やがて消えゆく…

3つの台風が梅雨を吹き飛ばして真夏を連れてきた。その最後の11号が、今まさに日本列島に上陸したところだ。
▼昨日は炎天下の中、一日台風対策。前日まで事務所から一歩も出ない状態だったので落差が激しい。水筒のお茶はすぐになくなり、冷水器の水を入れて二巡。さらにペットボトルのジュースを30分おきにがぶ飲み。仕上げに帰りにマックのドライブスルーでジュースとシェイク。盛夏の作業の日だけ許す自分へのご褒美だ。
▼一転して今日は雨。その雨の中、野党欠席のまま安保関連法案が衆院を通過した。昨日の委員会採決の醜悪な映像には既視感を覚え正視に耐えなかった。野党議員が掲げるプラカードは「強行採決反対」「安倍政治を許さない」「自民党って感じ悪いよね」の3つ。法案そのものについての言及はもとより、賛成か反対かすら言わない。はっきりしているのはただ「15日の採決には反対」ということだけだ。
▼維新も通すつもりもないのにポーズで対案出して恥ずかしくないのかな。野党も野党だが今回の安保法制が唐突かつ性急な感じを与えることは否定できない。国民の間に理解が広がらないのは、いったいこの法案を通して何のために何をやろうとしているのかさっぱりわからないからだ。アベチャンもマジなのかウソついてごまかそうとしているのかわからんもんな。
集団的自衛権違憲ばかり取り沙汰されるが、今回の法案の主眼は2本立てのうちの安保法制の方ではなく、国際平和部隊の方だろう。自衛隊が米国主導の平和維持活動(空爆等)に世界中どこでも最初から参加できるようにするためのものだ。だからホルムズなのだ。だから維新の対案ではダメなのだ。「ホルムズだと唐突だが我が国に限定するとわかりやすい」ってなんもわかっちゃねーな。
▼アベチャンの目指す「戦後レジームからの脱却」も、つまりはそういうことだ。「70年も言われるままに従ってきたんだから、そろそろ正式な子分として認めてくださいよ。敵国ではなく正式なUN(国連=連合国)の一員として。せめて中国や韓国よりは大事に扱ってほしいな…」。どのみちついていくしかないのなら、米国の言うことならなんでもきくというのもひとつの見識だ。
▼ここ数日、山粼佳代子の「ベオグラード日誌」を読んでいた。氏の「解体ユーゴスラビア」や「そこから蒼い闇がささやき」を読むまでは、僕もボスニアコソボで起こっている問題はセルビアが悪いと思いこんでいた。NATO軍の空爆や停戦監視団が、ミロシェビッチの専横から少数民族を守るのだと無批判に信じていた。
▼チトー大統領が亡くなるまでは、その強烈な指導力の元で異なる民族が共存していたと山粼氏は言う。事実として、それまではクロアチアセルビアボスニアもなく、ひとつのユーゴスラビアがあった。社会主義国であるがゆえに西側諸国からは敵視されていたかもしれないが、チトーは偉大な父親として国民に慕われていたという。
▼我々の心の中に無意識のうちに形成される敵味方意識は、いったいいつ、どのようにして芽生えるのだろう。その瞬間は山粼氏にもわからない。昨日までセルビアクロアチアもなかったのに、欧米のプロパガンダにのせられて、いつしか憎しみ合い殺し合うまでになる。人間同士どうしてそんなことができるのか。山粼氏はただ悲しむだけだ。
▼今度の安保関連の法整備が進むことで、国際関係において日本はこれまで以上に欧米との結びつきを強めていくことになる。それは確かにアベチャンの言うように日本の安全保障を強化することにつながるだろう。少なくともセルビアのような小国よりは戦火に巻き込まれるリスクは低くなるに違いない。
▼今度の法整備で、日本は国連軍としてセルビア(またはイラク)に駐留したり空爆したりする側に回ることを選択した。それは確かに日本人の生命と財産を守ることにつながるかもしれない。でもホントにそれでいいのだろうか。個々人の想いは別にして、日本という単位での立ち位置はもうはっきりしている。そして個人は国家の意思に従うほかないのだ。
▼「ベオグラード日誌」は、セルビアが1999年のNATO軍による劣化ウラン弾とトマホークの最悪期を脱した2001〜2014までの山粼氏の日記である。空爆の嵐が過ぎ去っても、大切な人は次々に亡くなってゆき、悲しみが癒えることはない。月に数回の頻度の日記は、やがて月イチになり、ついに日付すらなくなる。僕のブログといっしょだ。

火曜はタコライス

昨日は冷やしうどんにタコ焼き。今日はヨガカレー。