台湾の日本人

昨夜遅く台湾から無事帰ってまいりました。梅雨時期の台湾は、多少湿度が高いと感じるくらいで日本とほとんど違和感がない。梅雨が明けたらとんでもなく暑くなりそうな予感がしないでもないが、最近は日本の暑さもハンパないからやっぱり大差ないかもしれない。さて、忘れないうちに台湾旅行を振り返っておこう。
▼木曜19時発、3時間のフライトで時差分1時間短縮した22時に桃園国際空港に到着した。入国手続き、空港から台北中心部までの移動にそれぞれ一時間ずつかかり、ホテルにチェックインする頃には日付が変わっていた。それから近所のコンビニで飲み物を買い、お風呂に入って寝たのは2時を回っていたと思う。それでも長年の習慣で5時には目が覚める。この移動の疲れと睡眠不足が後々ボディーブローのように効いてくることになる。
▼6時過ぎにビュッフェ形式のホテルの朝食をとる。和洋中取り揃えた素晴らしい内容だ。

台湾グルメは旅の最大の目的のひとつ。三日間三回分のホテルの朝食は、その分だけ朝市などの現地食を食べる機会を奪うことになるのでもったいないと思っていたが、そうではなかった。第一に宿泊したホテルのレベルが高かったこと。第二に旅に疲れた身体には、ある程度万人向けにアレンジされたものでないとキツイこと。ホテルの朝食は、滞在中最後まで緊急避難的な心の拠り所となった。
▼初日(ツアーの旅程としては二日目)はオプションの市内観光。タダだし初めての訪問なので、あまり深く考えずに入れたのだがこれが大失敗。一番は他のツアー客と団体行動なので自由がきかない。二番目に現地旅行社は、管理下の店でツアー客に買物させることでマージンを得る仕組になっているので、全体に営業的であり、かつ割高である。行天宮→お茶セミナー→中正記念堂→民芸品買物→「梅子」で昼食→忠烈祠の衛兵交代式→故宮博物館→足つぼマッサージのコース。まず行天宮で記念写真をとられる。お茶セミナー後のお茶の販売会&民芸品(翡翠?)買物の間は離脱して付近を散策。以後ガイドの言う集合時間だけ聞いてこれを繰り返した。
▼ウロウロしていると品のいい奥さんに声をかけられた。「何かお手伝いすることありますか?」ツアコンにうんざりしていた僕は、即座に「ノーサンキュー」と言ってしまったが、妻が「おいしいスイーツかドリンクが飲みたくて」と引き取る。彼女が店員に口をきいてくれて、無事タピオカミルクティーをゲットすることができた。

彼女は「ワタシ観光に来る人を案内したくて日本語勉強しました」と話していた。
▼例えば東京オリンピックなどで観光に訪れた外国人を案内する機会があったとしよう。困っている外国人に拙い英語で話しかけたとして、いきなり「ノーサンキュー」と断る人がいるとは考えにくい。また外国語を学ぶ動機として、それ以外にどういうシチュエーションを想定すればいいのだろう。思えばツアーの営業も、断れば無理強いはしなかった。翌日の九扮行の際もそう。バス停で待っていると、相乗りタクシーの強烈な勧誘にあう。だが一旦断れば正しいバス乗場まで案内してくれる。
▼これをもって台湾の人が日本人に好意的だとするのはどうだろう。バスなら90分105元、タクシーなら(相乗り)40分で200元。時間をとるかお金をとるか。あとは選択の問題だ。ビジネスライクであることとフレンドリーであることは矛盾しない。台湾の国民性というよりは、こっちの方が国際標準だろう。ごく親しい身内にだけ心を許し、他者とのコミュニケーションを厭う。もしこれが国民性の問題なら、僕は悪い意味で典型的な内弁慶の日本人だ。外国語が身につかない主たる要因もここにある。
▼梅雨ただ中の台湾だが絶望的な雨ではない。時折強く降るが午前中は晴れ間ものぞいた。

昼食は台湾三大料理店「欣葉」「梅子」「アオキ」のうちの「梅子」。他のツアー客との相席で円卓料理を囲む。ビールなどの飲み物とマンゴーなどのデザートは別料金(お茶とオレンジはついていた)。豚の角煮と牡蠣の炒め物がうまかった。

個人的には学生時代の想い出の店「欣葉」本店に行きたかったが、妻の友人の台湾通元CA情報では「梅子」が一番マシらしい。店主の奥さんの梅子さんが日本人なので日本人の口に合うのかもしれない。
▼個人的には中正記念堂の国民党の歴史の展示が一番おもしろかった。蒋介石の着ていた国民服、乗っていたアメ車、ジョンソン大統領とのツーショット…全てが哀愁を誘う。資本の論理は冷徹だ。当初対共包囲網の一角として中華民国を中国としていた米国も、市場の規模と可能性の魅力に負け、やがて中華人民共和国を中国代表とみなすようになる。共産党との争いに敗れ台湾に逃げ延びてきた蒋介石は、再び中国本土復帰がかなうと本気で信じていたのだろうか。
▼午後から大雨になり日本の靖国にあたる忠烈祠の衛兵交代式はパス。故宮博物館は大混雑。常時二千人以上、多い時は五千人が入場しているという。そのほとんどが中国人だ。この博物館も五年前まではがらがらだった。中国人解禁になった途端、世界中のあらゆる場所で同じことが起きる。現在、台湾のビザ待ち中国人は八千万人いるという。資本主義は数の論理だ。誰もこのマンパワーを止めることはできない。
▼足つぼマッサージの間も僕らはバックれてコーヒーを飲んでいた。日本のセブンと違って台湾のコンビニのコーヒーはマズイ。そのせいか、スタバを筆頭にコーヒーハウスがやたらに多い。これも選択の問題だ。16時解散後いったん部屋に戻りタクシーで繊維問屋街に向かう。ここで前述の元CA御用達の乾物店で大量のドライフルーツをゲット。帰りにナントカ通りの夜市をひやかしながら帰るという行動だけは計画通りだが、疲労から臭いだけでもどしそうになる。マンゴーかき氷の名店「ビンザン」に寄ったところでこの日は体力の限界。まともに夕食も食べてないので妻は不満そうだが、構わず部屋に戻って寝る。女性はホントに貪欲だよ。つづきは次回。