似た者同士

ダブル台風に始まった今年の夏が、ダブル台風で終わろうとしている。今日は今夏初めて30度を下回った。冷房を入れた現場事務所より外の方が涼しい。そのうち雨が降り出して肌寒いくらいだ。
▼下の子は毎晩世界陸上にかぶりつきである。ボルトが活躍する花形の短距離だけでなく、中長距離の選手もよく知っている。そして画面にタイムが出る度に「速い速い」言って騒いでいる。確かに男子400mなら43秒ほどだから100mのラップは11秒そこそこだ。スタートから全力でゴールまで走りきる。下の子でなくても仰天するってもんだ。シンプルに肉体の限界に挑戦する陸上競技は意外に奥が深く、そこは黒人の独壇場である。
▼さて、世界陸上や裏番組の女子バレーを見ていると、オリンピック協賛CMに例のいわくつき五輪エンブレムが使われ始めている(キャノンが使用していないのは先を見越してのことか。それはそれでいやらしいが)。いざ変更となれば、ひとりデザイナーの責任にとどまらなくなる実行委員サイドは「問題なし」で押し通したいのだろうが、はたしてこのまま泥縄式に継続使用していいのだろうか。
▼サノ氏は「ベルギーの劇場ロゴを参考にしたことはない」と言う。だが五輪マークだけでなく、サントリーノベルティ、太田美術館のロゴと、これだけ同様の事例が出てくれば、ただの「偶然」ではすまない。サノ氏の仕事の進め方や考え方自体に、このような問題(パクリ)が起こりやすい原因が内包されていると考えるべきだろう。
▼彼はデザインを「コンセプトを具体的なイメージにすること」と考えていた節がある。大事なことは「うまく監修すること」で、デザインそのものは下請に出してもいいと考えていたようだ。しかしデザインとは、イメージを他のどんな手段でもなく、例えば言葉で説明するのではなくて「平面上に視覚化すること」だ。その最もオリジナリティが要求されるところを自ら手がけなくてどうする。デザイナーは釈明会見でコンセプトを説明するのが仕事ではない。
博報堂を独立してデザイン会社を立ち上げたサノ氏は、プロデューサーではあってもデザイナーではなかった。彼はクライアントから「こんな感じで」と頼まれた仕事を「こんな感じで」と外注に伝える伝書鳩であり、その際「こんな感じ」の具体例として他人の作品を引いていたのだろう。広告業界の他の営業マンと同様、彼の意識の多くは、デザインそのものよりクライアントの意向に向いていたに違いない。
▼不可解なのは、業界に精通している人ほどサノ氏を擁護していることだ。ユニクロのロゴを発案したデザイナーの「書体の組合せはどこかで似てくる」という同情的なコメントは紹介したが、サノ氏側がパクリを認めて取り下げたノベルティグッズについても、業界関係者は「素案の段階でサンプルとして集められた素材が誤ってそのまま使用されたのでは」と解説していた。
▼釈明会見でリエージュと東京の二つのロゴが似ていると思うか訊ねられたサノ氏は「コンセプトが違うから全く似てないと思う」と答えた。そりゃベルギーの劇場と東京の五輪は何の関係もないさ。巧妙なパクリは、全く関係なさそうなところからアイデアだけを借用してくるのがポイントだ。僕はふとオボカタさんのことを思い出した。オボカタさんもまた、STAP細胞という着想こそが全てで、それを実証する論文は他人の引用だった。
▼優れたデザインや学術研究に、センスやインスピレーションが不要だとは言わない。しかし仕事とは、単なる思いつきを具体的な形にしていく過程のことである。それらは多くの場合、孤独で地味な作業だ。それがデザインであれば何枚もスケッチを描いては破ることであり、それが科学であれば英語で論文を書くことだ。
▼だが財をなし成功を収めるには、事務所を構え大勢のスタッフと分業し、人が制作したものにちょっと手を加える方が効率がいい。オリジナリティは割烹着や巻き髪など、本来の成果とは何の関係もない女子力や発信力の方に求められる。それが現代社会の仕事というものだ。その意味では二人は時代の申し子であり、サノ氏のデザインは我々の社会のコピペ文化の産物なのである。
▼わが家の食卓にはオリジナルとコピーが交互にやってくる。



日曜豚肉とさつまいも炒めにペンネサラダ。月曜スシロー。今日はガパオライス。仕事帰りに実家に台風見舞のTEL。ほぼ2ヶ月ぶりの会話である。