あまりに類型的な

冷たい空気も緩み、妻と灯油をもう一回買う買わないと話す季節になった。朝、職人と待合せたコンビニでスーツ姿の男女の集団を見かける。大学か専門学校の卒業式だろうか。それとも会社の説明会かしら。彼らの人生も、今が一番輝ける季節だ。季節はゆっくりと、確実に過ぎてゆく。
▼一昨日は、春休みの子供たちが友人宅にお泊りということで妻とディナー。まだ見積を抱えて油断できないが、とりあえず妻のご機嫌をとる余裕は出てきた。近所のショッピングセンターのビュッフェで、妻が「今高いからお得」という野菜ばかり食べる。

やはりその辺がウケているのか、平日で人も疎らなショッピングセンターで客が引きもきらない。
▼しかしいくら高いといっても野菜は野菜である。箱で買っても知れている。客の方にしても、そう野菜ばかり食べられない。主食のごはんやうどんやカレーにデザートも食べれば、高い野菜もワンプレートがいいとこだ。そこを頑張って二人でツーバイフォー食べたけど、元がとれたかどうか怪しい。
▼見渡せば満席のテーブルが一日何回転するのだろう。ビュッフェはセルフサービスだからスタッフはあいたお皿を下げるだけでいい。ホールの人件費も半分だ。ひとり二千円弱の単価は高いような気もするが、飲みに行くと思えば安い。客も店もウィンウィンの関係だ。フードコーナーのテナントは入れ替わりが激しいが、オープン以来健在なのもうなずける。
▼さて、年度替わりのこの時期どう過ごしていたか過去ログをひもといてみる。4月は昨年、一昨年と上京。その前の年は社員旅行で韓国に行っている。年度末工事が終わって、期初にリフレッシュするパターンだ。今年は台湾に行く予定。僕は4月の方が都合がいいのだが、妻が5月にこだわる。最初は気づかなかったが、どうやら20周年の結婚記念日を意識しているようだ。それを「まだマンゴーが出てないから」と言うあたりが気の強い妻らしい。
▼昨日は朝から一日見積に精を出し、夕方までにメドをつけた。こいつを月曜に提出すれば山は越える。まだチョコチョコ現場があってなかなか前に進まないが、常に課題がある状態が当たり前なのだ。完全に終わらせてスッキリしたいという感覚がおかしい。というわけで久しぶりに映画を観に行くことにした。
▼「さよなら歌舞伎町」は、新宿歌舞伎町のラブホテルを舞台にした映画だ。

始まりは出勤前のラブホテルの店長の部屋。主人公の彼は同棲している彼女に一流ホテルに勤めていると嘘をついている。歌手デビューを目指す彼女は、オーディションを受けたバンド三人組のうち一人だけプロデューサーに呼ばれている。次にスーパーで買物する韓国人カップル。二人ともお金をためて母国で店を出すのが夢だが、彼女の方が先に帰国する。ホテヘル嬢の彼女は、このラブホのヘビーユーザーだ。最後にあと二日で時効を迎える男を匿っている中年の女。彼女は掃除婦としてこのホテルで働いている。物語はこの三組のカップルを中心に回る。
▼朝から次の日の朝までのたった24時間の間に、なんと多くのドラマが生起することだろう。例えばラブホに撮影にきたAVクルーの部屋にピザを届けた店長は、AV譲が自分の妹であることに気づく。家出娘をデリヘルに売り飛ばす目的で近づいたチンピラが、そのあまりに悲惨な身の上話にほだされて足を洗う決心をする。あるいはホテルに入ってきたカップルが同棲中の彼女と音楽プロデューサーだったとか、警察のキャリアと不倫中の婦人警官が潜伏中の掃除婦に気づく話とか。
▼韓国人風俗嬢の客は、ひとりが常連の雨宮さん。彼は彼女に本番をお願いし、告白してフラれ、プレゼントを渡したお返しにパンティをもらう。もうひとりはリストラされてヤケになり、シャブやって乱暴する男。韓国人の彼氏は韓流のイケメンで、彼も日本人のクラブのママらしき女性に小遣いをもらっている。彼女の仕事に気づいた彼は、彼女を指名して最後の客となり、彼女の身体を洗う。
▼涙なしでは見られないようなメロドラマシーンに、普段は涙腺がバカになっている僕も、さすがに泣く気にはなれなかった。その理由は、一日の間にひとつのホテルで起きる出来事としては偶然すぎてドラマチックに見えても、エピソードのひとつひとつをみればあまりに類型的だからだ。それはどれをとってもこの街でいかにもありそうな物語ばかりだ。
▼夜勤明けの主人公は音楽Pと枕営業した彼女を残し被災した故郷に向かう長距離バスに乗り込む。そのバスには偶然妹も乗っている。お金がたまるまで帰らないと言っていた韓国人の彼は、彼女にプロポーズしていっしょに帰ると言う。そして逃避行中の中年カップルは路上で時効を迎え抱き合って喜ぶ。
▼彼らが訣別するのは、嘘をついて身分を誤魔化したり、手っ取り早く金を得るために身を汚したり、犯罪に手を染めた過去の自分に対してではない。人を類型化してしまう歌舞伎町という舞台装置に対してだ。

外食に「どこ行く?」ときかれ「餃子の食べ放題」と答える回数が増えてきたある日のウチゴハン。妻は気が強いが思いやりがある。
▼僕個人の歌舞伎町の想い出も最低のものだ。酔った勢いで迷い込んだゴールデン街で、ビールの小瓶一本で三千円とられたことに腹を立て、やり手ババアを罵った晩。アマチャンの学生にいかにもありそうな話で全く恥ずかしい限りだ。でもビールの小瓶なんて見たのはあれが初めてだったなあ。