偽装問題に偽装する

晩秋とは思えない汗ばむ陽気である。だいたい23度。どうかすると夏日だ。おかげで例年通り総務のお局の冬服発注が大幅に遅れ、いまだに夏服出勤の僕も全然平気である。この先3日ほど天気が崩れる模様。
▼どうしてもここに戻ってきてしまう横浜傾斜マンション問題。発覚以来続々と建物の杭データ偽装が明るみに出る。そのたびに記者会見するのは旭化成グループばかり。三井不動産三井住友建設もいまだに一度も会見を開いていない。この事件はあくまでマンションが傾いたことが問題なのに、完全に杭データ問題にすり替えられてしまった。三井住友サイドの思惑通りだ。
▼改ざんがあろうがなかろうが、建物が傾いたこととは何の関係もない。そして今のところ、傾いたのは三井住友建設が施工したこのマンションのほかほんの数例だ。傾いた数少ない建物は、建てたところ(元請)が責任をもって(建て)直せばいい。それが結果責任というものだ。まだ傾いていないところが、たかだかデータの流用(改ざんは言い過ぎだ)くらいで大騒ぎする必要は全くない。
▼前にも書いたが、世の中に都合の悪い数値を示すデータというものは存在しない。データは記録するものではなく作るものだ。初めに結論があり、データはその結論に沿って作られる資料であり傍証でありアリバイである。何も建設業に限ったことではなく、仕事とはそのようなデータ(資料)づくりのことだということは、社会人ならだれでも知っている。それはそれでゆゆしき事態だが、傾いたことに対する責任とはまた別の問題だ。
▼今回の事件が、このまま杭打ちデータの問題にすり替えられ、元請の責任が不問に付されるようなら、もうこの国はオシマイだと思う。なぜなら日本は、上位がもうけようとして起こした不備の責任を、平然と下位に擦り付けるような不正義がまかり通る国だと内外に公表しているようなものだからだ。事実にしてもあまりに露骨すぎる。さすがに子どもの教育に悪い。
▼失敗は誰にでもある。だがこの国ではミスは許されないし、一度失敗すると再起もできないとみんな知っているから、ミスを隠蔽する文化が醸成される。たかが一ゼネコンを庇わんがために、我々の社会の公正さに対する信義を失うとしたら、その代償はあまりにも大きい。恣意的な憲法解釈を可能にして法的安定性を損ねた安保法案制定と相似形だ。要するにこの国ではなんでもありなのだ。
高橋源一郎の「僕らの民主主義なんだせ」を読むが、なかなか進まない。進まないと思っているうちに半分が過ぎてしまった。要するにあまり面白くないのだ。これは震災直後からの朝日新聞の論壇時評を新書にまとめたものだが、氏には新書という形式も論壇時評という形式もあっていないように思う。ブログサイズのスケールは、端的にいって短すぎる。
▼義父の入院で妻が帰省して1週間が過ぎた。後を追うようにお見舞いに向かった子どもたちも4日ぶりに戻ってきた。この間ずっと独身貴族だったが、どこにも出かける気がしなかった。仕事から帰ると居間の灯りが煌々とついていたり、鍵をかけ忘れていたり、どこか勝手がちがう。自覚はないが、やはり動揺しているのだろうか。月曜には妻も戻る予定だが、気分は晴れない。
▼NHK「SONGS]で中島みゆきの「夜会」特集を見る。25年前に始まった彼女のライフワークを僕が観たのは、第3回の「KANTAN」だ。でもあまりよく覚えていない。「KANTAN」のモチーフはもちろん「邯鄲の夢」。人生は一場の夢。責任逃れの偽装にかまけているヒマなんかない。