床屋のヤンキー

未明の大雨が上がると一気に気温が上がり、今日は各地で12月の観測史上最高気温を記録した。季節はずれの生ぬるい空気は体感的にも気持ち悪いが、精神的も気持ち悪い。地球の病気もいよいよひどくなって熱があがってるんじゃないかってね。
▼あっという間に一週間が過ぎて再び週末を迎えた。明日は一現場中止になっても計八現場。手続きして作業員に説明し現場が全て流れ出す頃には10時を回っている。最後の現場を出る頃には最初の現場でトラブルが発生し、ゴゴイチで段取り替えがあってまた一からやり直し。以下繰り返し。毎回今週は乗り切れるか不安だが、まだ生きてるから大丈夫なんだろう。
▼課題が山積して定時であがっている場合ではないが、妻が四十九日で明日からまた実家に帰るので、迷いつつも直帰する。帰るとほぼ同時に子どもたちが矢継ぎ早に帰ってくる。うちの子はこういうところはほんとに動物的なところがある。すぐに遊びに出ていった上の子は明日は妻と帯同する。妻もひとりで帰るよりは心強いだろう。
▼妻が昼間あった出来事を僕に話す。下の子のPTAの用事で妻が幼稚園からいっしょの同級生の床屋のところに行くと、ヤンキーが眉毛を剃っている。どっかで見かけた顔だと思って倒れている椅子と並行に顔を傾げると、小学校の頃よく遊んだ子だ。「○○ちゃん?」「ああ××(下の子)のおかあさん…」「元気?」「××とゴハン食べに行きたいけどメールしてもいつも『もう食べた』って…」「そんなことないよ。また誘って」
▼「今日は?」「今日は雨で休み」彼は雨が降るとできないような職種で既に働いているようだ。そこに同級生のおかあさんが出てきて「○○?毎週きてるよ」。両親も幼稚園から中学まで子どもと同じ学校を卒業しているその床屋は、近所の札付きワルが毎週のように髪を整えに通う地域のコミュニティの役割をはたしている。
▼理容組合に入らない、従って個人営業の店のほぼ半額ですむ理容チェーンを僕が利用するようになったのはいつからだろう。出始めの頃は、年中無休で早くて安いチェーン出現に既存の理髪店は全滅するだろうと思っていた。ところがどっこい自由化が全てではなかった。
僕も確かに中学までは、個人営業のお店に通っていた。丸刈りなのでお店に行く必要は全然なかったのに、剃る一歩手前のどこまで短くするかで部活仲間と競いあったものだ。
▼狭い日本、そんなに急いでどこへ行く。床屋に限らず、あらゆる場面で早く安くあげた時間とお金を、我々はけして有効に使えているわけではない。そして世の中がコスパを優先する代わりに失ったものの代償はあまりにも大きい。それは「近所のおじさんおばさん」「近所の子供」といった人間関係の喪失だ。
▼彼らはそこに散髪だけをしにきているわけではない。そんなものはひと月に一度やれば事足りる。彼らは自分を受け入れてくれる場所で時間を過ごしているにすぎない。僕が学生時代マスターの店に通ったように。中学校もまともに出ていない彼らが、まがりなりにも犯罪に手を染めずに済んだのも床屋のおかげだ。そしてそれは僕も同じことである。
▼顔面の皮を剥ぎ取られて殺された男性が実は性転換したオナベで、事情を知っていると思われる戸籍上息子の養子が実はオカマのパートナーだったというややこしい事件の続報が流れている。事件があったのは、折しも渋谷区で同性婚を認めるニュースが報じられていた頃のことだ。役所の届出一番のりのカップルがえらい美形だと思ったら元タカラジェンヌらしい。あるいは特集で取り上げられていた男性カップルも羨ましくなるようなライフスタイルだった。
▼しかし実際の性的マイノリティの中には、この猟奇殺人事件のようなカップルもいる。確か一時期世間を騒がせた睡眠強盗「声優のアイコ」も性別がよくわからなかったような…。僕もあまり好きな方ではないのでそんなに詳しくはないが、オカマバーにはバケモノの方が多い。テレビで派手に露出しているマツコやミッツは彼らとは似て非なるものだ。そこにはとてつもない格差が横たわっている。世の中が表面上進歩的になったように見える分、見えにくくなっていることがある。それはたぶん性的マイノリティの問題よりずっと大きな問題だと思う。
▼この時期訃報が続く。水木しげるに続いて野坂昭如が逝去。代表策「火垂るの墓」と「アメリカひじき」はおもしろかった。戦中派、焼け跡派を代表する人の訃報に、一つの時代が確実に終わりつつあるのを感じる。

水曜はサケにダイコン煮。木曜はヨガカレー。

そして今日は下請の社長のお歳暮のうなぎ。明日からまた合宿生活だ。