何考えてんの?

相変わらずヒドイ暑さだが、空気が少し黄ばんで見える。午後の影が急に大きくなった。高い空に雲が筋を引いている。完全に秋の風情だが、そう言うとみんなに変な顔をされる。「このクソ暑いのに何言ってんの?」
▼戦後70年の節目にあたり、昨日アベチャンが首相談話を発表した。僕は夕方6時からの会見を生で見た。一言一句聞き漏らすまいと耳を傾けていたら、いつの間にか終わっていた。聞き終って、不覚にもいいスピーチだと思ってしまった。どこにも瑕疵がない。アラ探ししてる僕がこうなんだから、本人は自分の考えが正しいと信じているにちがいない。70年前の日本も、そうやって戦争に進んでいった。
▼談話には四つのキーワードが入るかどうかが注目されていた。「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「お詫び」(順不同)。早くから、アベチャンは使用に消極的で、逆に中韓は入れるよう求めていると報道されてきた。結果は四つとも入ったが、政権の支持率が高ければ、四つとも使われなかった可能性もある。
▼首相は言う。「経済封鎖されて国際社会から孤立し、戦争への道を進んでしまった」「植民地支配と訣別し」「事変、侵略、戦争は…二度と…しません」「我が国はこれまでも痛切な反省とお詫びを表明してきました。これからもそれは変わりません」(うろ覚え)こう並べてみてみなさんはどう思いますか?
▼僕はこう思う。「四つのキーワードを全部使って、それぞれ可能な限りその言葉が本来使われる文脈から離れて用い、言葉の意味が骨抜きになるような文章を2500字程度で記せ」という設問に対する模範解答や!国会答弁の官僚の作文はこのように書かれているはずだ。
▼もうひとつ思うのは、主語がない。首相談話なんだから、首相なりのメッセージがほしい。この談話でアベチャンが自分の考えとして表明したのは、謝罪外交に区切りをつけたいという強い意志だけだ。あとは歴史に真摯に向かいあわなければならないという一般論ばかり。
▼アベチャンは「あの戦争とは何の関係もない子や孫に、未来永劫謝罪させ続けるわけにはいかない」とおっしゃる。しかしそういうアベチャンだって「戦争を知らない子供たち」じゃん。つまり自分自身も「あの戦争とは何の関係もない」と考えているのかしらん。まさかね。
▼日本の公教育で近現代史を教えないことが問題視されている。確かに僕も中学の社会は江戸時代までだった。時間切れになるくらいなら、ネアンデルタール人メソポタミア文明なんかやんなきゃいいようなものだが、夏休みの登校日に平和教育が行われてる限りはそれでいいと思う。
▼来年50の節目の年を迎える僕も、もちろん「あの戦争」を知らない。でも僕にとって太平洋戦争も特攻も原爆も、歴史上の出来事かというとちょっと違う気がする。考える度に鼻の奥が熱くなり、胸が締め付けられるような何かだ。あの戦争が風化してしまわないためには、戦争を歴史上の出来事にしてはいけないのではないか。
▼最後に「私たちの子や孫のために」と言うが、そもそも我々パンピーに贖罪意識はない。謝罪外交をやめにしたいのも頭を下げたくないのも専ら為政者の方だということを言っておきたい。それから、ほとんどの憲法学者が安保法案に違憲判断を下すと「国民の命を守るのは学者ではなく政治家だ」と言う一方で、「侵略という言葉の定義は学者の研究を待ちたい」というのはいかにもご都合主義だということも付け加えておきたい。
▼そんな支離滅裂な屁理屈言ってまでやりたいことってなんだろな?ホントこの人たち(保守系ナショナリスト)の考えてること(米国に何を求められて何を口止めされてるか)はさっぱりわからんよ。コイズミの時もチラッと思ったけど、彼ら対米追従派(清和会)はホントのこと(日本は米国の属国)言うと右翼に刺されちゃうからわざとタカ派ぶってんじゃないのかな。



ひとり帰省中に友人と韓国まで足をのばしても何の罪の意識もない妻の現地食。上からタッカルビ、冷麺、ボッサム。友人のあちらの友人に案内してもらってプサンを満喫したそうです。僕ら庶民のレベルで中国や韓国の人に複雑な感情を抱いている人なんているのかな。