未成年

暦の上で寒に入り、気象予報の上で寒波がやってきても、日中の暖かさは変わらない。この冬、最高気温がヒトケタにとどまった日があっただろうか。まさに例をみない暖冬だが、地球温暖化というよりはエルニーニョなど単年度の気象要因だろう。
▼上の子が成人式を迎えた。この三連休は三連休とも、部活をはじめ中学、高校の同級生のさまざまなグループの会合の全てに顔を出し、ほとんど家にいなかった。前日に散髪した上に髪を染め、この日のために新調した三つ揃いで決める行動パターンは、まさしくマイルドヤンキーの生態だが、ともかく門出には違いない。
▼成人の日の各局ローカルは各地の成人式の模様を伝えていた。街頭インタで新成人についてきかれた大人からは「言われたことはできるが、それ以上のことを考えようとしない」と批判的な意見が多かったが、言ってるオジサンオバサンたちも、当時は「新人類」と揶揄された世代なのだ。いつの世も年寄りは「イマドキの若者」を憂うものだ。
▼だが一人のオバサンが「私たちの頃よりずっとしっかりしてると思う。将来のビジョンをもっている」と言っていたように、物事は必ずしも印象とは違う。僕やオバサンの若いころはバブル全盛期。狂乱の日々の中で地に足をついて将来のことなんて考えられなかった。毎日白昼夢を見ていたようなものだ。そんな日がずっと続くと思っていた。今は混迷の時代かもしれないが、夢なんか見てる場合じゃないだろう。
▼新成人自身のセリフで一番印象的だったのは「早く社会の一員になりたい」という言葉。成人を表す言葉としてこれ以上相応しいものはないと思う。その人自身が世界についてどんなに立派な考えを持っていても、それだけでは何者でもない。どんなに小さな一隅でもいい。社会の一員になって初めてこの世に座席を占めることができるのだ。そのことが僕にはわかっていなかった。
▼自分が成人の日に何をしていたか、僕はもう覚えていない。大学二年の冬のことだ。成人式には出なかった。その手の行事に出席する行為自体バカにしていた。でも記憶に残らないような過ごし方なら、マイルドヤンキーの成人式の方がずっとマシだろう。私学の後期試験が終わっていたかどうかも定かではない。僕に後期があったのは大学一年までだった。
▼以前にも書いたが、当時の僕は高校のクラスメイトに夢中だった。昼は喫茶店でコーヒーを淹れ、夜はジャズバーで酒を飲むのがかっこいいと思っていた。たしか弟が受験で上京していたと思うが、恋をしていた僕は子供で田舎者の弟が疎ましかった。しかし僕だってとても成人した大人と言える代物じゃないのは明らかだ。
▼この三連休も仕事でいっぱいいっぱい。最終日は直帰して妻と回転寿司デート。中日に下の子と三人で訪れ二時間待ちで諦めたが、二人きりのカウンターなら混んでいてもすぐ座れる。戻ってニュース7からのEテレ。U-29は自転車を開いたばかりの若者。クラブのDJをやりながらクラブ仲間から顧客を拡げ、自転車リースも展開する。
▼売上は月16万。自転車修理やリースを積み重ねてこの金額にもっていくのはたいへんなことだと思う。けれど同時にこの数字は、日本で一人前の大人が稼ぐ金額としては少々物足りない。店の家賃やリースの自転車の配達にかかる燃料代を引けば手元にいくらも残らない。それでも彼がやっていけるのは、クラブで知り合った彼女と同棲しているからだ。
▼彼女はとても可愛くて魅力的だ。彼も穏やかで優しくてスマートだ。小さな自転車屋も二人の住まいもシャレている。理想的なライフスタイルだ。でも経済的に成功しているとはいえない。そのことが、彼らを自由に見せている最大の原因でもある。昔の漫才師風にいえば「自由と経済反比例」だが二兎は負えない。隣で妻が「こんなヤサオトコいや!」と言っている。選択の余地はない。
▼先週末妻が帰ってきてようやく日常が戻ってきた。

一番喜んでいるのは下の子である。