絶望の国の幸福な午後

木枯らし1号の吹いた日曜は予報通り冷え込んだ。強い西風で土埃が舞い、いったん開けた窓をもう一度閉めて回る。
▼工場に向かう車中で日曜朝の報道バラエティを見る。渦中の傾斜マンション問題で、某局に出演した新国交大臣のコメントには呆れはてた。販売主の三井不動産、元請の三井住友建設、一次下請の日立ナンチャラ、二次請の旭化成建材のどこに一番責任があるかという問いに「それぞれに責任がある」というのだ。責任の所在を明らかにしようとする気がまるでない。むしろわかりきっていることをなんとかごまかそうと腐心しているのがみえみえだ。
▼今回の案件は三井住友建設の設計施工である。施工だけでなく設計にも責任があり、その意味では逃がれようがないわけだ。だが構造設計そのものに問題がある可能性が指摘されると、今度は大臣「通常、設計はせいぜいボーリング調査1、2ヶ所を元に行われる。だから必要な長さは実際に打ってみて現場で調整しないといけない」と言い出した。とにかくもう何が何でも責任は設計管理側にはなく、現場の最終作業者にあることにしたいみたいだ。
▼そうまでして誰が何を守ろうとしているのか。やはりシナリオを書いているのは国(官僚)らしい。所管の国交省としては、ゼネコンを頂点とするヒエラルキーが揺らぐような事態はなんとしても避けたい。業界の構造問題がつつかれる前に、原因を個人の資質に期したいのが本音だろう。件の「ルーズな」現場責任者には現金が、旭化成グループには建築ブランドのヘーベルハウスや本業の化学分野に有利な、許認可に関するなんらかのバーターが成立しているかもしれない。
▼ほとんどの閣僚が留任した第三次安倍内閣で、国交大臣交代は公明党の希望だという。それが本当なら石井新大臣は太田前大臣の代わりに泥をかぶる損な役回りだ。党内の力関係では随分下っ端だということになる。それとも暴力団と同じで、この難局を乗りきれば金バッジが約束されているのだろうか。いずれにしろ球界の盟主巨人の野球賭博問題露見直前の監督交代劇によく似ている。関係ないふりをしているが、交代時点で内々にはわかっていたことだ。いろんな影響を考慮したことは間違いない。
▼番組では建設業界の事情に詳しい評論家が重層下請構造について解説していた。「例えば元請のゼネコンが100万円の工事を受注したとすると、そのうち30万から50万が管理費の名目でゼネコンの手元に残る。次に一次下請が同じくらいの割合を抜き、以下順次下位の下請に仕事を下ろしていく。実際に現場で施工する業者には工事費すら残らない」たとえその通りだとしても、僕は全然おかしいとは思わない。その代り元請は施工に関する全責任を負っているのだから。責任があるということは、それほど重いことなのだ。
▼国をあげて一人の作業員に全責任をなすりつけようとする様を見ていると、どうやら国が守ろうとしている現行システムの姿が見えてくる。それは「責任を負う代わりに利益は親の総取り」という厳しくも当然のルールではなく、ごく一部の受益者が利益を独占し、かつ責任もとらないというヒエラルキーの固定化そのものである。国民よ目覚めよ。この国は腐っている。もう革命しかないぜ。期せずして同じ話題が三度続いた。もうこれ以上はよそう。
▼工事にイレギュラーに次ぐイレギュラーが発生し、とても現場を抜けられる状況ではなかったが、別現場の社員にお願いして午後から恒例のジャズフェスに。他人を信じられないから自分で頑張ろうとする。僕は随分人生を無駄にしてきたな。自分が責任をとるつもりなら、他人に任せて何の問題もない。妻と待ち合わせて現場から会場に直行する。途中入場はもうまっぴらだ。
▼一部のリードと二部のギターは今回のテーマに合っていないように感じたが、総じて個人的には過去4度のうち一番よかった。特に三部の平和を希求する構成には参った。ソリストの肩にかついだトロンボーンがこんなにカッコよく見えたことはない。そしてエリックミヤシロのサッチモにはマジで泣けた。内戦の国の若者が武器の代わりに楽器を手にする日を夢見て一句。
バズーガをトロンボーンに持ちかえて

土曜はナスとレンコン炒め。

そしてジャズフェスで妻が夕食の用意ができなかった今日はいつもの激安中華。