ユーメイドリーム

7月に入った。今年は本当に梅雨らしい梅雨だ。とにかくよく雨が降る。だがまだこれからが本番だ。
▼社員旅行から帰ってきて、あっという間に10日余りが過ぎた。お土産も配り終わり、そろそろ仕事モードにはいらなきゃいけないのに全くやる気がしない。あー、僕は本当にナマケモノだ。月に一度のペースで旅行に行ってもまだ足りないんだから。
▼退院後、停職中の友人が旅先からしきりに自撮り写真をメールしてよこす。「ヒマだから一人で温泉めぐりしてる」らしい。全く呑気なもんだ。心配して損した。現代社会において、働き盛りの男がひと月以上休めるなんて、それ自体奇跡だ。でもこれも性分の問題だろう。せかせかした僕には絶対やってこない神様のプレゼントだ。
▼ここのところ、すっかりサンデーブロガーに落ち着いてしまった。シューイチの更新ではちと淋しいが、質、量、ペース共にずっと同じレベルをキープするのは難しい。日常の何が変わるわけではない。変化は自分の側にある。記録するにたると思っていたものが、いつしかそう感じられなくなるだけのことだ。要はモチベーションの問題である。
▼社員旅行に持っていった「流」を中途で諦め、村上春樹訳のノルウェー小説「ノベル11、ブック18」に移る。すいすい読める。やっぱり小説は文体なのかしら。いずれにしろ台湾のノワール小説よりノルウェーの中年小説の方が身近なのは確かだ。同じ人、同じ事柄、同じ状況が、時によって魅惑的に見えたりそうでなかったり。全く人は夢を見ているうちが花だね。
▼今日は土曜ということもあって、仕事をフライング気味にあがって妻の所望で近所のショッピングモールの串揚げビュッフェに直行。最近妻がヨガ仲間にランチに誘われたそうだが、どうしても行く気がしなくて断ったという話をきいたばかり。でも僕といっしょに食べるところを想像したら、行きたくてたまらなくなったらしい。全く夫冥利につきるというものだ。
▼ところがいっしょに行った下の子がずっと不機嫌で、妻としか話そうとしない。順番待ちの間にいろいろ声をかけても返事もしないし、そのうち「ウザイ!」と露骨に嫌な顔をする。仕方がないので「反抗期だな」と言うと、しばらくして「オレ、反抗期や」とつぶやき、ツキモノが落ちたようにいつもの下の子に戻った。きっと虫の居所が悪かったのだろう。
▼席に通されると、いつものように怒涛の勢いで全種類を一通り食べ尽くすと、残り時間をたっぷり余して構わず席を立つ。感想は自分で揚げるのはメンドクサイ。ビュッフェはセルフというのも煩わしい。別に何でもいいので、最近は席も立たずにもっぱら妻がとってきたものをおとなしく食す。だんだん何もかもがどうでもよくなってきた。

▼帰りに本屋に立ち寄って目黒考二の「昭和残影」をゲット。色気づいた下の子の服を買いに妻が別のショッピングセンターに移動する間にウトウト。到着しても僕はもう車から降りない。そのままzzz…。主体的に生きていない人間は何事にも意欲が乏しい。何かラッキーな偶然が向こうからやってくるのを待つだけの人生だ。
▼唐突だが、僕は長い間「復讐するは我にあり」という言葉の意味がよくわからなかった。緒方拳主演、今村昌平監督の同名映画を観た時も、わが読書歴中ベストワンの「アンナ・カレーニナ」のプロローグにこの言葉を見た時も、元は聖書の一節であろうこの文語調の訳の意味がよく理解できなかった。
▼今さら解説しなくてもわかりきったことだろうが、僕は今この言葉の意味をこう解釈する。復讐するというと、普通は相手にその原因があるように思えるが、復讐するもしないも要は自分次第だ。全ては自分の側の問題なのである。

月曜は妻のお義母さん直伝の春巻き。実家に帰った時は必ず出てくる逸品である。

火曜は焼鳥丼。白髪ネギ山盛りで超うまい。

水曜忘れた。木曜は下の子の大好物鶏の酸っぱ煮。昨日はヨガカレーで写真なし。
▼妻が下の子の話をする。このあいだいっしょに買物に行くとドラッグストアの床に落ちたゴミを拾うらしい。そして心から感服した様子でこう言ったというのだ。「お父さんもゴミが落ちてたら拾うもん。お父さん凄いんだよ。休みの日にひとりで海岸にゴミ拾いに行くんだよ」。事実は先日のエントリーで書いた通り、取引先のつきあいである。下の子が僕を色メガネで見ているのは間違いない。しかしそれも彼自身のよく生きようとする姿勢からくるものなのだ。