モーツァルトの春に

週初の冷たい雨から一転して春の陽気である。道端のタンポポがそよ風に揺れている。その隣にはツクシが顔を出している。鶯が気持ちよさそうに囀っている。春に三日の晴れ間なし。週末は再び雨である。
▼卒業シーズンがやってきた。子供たちがうちにいる時間が長い。じき春休みだ。子供には社会人とは違った時間の流れ方がある。最近フリースクールの先生をしている友人からちょくちょく電話がある。生徒を送り出した彼は、この時期もうヒマなのかもしれない。ただ次年度の生徒が集まるか不安な時期でもある。僕も塾に勤めていたので、その辺の感覚はなんとなくわかる。
▼彼の学校もまた、生徒数の減少で存続の危機に立たされている。そこには学校に適応できない子供を持つ家庭ほど、経済的に困窮している場合が多いという構造的な問題がある。つまり、フリースクールこそ公的助成による無償化が最も必要とされている学校なのだ。
▼先ごろフリースクールの学校法人認可が見送られた。その理由は「既存の学校に行かなくなる生徒数が増える恐れがある」というものだ。およそ考えられる限り最もくだらない理由だと思う。経営基盤のぜい弱なフリースクールにとって補助金のあるなしは大きい。国が守ろうとしているのは既存の教育制度であって子供ではない。
▼彼の話では共通の友人が帰国しているとのこと。次の電話では遊びにきていて今帰ったところだという。ここ数年来、友人は帰国すると必ず彼のうちに立ち寄っているようだ。一方、ここ数年僕は彼と顔を合わせていない。月末には任地に戻るらしい。今回も無理かな。仕事が少し落ち着いたら電話してみよう。
▼平日にもかかわらず相変わらず4現場掛け持ちの慌しさである。移動中のラジオからモーツァルトのレクイエムが流れてきて気持ちが鎮まる。強烈キャラの加藤一二三九段は、一日に二時間クラッシックを聴くそうだ。そうするとα波が出て脳にいいらしい。僕にもα波が必要だ。
▼キリエからラクリモサまで耳に親しんだ旋律が続く。奈落の暗闇にさす一条の光。嫉妬、貧困、度重なる子供の死。この早世の天才はどれほどの悲しみをうちに秘めていたのだろう。歓喜の調べは、同じくらい深い悲しみを昇華することによってしか生まれえないものだと思う。何事もプラマイゼロ。平凡に勝る幸福はないのかもしれない。
▼彼の父親が亡くなったのは大学三年のことだ。大学と勤務地の位置関係から、父親と二人で暮らしていた彼が、仮住まいを引き払い、母親との生活が落ち着く頃には春になっていた。菜の花が一面に広がる千葉の片田舎に彼を訪ねたのはちょうど今時分のことだ。僕は当事重度のアル中だったはずだが、不思議に彼のうちでは発症しなかった。ていうかシラフの時でも酔っ払いのようなものだった。
▼僕はモーツァルトのレクイエムのCDを携えていた。いったいどういう了見だろう?やっぱり精神病だ。かなりズレている。僕が一番好きだったのはカール・ベーム指揮ウィーンフィル演奏のものだが、その時持参したのはカラヤン指揮ぺルリンフィルのものだった。どうして一番のお気に入りをあげなかったのだろう。そのことが残念でならない。
▼当時僕は随分年上の女性に恋をしていた。彼女と話をするきっかけになったのもモーツァルトだった。酔って「フィガロの結婚」を口ずさみながらマスターの店に入ると彼女がいて、振り向いた彼女に思わず「スザンナ?」と声をかけたのが馴れ初めだ。父親の喪に服している友人にそんなことを自慢してどうする?全く鼻持ちならない奴だ。もちろんすぐにフラれたけど。
▼季節は繰り返し春を運んでくる。あれから30年近くの歳月が流れたのだ。喜びも悲しみも悔恨も何もかも押し流すほどの抗いがたい時の流れである。春にはとどめようのない音の奔流、洪水のようなモーツァルトの音楽が似つかわしい。

日曜ミルフィーユ鍋。

火曜グラタン。休んだ先生の代行で、妻は今週月水木金ヨガ教室。
モーツァルトといえば、先日指揮者のニコラス・アーノンクール氏が亡くなった。作曲された当時の演奏を忠実に再現しようと試みる古楽で有名だったが、少し軽すぎるような気がして僕はあまり好きになれなかった。