義父の思い出

二週続けて週末は冷たい雨である。雨が多くなってきた。季節が変わろうとしている。
▼去る11月11日未明、お義父さんが亡くなった。先月肺炎で入院して以来、わずか三週間のことである。傘寿を過ぎているので早すぎるわけではないが、まだまだお元気そうだっただけに人の寿命はわからないものだ。ちょうど一年前に軽い脳梗塞で入院し、今年のお正月に命拾いしたと話していたのに。夏に帰省したばかりの妻も同じ思いだろう。
▼肺が不可逆的に線維化して収縮しなくなる間質性肺炎という難治性の病気らしい。美空ひばりの死因と記憶している。肝臓が線維化して機能しなくなるのが肝硬変であり肝不全なら、肺が機能しなくなる、言うなれば肺不全である。人の寿命がそれぞれであるように、人の臓器それぞれの老化の進み方もまちまちだ。全体が同じスピードで老化すれば老衰死だが、臓器のどれかひとつが他の臓器より早く老化して機能しなくなれば、心不全や腎不全のような病死となる。いずれ老化の一種にちがいない。
▼「もうちょっと早く病院に行っていれば…」というような考えは無意味だとお医者さんは言ったらしい。きっとその通りなんだろう。何かをきっかけに、お義父さんの肺に老化のスイッチが入った。あるいは昨年の脳梗塞も何かの兆しだったのかもしれない。食生活をはじめ生活環境の改善により日本人の寿命は随分延びたが、不死になるわけではない。いつまでも変わらないような気がしていたが、自分たちの親がいつ倒れてもおかしくない年齢に差し掛かっているという事に改めて気づかされた。
▼葬儀は親戚だけの簡素なものだった。先週いっぱい看病して戻ってきたばかりの妻と自由人の上の子が、火曜危篤の知らせにトンボ返りして看取り、水曜通夜、木曜葬儀と全てを手配した。僕と下の子は通夜からの参加。妻が一人っ子、義母も高齢なので遺族代表の挨拶だけ頼まれたが、それすらしどろもどろ。全く情けない。実の親を亡くした妻の方がずっとしっかりしている。上の子が妻をサポートしてくれたので随分助かった。つくづく思うのだが、こういうことの仕切りがその人を表すと思う。
▼傾斜マンション問題は11日になって初めて元請の三井住友建設が会見し「旭化成建材に裏切られた」と表明した。補償割合をめぐって旭化成側ととことん争う姿勢らしい。どこまでも腐りきっている。そして金曜は業界大手のジャパンパイルでもデータ流用が確認された。旭化成建材では約3000件のうち266件で改ざん、延べ50人が関与していた。工事全体に対するスイッチの入れ忘れ、用紙切れ、紙濡れ、紛失の割合としては妥当な数字だと思う。支持地盤未達をごまかすために改ざんしたわけではない。マンションが傾いた責任を意図的にデータ改ざん問題にすり替えるよりずっと罪は軽い。
▼そして同じ13日の金曜日、フランスはパリでとんでもないテロが発生した。フランスがテロの標的になるのは、イスラム国の公式発表の理由のほかに、我々にはわかりにくいが、中東やアフリカでのフランスの影響力の大きさに求められるかもしれない。いずれにせよ、お義父さんとその種の話をしたことは、この20年間一度もなかった。お義父さんは一言でいえばそういう人だった。
▼結婚当初、お義父さんとよく将棋を指した。将棋が好きなお義父さんにおつきあいのつもりだったので、負けが込むと面白くなくて、次第にやらなくなってしまった。次に子どもたちが駒の動かし方から習っていたようだが、わんぱく盛りで盤の上の駒をすぐにグチャグチャにしてしまうので、おじいちゃんの方があきらめてしまったようだ。
▼疑問に思ったことをなんでも人に訊ねる下の子が、おじいちゃんに一度、「むかしにもどりたい?」ときいたことがあるらしい。するとおじいちゃんは「もういいね。そりゃ楽しいことがなかったわけじゃないけど、もういいね」と答えたそうだ。そして二人の頭を撫でながら「あんたたちもいるしもういいね」と付け加えたらしい。
▼月曜小康状態で10日ぶりに実家から戻った妻と、めずらしくついてきた上の子も加えていつもの韓国料理屋で家族会議。

そして全てが終わって戻ってきた子どもたちと、今日は近所のラーメン店。

妻が戻るのはもう少し先になりそうだ。しばらく合宿生活が続く。