追憶星人

12月も半ばを過ぎたのにずいぶん暖かい。一昨日降って今日もまた雨。この時期にしては雨が多い。どうやら史上最大のエルニーニョは本物だ。今年は暖冬中の暖冬である。
▼帰省中の妻から公開初日のスターウォーズを観てきたと電話があった。こっちは忙しくてそれどころじゃないが、妻もさみしいのだろう。公開初日の熱狂を伝えるテレビ画面に映る仮装したファンのほとんどは、40年前のシリーズ第1作公開時には生まれていなかったはずだ。公開から40年たってもそれほど古びた感じがしないのは、この映画が宇宙空間を舞台にしたものだからだろう。国際宇宙センターから油井さんが帰還したばかりだが、我々にとって宇宙はまだまだ別次元の世界だ。
▼前作から数えても13年ぶりの新作だ。幼くてまだ字の読めない下の子が「吹替がいい」と渋るのをなだめすかして字幕にしたら、案の定薄暗いシートに座ったとたん眠ってしまった。英語ができるわけでもないのに、僕らの世代はやはり吹替には抵抗がある。下の子には悪いが、なるべくオリジナルな状態で観たいと思う。ところが今シネコンに行くと、字幕より吹替え版上映の方が圧倒的に多い。日本人のメンタリティーも変わったな。よくも悪くもプラグマチックになった。
▼僕がこのスターウォーズの初回を公開時に観にいったのは、小学6年の時だ。その時の自分が、今の子どもたちよりずっと小さいというのが信じられない。いくら背伸びしても小学生は小学生。一方でいつまでもたよりないとはいえ僕はもう50に手が届く。だがあの時の自分も今の自分も意識の上ではそう変わらない。そう考えると人間に大人も子供もないと思う。子供を子供扱いしてはいけない。
▼映画は友人と観にいった。僕と同じ転校生でウマがあった。映画だけでなく、いっしょに中学受験の全国模試なんかも受けにいった。一般に転勤族の子息は成績がいい。父が家を建て、以後地元の中学高校に通った僕と違い、彼は中学に進む前にまたどこかへ転校してしまったから、つきあいは小6のその一年きりということになる。
▼エンドロールになりロビーに出てグッズを買う。パンフは必須としてあと一点買うとすれば、小学生なら下敷きだ。彼はオーソドックスに売れ筋の青を基調にしたルークがのっているものを選んだ。僕は迷った末、砂漠の住人がプリントされた赤茶っぽいものを手にとった。売り子に渡した瞬間後悔したその気持ちを今でも覚えている。
▼ポートボール(ゴールを人がやるバスケ)の練習中、僕がふざけて至近距離から突然パスしたボールを取り損ねて突き指した彼は、とうとう試合に間に合わなかった。いっしょに受けた模試は、未満と以下を間違えてその設問は全滅。あまりいい点ではなかった。小論文のはしりのような作文には父のことを書いた。「単身赴任でがんばってくれてありがとう」というような内容だ。郵送で戻ってきた答案を読んだ父が喜んでくれるかと思ったらそうでもなかったのが意外だった。まあ僕も子どもにそんなこと書かれてもうれしかないけどね。
▼こうしてみると子供は自分に対する親の反応のいちいちを記憶しているものだと気づく。ただ上の子が小6の時にどんな子だったかはあまりよく覚えていない。自分自身が職場をはじめ新しい環境に慣れることでいっぱいいっぱいだったのかもしれないが、自分の親が自分にしてくれほどには目をかけてやれなかったことは確かだ。かわいそうなことをしたと思うがもう遅い。
▼先週の木曜は会社の忘年会。テーブルは到着順のフリーだが、ここ数年同じ席についているような気がする。数少ない女性社員が固まって座るように、僕も無意識のうちに年寄集団(もちろん幹部の席ではない)の円卓を選んでいる。もう50だもんね。今年は退社した前社長の姿が見えない。こうして少しずつ世代交代していくんだな。いや、突然といってもいい。どんなに権勢を誇っても、いなくなったとたん痕跡すら残らない。さみしいものだ。
▼毎年忘年会の時期は忙しいのでまっすぐ帰るか、あるいは応援にきている監督をつれていくことにしている。今年もそのつもりでいたが、出口で同輩につかまった。四人で時間制のキャバクラを二軒ハシゴして2時。支払いは先輩格(ほぼ同輩)の人間がひとりで全額もった。4人×4時間なら時間五千円にしても8万だ。ちょっと前まではお金もないのに見栄はってやたらに払いたがったものだが、今じゃ絶対払いたくない金額だ。8万あればあれもこれもできる。妻と旅行に行った方が絶対にいい。
▼お義母さんは順調に回復しているらしい。やはり一人娘が帰っている効果は絶大だ。年末退院の予定。