼塾の講師をしていた頃、ある講師が「高校の先輩がやっているお店」と紹介してくれてからのことだ。当時はまだ別の場所で自分の名前を屋号にしていた。僕が結婚して塾をやめ、彼が念願かなって大好きなジョン・レノンにちなんだ新しい店を構えてからも、完全に切れてしまうことはなく、時折思い出したように店を訪ねた。
▼妻を連れていくと「今日は結婚記念日かなにかで…」と恐る恐るきいた。村上春樹が好きだと言うので持論を話すと、「実は最近のは読んでなくて…」と肩透しをくった。引っ越す前に寄ると、「ほんとに来れなくなっちゃうんですね」と言った。五年ほど前たまたま帰省した際、帰国中の親友と行ったのが最後になった。地元の進学校出身だということで「じゃあ二人とも主流派じゃない方だ。僕もそうです」と言った。
▼マスターが僕に向かって話かけてくれたそれら全てのセリフが今、その時の仕草や表情とともにまざまざと思い出される。もう一度お店に行ってお会いしたかった。


僕はいつも思い立つのが遅すぎる。時の流れに追いついていない。腰が重い悪癖のせいで、僕の人生は手遅れの積み重ねになってしまった。ご冥福をお祈りしたい。