キツネ狩り

あっというまにGWも終わり、日常生活が戻ってきた。暦の上では夏だが、薄曇りの過ごしやすい陽気である。この時期らしいサラッとした風が吹いている。
▼GW最終日の昨日は、朝のうち妻がヨガ、下の子が部活、上の子がデートに出ていった後、ブログを更新して二度寝。帰ってきた妻といっしょに両方の親とおばさんに、子どもの入学祝いのお返しを選びに行く。
▼前日半袖短パンで寒くてひどい目にあったので、長袖長ズボンにした。最近購入した薄手のものなので、暑くて逆にひどい目にあうということもない。全くこの年になるまでアイモノすらなかったんだから信じられない。いったい何着てたんだろ。僕は春と秋にはオフもプライベートもなかったか、一歩も外に出なかったとしか考えられない。
▼お返しは、この辺の名産品の、どうしても食べ物ということになる。形になる程度の、例えば送料の方が高いなんてことにならないような分量を整えると、今度は腐らせずに食べきれるか心配になる。おばさんは子供が近くにいるから呼ぶなり分けるなりすればいいが、両親はそうはいかない。妻は一人っ子、僕も弟も遠方である。
▼それからドンキに回って、台湾旅行のスーツケースを見に行く。たしか新婚旅行の時、妻がスーツケースの上に乗ってぎゅうぎゅうフタをしめていた記憶があるが、あれは誰のスーツケースだったのだろう。妻が友人か親から借りたのだろうか。いずれにしろ今手元にないことは確かなので、ここんとこあちこち見て歩いている。おかげで急に詳しくなった。車を買うまでメーカーも知らなかったのに、急に車種まで覚えてしまうようなものだ。
▼たっぷり一時間ひやかしてから、先日年会員になったミニシアターに向かう。妻は文芸モノは観ないので、サスペンスだとか適当なことを言って引っ張ってきた。映画は「フォックスキャッチャー

米国の大富豪が、自分が後援するレスリングのオリンピックチャンピオンを射殺した実話である。タイトルは富豪の作った強化チームの名前だ。
▼ロス五輪で金メダルをとったシュルツ兄弟は、たいていの兄弟と同様、兄のデイヴが弟のマークの面倒を見ている。プロスポーツの盛んな米国では、オリンピック金メダリストとはいえ、アマレスへの関心はゼロに等しい。家族を持ち、精神的に安定している兄はともかく、弟は気持ちが切れかけている。そこにレスリング愛好家の財閥の御曹司が支援を申し出る。条件は自分のチームに入り、屋敷内に住み込みで練習すること。
▼ヘリコプターで移動し、敷地内でキツネ狩りができるような広大な屋敷だ。独立した住居を与えられ、練習メニューも自分で決められる。物理的には自由が確保されているように見えるが、精神的にはどうか…実話ということで、細かな点で実際と脚色が合致しているかどうかは重要な問題ではない。映画は観る人によって多面的な解釈を否定していないからだ。
▼富豪の病的な支配欲、母親との確執と孤独、弟の兄への依存と反発、アメリカの病理…アスリートでなくても、いわんやオリンピック選手でなくても、おそらくどんな国のどんな立場の人でも、この映画を観ることでなんらかの教訓は得られるのではないだろうか。
▼映画は古い映写機によって撮影された、一族の何代か前のキツネ狩りの様子から始まる。毛並のいい馬に跨る大勢の紳士。放たれたキツネ。追いかけるたくさんの犬。チーム「フォックスキャッチャー」にとって、「キツネ」は金メダルの栄光の比喩だ。だがキツネ狩りのフィールドにいるのは紳士だけではない。紳士を乗せて走る馬、それに犬たち。それぞれにとって「キツネ」の持つ意味は違うだろう。犬は捕まえたキツネを喜んで主人に差し出すだろう。
キツネ狩りに行くなら気をつけておゆきよ。ねえ キツネ狩りは素敵さ ただ生きて戻れたら。ねえ 空は晴れた 風はおあつらえ あとはきみのその腕しだい。もしも見事射とめたら 君は今夜の英雄 さあ走れ夢を走れ…
「これのどこがサスペンスなんね!」エンドロールを眺める僕の頭の中をエンドレスで流れる中島みゆきの「キツネ狩りの歌」を突然中断したのは怒気を含んだ妻の声だった。

その晩はスーパーのお惣菜で写真なし。今夜はヨガカレー。