成熟と喪失

休みに入ったとたん天気が崩れた。今日は朝から雨である。わかっていたこととはいえ、ついてない。昨日は妻が午後からヨガ教室(講師として)だったので、アサイチで社用車を洗車して、午前中に子供部屋の模様替えをして、午後から映画を観に行く予定だったが、結局ひとつもはたせなかった。
▼まず雨の前に車を洗っても意味がない。次に子供部屋は完全に上の子の使用が定着しており、目下のところ模様替えに急を要しない。前夜ブログを更新してそのまま居間のソファで眠ってしまったので、家人の朝の動きで簡単に目が覚める。朝帰りの上の子がいったん着替えてすぐにデートに出かける。オフの下の子も思い切りオシャレして友人と遊びに出ていく。
▼二人とも妻に似てファッションに敏感なのはいいことだ。若い頃は色気づいて当然。カッコばかり気にしていい。時に失敗しながら自分のカラ―を見つけていくのが本当だ。とにかく買い与えられたお仕着せでなく、自分のお金(小遣い)で自分で選ぶことが大事だ。そうでないと50にもなって制服以外何を着ていいかわからない僕のようになってしまう。
▼子供たちが出てゆき、妻は午前中の予定を模様替えから衣替えに切り替えた。僕はソファに寝転んで北村薫の「太宰治の辞書」を読む。面白くて妻がヨガに出ていっても読み続け、映画の時間が過ぎてしまった。「花火」「女生徒」と表題の三篇を収める。「女生徒」はもちろん太宰の「女生徒」。「〜辞書」はその続き。「花火」は芥川龍之介の「舞踏会」に上がる花火だ。
▼編集者の主人公が、本について気になることを調べてゆく。最初のうち僕は、無意識に主人公を作者の北村薫と同一視して、男性だと思い込んでいた。ところがある部分で女性であることに気づく。それは息子が五才の時に母の日に書いた手紙を紹介する場面だ。「お母さんへ いつもおしごとしてくれてありがとう…なるべくちかいあいだにやめてください」というもの。
▼実は最近下の子について、妻にこれと同じようなことをきいていたので思わず微笑んでしまった。木曜の夜ヨガ教室に行く妻に下の子はこう言ったそうだ。「オレ、お母さんが夜出ていくのあんまり好きじゃないんよね…」。「あんまり好きじゃない」という自分の好みの問題にしているところに遠慮が見えて可愛らしい。
▼芥川の作品が故事を下敷きにしているのは周知の事実だが、それが作品の価値を聊かも貶めるものでないことは言うまでもない。実は太宰も流用の名人で、あの「生まれてすいません」も知人の遺言のパクリらしい。「女生徒」もファンの日記だそうだ。有名な出だしと末尾、そしてロココ料理のくだり以外はほとんど丸写し。それでもオリジナルの部分はもちろん、全体として紛れもない太宰である。
▼主人公の編集者は、作中の「華麗のみにて内容空疎」というロココの定義から、太宰が引いたであろう辞書を同定しようとする。それらしきものがあるという情報を得、かつて鍛えられた、今は亡き先輩編集者の地元の図書館を訪ねる。そこで彼女は、先輩がよく自慢していた名物の饅頭を頬張り、こみあげるものを抑えられない。
▼芥川の「舞踏会」の元ネタが、ピエール・ロチの「日本印象記」であることは間違いない。ロチといえば、僕が学生の頃は、たしか角川文庫の復刻版が「秋の日本」というタイトルで出ていた記憶がある。いずれにしろ明治19年11月3日の天長節の夜の鹿鳴館が舞台である。二つの書物に同じ記述が見える。
▼17才の明子が、フランスの海軍士官とダンスを踊り、テラスに出て花火を見上げる。「何を考えていらっしゃるの?」明子の問いに士官は答える。「花火の事を考えていたのです。我々の生のような花火の事を」。そして作者は主人公を介して、芥川の本質は諧謔に溢れた初期の「鼻」や「芋粥」にではなく、この「舞踏会」の抒情にあるという江藤淳の評論を引く。
▼僕の青春の書が漱石だったとすれば、芥川は幼少の頃繰り返し読んだ、いわば僕を本の世界に橋渡ししてくれた作家だ。でもその時気に入ったのはやはり「鼻」や「芋粥」だった。その後上京した僕は、彼女と新宿御苑の露台から庭園を見渡し、芝生に寝転んで「何を考えているの?」と問われた。二人で隅田川の花火を見上げ、フラれて「女生徒」の末尾のようなセリフが認められた絵葉書を受け取った。
▼たぶん「舞踏会」も「女生徒」も、それ以前の僕が読んでも本当の意味ではわからなかっただろう。僕が北村氏の本を初めて手にとったのは去年のことだ。そしていっぺんにファンになった。いつまでも子供のような僕も、年を重ねたことだけは確かなようだ。

夕飯は牛丼にキムチトマトに冷奴。夏も近い。