聖と俗

雨を境に空気が入れ替わった。昨日今日とフリース出勤。冬らしくなってきた。
▼妻が戻って三日ほど手料理が続いたところで、ようやく日常が戻ってきた気がする。下の子は一口食べて、「こんなおいしいもの食べたの初めて…まちがえた久しぶりや」とクラクラしていた、デベソの上の子も、ここ二日ほどはシレッとうちでごはんを食べている。妻がいるとどうしても家事をやる気がしない。疲れているところ悪いとは思うのだが、洗濯や布団の上げ下げまでつい頼りきってしまう。
▼夕食後、お茶を飲みながら、残って義父の葬儀の後始末や義母の入院の手続きをしてきた妻の愚痴をきく。ニュースがマイナンバーの進捗具合を報じている。「マイナンバーカードがきたの。おとうさんの」「うん」「いやだなあと思いながら役所に返しに行ったら『不用ならご自分で処分してください』だって」「なんだそりゃ」「捨てるにも忍びないじゃない」「お役所仕事だなあ」「ほんといやになる」
▼「今日おかあさんから電話あって『あんたもうちょっと早く戻れんのね』っていうの」「まだ帰ってきたばっかじゃん」「なんだか郵便物が心配らしくて『全部こっちに転送してもらってる』って安心させたけど」「そう…」「仕方ないことだけど、考えてみたらおとうさん、四十九日まであの家でひとりぼっちや」「そうだね…」こういう話は相槌を打つしかない。
▼女優の原節子さんの訃報が届いた。ニュースや新聞の追悼特集が目立つ。原節子といえば、なんといっても名匠小津安二郎の秘蔵っ子という印象が強い。「晩春」「麦秋」「東京物語」と小津の代表作ほぼ全てに主演している。役柄も男やもめの父の世話をやく娘や、亡き夫の両親の孝行をする未亡人など似通っている。コラムで知ったのだが、紀子という名前まで同じだ。
▼小津はある時を境に、終生同じテーマを変奏していたことになる。それが紀子というパーソナルであり、その役に常に原節子が選ばれていたとすれば、原は小津の理想の女性だったといえるだろう。小津の死後、後を追うように映画界から身を引いた彼女は、以後、原節子としての自分に対する世間からのアプローチの一切を断った。「永遠の処女」かどうかは知らないが、何かに操を立てたのは間違いない。
▼「わたし、ずるいんです。主人を亡くして八年、こうして毎日何かを期待して待っているんです…」僕が小津安二郎の映画作品を通じて原節子を見つめたのは、最愛の彼女にフラれ、自棄になってエロ本の出版社に転がり込んだ時のことだ。誰もいない真夜中の編集部で、スカトロビデオを画撮する大画面テレビでレンタルビデオの「東京物語」を再生しながら、僕は音もなく泣いた。
▼「わたし、悪いこといっぱいしてるの」柔道サークルの試合会場の最寄り駅のベンチで、みんなが揃うのを待つ間、僕らは互いの学生証を見せ合った。悪人相の僕に比べ、柔和な瞳の彼女の顔は聖女のようだった。「聖女みたいだ」思わずつぶやいた僕に、彼女はこう答えたのだった。小津安二郎の映画に映る原節子の目線は、その時の彼女の目線にそっくりだった。相手を見ているようで遠くを見ているような。何かを見ているようで何も見ていないような。
▼世俗の幸福の一切を諦めて、何かに殉じなければ手に入れられないものもある。原節子小津安二郎との仕事を通じてそのことを知った。「わたし、悪いこといっぱいしてるの」と言った彼女も、そのことに自覚的だったに違いない。原節子とは逆の意味で、ある種の覚悟さえ感じる。

木曜そぼろごはん。金曜ヨガカレーで写真なし。そして今日は牛肉とピーマンの炒めにポテトサラダに白菜鍋。