構造がエロ

今日は底冷えのする一日となった。快晴の予報が朝から太陽がチラリとも顔を出さない曇天である。おかげで一向に気温が上がらない。
▼東北大震災から5年が過ぎた。あの日のことは今でもはっきり覚えている。やはり年度末工事の最中で、空気が一瞬歪んだ気がしたのを疲れているせいだと思ったものだ。5年前のことを思うと、5年という歳月の長さを改めて感じる。この間僕にも過去5年分のこのブログに書いてきたような出来事があったのだ。それはただ避難しているというだけでは済まない年月だと思う。避難者の帰還の困難さを思う。
▼2月14日以来の休みである。年度末工事はいまだ収束していないが、休みというのは最初から決まっているものでも人から許されるものでもなく、自分でやりくりするものだとようやく気づいた。学校に行く前の下の子が「今日休み?」としきりにきいてくる。「休み」と答えると少し残念そうな顔をして出ていった。もう遊んでもらう年でもないだろ。
▼続いて上の子がいそいそとバイトに出かける。わかっているのかいないのか、生活態度を変える様子が全くない。彼がバイトで稼げるのは、せいぜい友達や彼女との遊興費にすぎない。それでもキツイので「おこづかいくれないから全部自分でやってる」気になっている。衣食住だけでなく、スマホやバカ高い車の任意保険まで親がかりだ。
▼これらのものを別会計にして本人に支払わせればいいのだが、現実的にはかなり難しい。スマホは家族割から切り離すと極端に割高になり、同居しているうちは本人名義で車の保険に入れない。かといって今すぐ独立して家賃や保険やスマホ代を全て負担するのはバイトでは無理がある。ある種の日本式ベルトコンベアから外れると、途端に生活レベルを維持するのが難しくなる。彼は今、そういう状況にある。下手をすればこちらも共倒れだ。
▼妻がパートに出るのに合わせてツキイチの無呼吸診療へ。今日は採血があって八千円超え。これも毎月の固定費である。診察が終わって一目散にうちに戻る。寒くて出歩く気にならない。毛布を被ってウェルベックの「プラットフォーム」の残りを一気に読み干す。こりゃポルノだな。ちょっと知的で上質な官能小説だ。男の読み物としては最高だ。
▼西側資本主義国に属するフランスで、ある程度の教育を受けた文化庁に勤める主人公は、父親の遺産を受け継いだのを契機にタイツアーに参加する。そこで同じツアー客の若い女性と知り合い、帰国後ねんごろになる。彼女は旅行代理店に勤めていて、彼のアイデアもあってセックスツアーを企画し大成功を収めるが、参加していたタイの秘密クラブのこけら落としの場でイスラムテロに遭遇する。
▼2001年の上梓。15年も前の小説なのに全然古びた感じがしない。テロといえば昨年のシャルリエブドからパリ同時多発テロが思い浮かぶが、考えてみれば9.11同時多発テロの年である。西欧諸国では、もうここ十数年来、いやそれ以上の間ずっと似たような環境にあるのだ。つまり富裕層とまではいかなくても、一部生活に困らない層と圧倒的大多数の貧困層の暗闘。イスラム対西欧の対立は、その最もわかりやすい一例にすぎない。
▼主人公に代表される西側諸国の生活に困らない層が、何もかも煮詰まった日常と頭でっかちでセックスの下手な自国女性に倦み、新鮮な空気を求めて第三世界の女性を買いにセックスツアーに出かけるとしたら、怒る人は怒るだろう。でも本当は誰も困らない。身体を売る現地の女性ですら。あるのは経済格差に対する感情的なわだかまりだけだ。格差を前提にすれば、そうしたツアーがどちらの側にとってもウィンウィンのものであるのは明らかだ。
▼とここまで書いて、はて、これと似たものをどこかで読んだことがあるような。これって男の理屈じゃない?この男性に都合のいい理屈を補強しているのが主人公の恋人だが、知的で従順で官能的でセックスが好きな完璧なヒロインだ。要するに下世話な言い方をすれば「痴漢した女が感じる」的な男の願望を体現しているわけで、そういう意味でもこれは完全にポルノ小説なんだな。つまり過激なセックス描写ではなく構造がエロ本なんだ。わかっちゃいるが面白い。引き続きイスラム政党が政権をとる最新刊「服従」にとりかかろう。
▼お昼に帰ってきた妻といつもの商業施設のいつものフードコートでランチして、いつものブックカフェでコーヒーを飲む。これで休日はおしまい。さあ明日から年度末までラストスパートだ。僕も目の前の僕のヒロインのためにこのクソのような資本主義社会の勝者たらねば。

今夜はお義母さん直伝の春巻き。わかっているのに電話でレシピをきくとお義母さん満更でもなさそうだったそうな。妻も芸が細かい。