子規に学ぶ

比較的雨の多い合間の穏やかな五月の日曜日である。微風のみ届き、陽光の届かない室内は、むしろ肌寒いくらいだ。
▼先週末の突発対応以来、瞬く間に一週間が過ぎた。突貫工事で連日日没までの作業が続き、疲れが溜ってなかなか起き上がれない。意識の端で妻が恒例の朝ヨガに出ていくのを見送ると、新聞を読んでいたつもりがいつの間にか寝落ちしている。サタデーナイトフィーバー(古いね)からの朝帰りの上の子、風邪で部活を休んだ下の子とバカ三人で気持ちよく惰眠を貪る。
▼今朝の朝刊に、靴下メーカー主催の「足クサ川柳」受賞作なるものが掲載されていた。最優秀作に「家の中『はよ風呂入れ』とLINE来る」優秀賞に「耐えました。結婚記念日10臭年」「定年ではじめて気付く別洗い」とある。自慢じゃないが、足の臭いについては人後に落ちないつもりの僕の中にムクムクと対抗心が湧きあがる。
恐妻家足の先だけドクサイ者
いかがですか?
▼この足のニオイがどこからくるものなのか、正確なところはわからない。が、主たる原因と想像される水虫の治療がはかばかしくない。内服から始まった本格的な闘病生活(あくまで水虫)も早や3年。途中肝機能低下や体調不良で頓挫しかけたが、タイムリーに爪水虫専用新薬が出て中断の危機を免れたのも束の間、この外用薬にも強烈な副作用が現れた。
▼爪に浸透するタイプの液体をハケで塗布すると、爪と接している周囲の皮膚がただれるのだ。しつこい白癬菌を死滅させるほどの強力な薬効である。周囲の細胞に影響を与えないはずがない。逆に副作用がないような薬なら、効き目もたかが知れている。単純に比較はできないが、抗がん剤に代表される薬の副作用というものの実態を初めて、身をもって理解できた気がする。
▼お医者さんに相談すると、一目見るなり「やめた方がいいです」と言うほどのただれ具合だ。再度内服に切り替えるか検討するも、最近シーパップ治療の一環で、かかりつけ医からコレステロール中性脂肪を下げる薬を処方されていると申告すると、これまた即座に「併用不可」とのこと。といって従前の外用薬ではあまり意味がないらしい。
▼結局、現状の薬を周囲の皮膚につかないよう事前にワセリンを塗って、だましだまし続けることにしたが、やはりあまり芳しくない。つい先ごろまで医者にも薬にも無縁だったのに、無呼吸と診断されて以来あれよという間にこのザマである。医薬は万能ではない。科学技術の発達した現在だって、子規の時代の結核と事情は大差ない。持病というものは、これも運命と見定め共存するほかないのかもしれない。ただの水虫だけど。
▼午前中いっぱいで「子規、最後の八年」を読了。最後は涙なしに読めなかった。子規がそれだけ多くの人に愛され、惜しまれて亡くなったことがわかるからだ。子規が後継者と恃んだ虚子に対する、弟子というより実の弟に近い感情。互いに相手を理想的な読者として想定しえた、親友漱石との交信。共に歴史に名を残さんと誓い、別々の道を歩んだ幼なじみ秋山真之との節度ある交流…
▼昨夕のニュースで、同じ学部学科の学生にラインで呼びかけるなど、友だち作りにSNSを利用する昨今の学生事情を紹介していた。一方で、大学が主催するオリエンテーションやサークル活動など従来型のシステムを通じて少しずつ人間関係を作ってゆくリアルコミュニケーションにこそ醍醐味があるとする人たちの声も取り上げていた。また別の番組では、みんなの前で発表するのが恥ずかしい人に、スマホでの授業参加を許可する大学を紹介していた。
▼不器用で淋しがり屋でとてつもなく孤独だった僕もまた、大学で新しい人間関係をうまく築くことができなかった。「単位取得には授業での発表が必須」と公言する教授のコマで、一年もの間ついに手を挙げることができず、翌年もそのまた翌年も単位を落とし続けるほどシャイで自意識過剰な田舎者だった。寂しくて同窓の人間とばかりつるんでいたくせに、そのことを潔しとしなかった。
▼子規の人間関係は、当然のことながら伊予松山の人間が中心である。主たる庇護者や後見人は母方の親戚であり、交友関係は伊予出身の学生寮常磐会の面々だ。だがそんなことはどうだっていいのだ。SNSだろうがサークルだろうが地元の同窓だろうが新しく知遇を得た人間だろうが関係ない。ただ目の前に己が定めた道があり、周囲に同好の士がいる。ただそれだけのことだ。まず自分の好きな道を見つける。脇目もふらずその道を進む。そうでないと同好の士も集まりようがない。
▼午後からヨガから帰った妻とドンキでスーツケースをゲット。これで台湾旅行の準備は万端だ。


ウチゴハンは二夜連続のパスタ。