憂い顔の童子

残暑も完全に終わり、本格的な秋がやってきた週初、休みをとって妻と二人で東京に行ってきた。ほぼ一年ぶりの上京である。
▼今回、生まれて初めてグリーン車にしてみた。新幹線往復切符付ホテル宿泊券など、平日限定の安くて快適な旅行パックは探せばいくらでもある。つい最近まで、はなから高いと思い込んで旅行なんて考えもしなかった。これも経済力というよりは、ある種のリテラシーの欠如だと思う。それも含めての甲斐性である。要するにお金の稼ぎ方も知らなければ、使い方も知らないわけだ。
▼午前10時過ぎ、薄曇りの東京駅に降り立つ。少し肌寒いが、身構えていたほどではない。目的は御年73の松本幸四郎が50年演じ続けるライフワーク「ラマンチヤの男」。お濠端を歩いて会場の帝国劇場を確認。

そのまま銀座まで足を延し、サンドイッチを買って日比谷公園で頬張る。

▼池の端のベンチに腰掛けてぼんやり考える。東京に八年いて、僕は今やっているようなことが満足にできなかった。つまり親しい人と東京を楽しむことをだ。ただ目的地の最寄りの地下鉄の駅から駅を移動して地上に出ることがなかった。これもある種のリテラシーの欠如だと思う。なかなか前に進まない。
▼開演30分前に入場し、最後列の天井桟敷から舞台を見下ろす。公演二日目、月曜の昼日中にも関わらず客席は満員である。幸四郎演じるドンキホーテが、お供のサンチョと諸国遍歴の旅に出る最初のデュエットで、早くも感極まる。人生はよき仲間、よき伴侶とシェアする時間のことだ。不覚にも涙がこぼれる。あとはメインテーマが流れるたび、ただただ泣くばかりだ。
♪夢は実りがたく、敵は数多なりとも、胸に悲しみを秘めて、われは勇みて行かん…
夢なんて見たこともないが、僕だってあるがままの自分と、あるべき理想の姿とのギャップに煩悶する人生だ。
▼舞台が引けて、いったん半蔵門のホテルにチェックインし再び出発。上智大学を通って四ツ谷駅まで歩き中央線で新宿に出る。上智は好きだった女の子がいて何度か行ったことがある。門回りのたたずまいは30年前と変わらない気がする。ルミネで妻お目当てのお店を二、三件回り、夕食は中華の老舗「隨園別館」に。


ここはエロ本時代、年配の編集長に連れてきてもらったことがある。記憶では二階の円卓だったが、今回は一階の四角いテーブル席だった。よく通った馬場の「欣葉」はもうない。
▼夕食後、妻がファッションビルで服を見ている間、三丁目の末広通りを散策。マドンナのいたバーは見当たらなかったが、下北のマスターに紹介してもらったバーを見つけた。でも記憶では二階だったのが地下になっている。場所も三丁目じゃなかった気がするが、店が引けたマドンナと、そのバーや二丁目のオカマバーに流れて飲んだのだから位置関係はあっている。エロ本の作家の接待で利用した居酒屋の名店「梟門」の系列店「池林坊」も懐かしい。
▼妻と合流し、下北のマスターの店までつきあってもらう。妻と初めての上京以来二年半ぶりだ。マスターも還暦。会える時に会っておきたい。マスターはいたが、自らの手で改装中の店内はとても飲める状態ではない。たしか昨年迎えたはずの「30周年来れなくてゴメン」というと「30年たったの?」だって。「30周年パーティやらなかったの?」ときくと「やってないよ」。一周年記念の時、僕が帰ると狭い階段をこけそうになりながら下まで追いかけてきたマスターを思い出した。「またくるよ」握手して別れた。これだけで十分だ。会えてよかった。
▼二日目は朝から妻のヨガマスターが最近青山に建てた総本山のスタジオ詣で。たまたま朝練を終えたばかりのヨガマスターが出てきてツーショットの記念撮影した妻は大喜び。そのままテラスに外人ばかりのオシャレなカフェで朝食。流行りのコールドプレスジュースにエッグスラットだけで前の晩の夕食代と同じくらいとられたが、それだけの価値はあるかも。正直うまかった。


▼表参道の雑貨屋で妻だけ買物してから地下鉄で銀座に向かう。お昼時はとうに過ぎているが、全く食欲がない。上京したての僕にとって、東京といえば銀座だった。よくこんな風に有楽町の一丁目から八丁目の新橋まで歩いて銀ブラを気取ったものだが、記憶の欠片も残っていない。まだ恋をする前のことだ。フロイト精神分析によれば、人の記憶は性の目覚めと共に始まる(うろ覚え)。僕はまだ子供だったわけだ。唯一通った「ジャルダン」も今はない。
▼時間を持て余し、もう一度青山に戻って帰りの新幹線までコーヒーを飲んで時間をつぶす。次はどういう形で上京することになるだろう。青山好きの妻は、駅伝をやってる下の子が、今年の箱根を制した青山学院大学に進学すればいいと本気で思っている。いずれにしろ現代の鈍キホーテの東京遍歴の旅にこれでオシマイということはない。永遠に、夢は枯野を駆け巡る。