哀愁のオイコノミア

春爛漫の陽気に桜もほころび始めた。毎年桜を見るとホッとする。ホッとするだけで、ゆっくり愛でるまでいかないのが歯がゆい。今週は花冷えの予報だ。どうりで風が強い。でも日中は春の陽気だ。陽が落ちるとさすがに寒くなる。というかメチャクチャ寒い。花冷えという言葉は夜に実感するものだと思う。
▼両親からの入学祝いで、妻が下の子に通学用の自転車を買ってあげた。かなり、というかびっくりするほど高価なものだ。これが高校生の通学用のスタンダードな車種らしい。志望校に受かり、みんなと同じ自転車を手に入れて、下の子は今、精神的にかなり安定している。上の子の時は最安値の自転車を、壊れると仕方なく買い替えていた。下の子ならとうてい納得しなかっただろう。上の子は物事に頓着がない方だが、あまりいい想いをさせてあげられなかったのを、こちらが勝手にそう思い込んでいるだけかもしれない。
▼わずか3、4年の違いで人生は大きく変わる。バブル世代と就職氷河期世代では、年齢的には地続きのはずだが、世の中はまるで違って見えるだろう。従ってその人生観は全く別のものだ。景気が微妙に影を落とすどころの話ではない。うちの経済状況がようやく好転してきたのも、ほんのここ1、2年のことだ。上の子には、知らず知らずのうちにガマンを強いることになっていたかもしれない。
▼仕事が忙しいと、自然プライベートなイベントの機会が少なくなり、いわゆるブログネタに事欠く。テレビを見てふと感じたことなどを細々と書き残すくらいしかできない。残業になった土曜は、現場で夕方車載テレビでNHKのイスラム国の解説番組を見た。アサイチキャスターの柳澤さんが進行、NHKが誇る中東専門の解説委員三氏がわかりやすく丁寧に説明していた。
▼まずイスラム国=イスラムではないこと。イスラム教では殺生が禁じられており、圧政下での生活が長い市民は、総じて自由と平和を渇望している。ではなぜイスラム国のような鬼っ子が次々に誕生するのか。根底にはやはりアラブ諸国のおかれた慢性的な窮状、つまりは国際社会における北朝鮮や、日本の非行グループなどと同じ劣悪な経済環境がある。だから過激派を軍事的に壊滅するのは根本的な解決にはならない。教育やインフラ整備など長いスパンでの経済協力が必要となる。
▼少し理性的に考えれば、誰でもすぐにわかることばかりだ。だが世界70億の人間全てが、経済的に豊かになれるはずがないこともまた自明のことだ。世界の指導層の人間がわからないわけがない。気づいていてやることはひとつ。現状を変えないこと。手を替え品を替え、自分たちが裕福であり続けるための努力を惜しまないだろう。貧困地帯への経済援助も、その地域の安定が自分たちの利益に資する限りでのことにすぎない。
▼日曜日は仕事から帰ると、妻が号泣県議野村某氏の号泣会見のVを見て大口あけて笑っていた。ふと「この人誰かに似ている。いや、これに似たことをどこかで見たことがある」という既視感にとらわれた。僕と喧嘩して大泣きした際の上の子にそっくりだ。「この日本を、変えるという志を持って、エッ、エッ」「親に、迷惑をかけたくないと、そう思ってオレはーッ!」二人のセリフの気持ちまで疑うつもりはない。しかし現実にやっているのは別のことだ。そこにあるのはただ、他人にうるさく言われずに小金をためて好きなことをしていたいという身勝手なエゴだけである。
▼オイコノミアというNHKの番組を僕はまだ見たことがない。学生時代に読んだハイデガーハイデガーを引用した柄谷行人かが、その著書の中で、エコノミーのギリシャ語かラテン語かの語源について考察していた。それがどのようなものだったかはもう忘れたが、意味はネットで検索すればわかる。家(オイコス)の秩序(ノモス)、すなわち家政、家の管理というような意味らしい。
▼ここでいう「家」の概念は、もっと広いものだったんじゃないかな。昔は今よりずっと大家族だったろうし、ヨルダンの人質パイロットの出身部族みたいな、一族郎党くらいの意味じゃないか。小さな家のやりくりというより、一族全体の運営。こうすればだいぶ現在の意味に近くなる。一国のまつりごととは、ほとんど経済政策のことだ。ただその昔は、部族によって価値観(うまくいってる感の尺度)が違うのは当然のことだろう。
▼現代の悲劇は、世の中の価値がお金だけになってしまったことだ。家ごとで違うはずの物事をはかる尺度が、資本主義経済の伸長によってお金に統一されてしまった。グローバル化の進む世界には、計画経済も利子のないイスラム金融も生きのびる余地はない。家の中で経済原則から外れた存在でいられた老人や子供も、今や誰ひとり家庭環境から自由ではいられない。
▼うちの子どもたちがいい子なのは確かだ。けれど二人にそれぞれ別々の部屋と机を与えてあげられていれば、また違ったのではないか?という思いはある。うちは僕の尺度ではうまくいっていると思う。けれど家計は火の車だ。だからそのことを胸を張って言える自信がない。

昨日は絶品カラアゲに絶品ポテサラ。子どもたちは大喜びして食べたそうだ。

そして今日は牛丼。家政をつかさどっているのは妻で間違いない。