戦争と平和

昼休みに現場事務所のクーラーが寒くて眠れない。去年もこんな日があった。もうお彼岸だ。夏の名残さえも終わろうとしている。
▼一昨日からまた雨だ。昼前にようやくあがったが、やはり今年はエルニーニョの影響で、通常の意味では雨の多い冷夏だったのではないか。昨今の夏は晴れたら即猛暑日なので冷夏とは言いにくいが、思えば夏が短すぎる。逆にエルニーニョじゃない年は、とんでもないことになりそうな予感がする。
▼近頃よく蚊に刺される。今朝はゴキブリが出て一騒動あった。妻が極端にゴキブリを嫌ってゴキジェットの噴射をいつまでもやめないので、先日風呂場でゴキブリといっしょに殺されかけた。狭い空間で殺虫剤をしこたま吸って、しばらく舌の痺れが取れなかった。今朝は居間でベランダの窓があいていたからよかったが。
▼近年は酷暑のせいか、蚊もゴキブリも盛夏には顔を出さない。30度を下回るあたりが活動域だ。憐れ蚊というが、これからが彼らの季節である。そういえば今年はデング熱はどうなったのだろう。一過性のものだったのか、それとも今年は他にネタがありすぎてデング熱どころじゃなかったのだろうか。
▼さて、豪雨災害の次は阿蘇山の噴火である。口永良部島桜島ときて阿蘇山だから何か関連あるかと思ったら、専門家の解説によれば、それぞれのマグマ溜まりの爆発なので全く関係ないそうだ。でもなんか腑に落ちない。「日本の火山は百年に一度の活動期にある」とは言われているらしい。じゃあ関係あるじゃん。
▼火山の噴火で記憶に新しいのは昨年の御嶽山。戦後最大の60名余の犠牲者が出た。その前は少し遡って1990の雲仙普賢岳か。やはり30名近い犠牲者を出した。火山といえば「噴火」という言葉しかなかったが、以後「火砕流」という新語が定着した。用語の問題でいえば、口永良部島の「爆発的噴火」がひっかかる。「爆発的」というと、噴火の程度を表しているようだが、よく聞くと「爆発系の」という噴火の種類を表しているようでもある。
▼噴火後の普賢岳にはいったことがある。火砕流の通り過ぎた後は、まさしく「ぺんぺん草一本生えてない」という形容が相応しい荒涼たる風景が広がっていた。しかしいつ、どのような状況で訪れたかの記憶がまるでない。高校の時に日教組の全国大会に参加したのもたしか雲仙だったような気がするが、こちらは場所の記憶が定かでない。ただぐるぐると山を登るバスの眼下に広がる雲が印象に残っている。
▼以前のブログでも書いたが、僕は鹿児島県鹿屋市に住んでいたことがあるので、桜島は目の前だ。でも桜島に登った記憶はない。快晴の濃い青空をバックにした桜島の脇を通ったことはある。溶岩や火山灰は身近なものだった。風呂場には軽石があった。側溝に灰が積もっていた。灰が降ると父は車のワイパーをかけた。母は洗濯物の心配をしていた。天気予報では風向きが重要だった。
▼こういった日常の風景の記憶と、例えば御嶽山の突然の悲劇の間には、あまりにも開きがありすぎて想像することが難しい。白煙があがる山頂に向かって多少の驚きと共にスマホのレンズを向けた時までは、彼らも日常の側にいた。しかしそこから画面が暗転した後の世界は、地続きではない。物理的な時間は連続していても、そこには完全なる断絶がある。
▼先日の豪雨災害の時も感じたのだが、テレビキャスターや気象予報士のセリフがうまく耳に入ってこない。自治体の避難勧告も気象庁の特別警報も報道の情報提供も、全く意味がないとは言わないが、あまり役に立たないような気がする。予知予報やメカニズムを解説する言葉では、災害の実態をうまく伝えることはできない。災害とは、まさしく言葉を失うような事態だからだ。
▼今、この時間に、集団的自衛権を認める安全保障法案が成立しようとしている。戦争も災害と同じで、法律用語はもちろん、我々はそれについて語る言葉を持ち合わせていない。だから安保法制を進める政府与党にも、反対する野党議員のフィルバスターやデモのシュプレヒコールにも違和感を覚えてしまう。
▼言葉って魔物だと思う。反対デモに参加する賢そうな学生が「政治家を縛るのは憲法しかないのに、政治家が恣意的に憲法を解釈できるなら立憲国家とはいえない」と言えば、その通りだと思うし、ホリエモンが「やりたくないって、誰かがそれを肩代わりしてるわけで。じゃあ殺されるのがアメリカ人ならいいのかってことになる」って言えば、そうかもしれないと思う。でも彼らが戦争と平和の本当を知っているわけじゃない。たぶん正しい答えなんかない。そして僕は途方に暮れて、ただ日常の記録を綴ることしかできない。

火曜大根の煮物、サバナス煮。

水曜鳥とかぼちゃのクリームグラタン。木、金はヨガ教室で写真なし。下の子がグラタンを一口食べて「世の中にこんなおいしいものがあるなんて…」と言って絶句していた。妻も母親名利につきるってもんだ。