君の名は

薄曇りの日曜日である。昨日は土砂降りの雨が上がると夏のような暑さになった。年々気候が亜熱帯化していくな。
▼工事量の多い今期は最終週までパンパンだが、この土日は比較的すいている。日曜は直前まで休めそうな雰囲気だったが、塗装工事が遅れていたので現場をあけることにした。昨日最後の生コンを打って、残る心配は塗装のみである。よくぞここまでたどり着いたと思う。あと一週間。もう少しだ。
▼昨夜は足掛け3年にわたる某ゼネコンの工事の打ち上げ。長い工事だったが、いいことはひとつもなかった。ところが他の業者に話をきくとウハウハというところばかりだ。酒を飲ませ、なんでも話せる環境を作っておけば儲からない現場なんてないのだ。逆に最初にそれをやっておかないと、工事自体をいくら一生懸命やっても徒労に終わる。要はコミュニケーションの問題だ。
▼コンパニオンは前回の懇親会と同じグループ。ここはレベルが高い。チーフが藤山直美似なのが少し残念だが、他の二人はアイドル並みのルックスだ。だが自分の子供くらいの娘相手に何を話していいかわからない。それはそのまま上の子に対しても言えることだ。コミュニケーションをとりたいという意欲だけが空回りして言葉につまる。
▼若い二人の一方が一方を指して言う。「○×ちゃんニシノカナに似てません?」「似てないよ。ニシノカナよりずっと可愛いと思うな」「えー似てますよォ。いいなあ、あんな顔に憧れる」「君だってアイドルみたいじゃない」「よく言われます。あんまり好きじゃない」「広瀬すずに似てるよ」「えーウソ、言われたことない。うれしー」この手の席でよくあるくだらない会話だ。
▼先日各局ローカルで、卒業式の中学生が最近気になるニュースをきかれていた。「あのテレビでコメントする外人みたいな名前の人が学歴ウソついてた」「野球賭博」子供も大人も似たようなものだ。「やっぱ米軍基地ヘノコ移設問題じゃないかな」「原発再稼働差し止め判決?」こんな回答をする子には違和感を覚える。それは大人でも同じかもしれない。
▼「お名前なんていうんですか?」「ありふれた名前だよ」「スズキさん?タナカ、ワタナベ、ヤマダ…」「まあ僕のことはいいから」適当にあしらっていると隣の人に移る。「オニイサンは?」「民主党のドンだった」「アソウさん?」「アソウは自民党だな」「あ、わかった!顔はわかるけど名前が出てこない…」「ほんとかなあ」「ホント、わたし頭いいんだから。もっとヒントない?」
▼「世界的指揮者の」思わず横から助け舟を出してしまう。「わかった!オザワだ」「そう、オザワセイジ」「セイイチでしょ」「そうだっけ」僕も似たようなものだ。若い人と話題が合わないという嘆きは思い上がりというものだろう。大事なのはコミュニケーションそれ自体であって、話題なんてなんでもいいのだ。
▼かのロラン・バルトもどこかで似たようなことを書いていた。「デパガと私の間に共通の話題なんてあるはずない」「できるとすれば天気の話くらいだろう」と。ちなみにバルトはホモセクシャルなのでいわゆる下心すらないはずだ。つまり本当に興味のカケラもない。しかしバルトは言う。「天気の話も満更捨てたもんじゃない。それは相手とうまくコミュニケイトしたいというコノテーションそのものである」(うろ覚え)
▼今日はペンキ塗りだけなので、工事手続きだけして職人に任せ工場を後にする。会社に行って山ほどある事務処理を少しでも片づけたいところだが、全くやる気が起きない。お彼岸を機に帰省する妻を見送りに戻ると、子供たちがまだうちにいる。普通ならとっくに遊びに行ってるところだ。これからまたしばらくの間合宿生活なので、ギリギリまでママの匂いを嗅いでいたいのだろう。

妻帰省前の最後のウチゴハン


沖縄の親方がお土産をくれた。妻が「沖縄土産で唯一もらってうれしい」という紅芋レアケーキ。そんなこと言うから入れ違いになるのだ。かわいそうだから冷凍庫に入れといてやろう。
▼「あなたに興味があったの。あなたのこともっと知りたかった」「惹かれて、好きになったけど、やっぱり違った」彼女に引導を渡された時のセリフである。「興味本位でそっちから近づいておいてそれはないだろ。こんなツライ思いするくらいなら最初から何もない方がマシだった」フラれた恨みもあって、聞きながらそう思ったものだ。
▼結局のところ彼女は、自分自身も大いに傷つきながら、僕にコミュニケーションのイロハを教えてくれた。まずは勇気を出して声をかけなければ何も始まらない。そして彼女との出会いは、彼女にとってはともかく、僕にとって人生で唯一青春と呼べる想い出となった。だから僕も勇気を出してきいてみた。源氏名だっていいじゃないか。「君の名は?」
▼僕はもう目の前のコンパニオンを見てはいない。瞼には、まだうまくいっていた頃のデートで、不意にホームに入ってきた電車に振り向いた彼女が映る。スカーフをマチコ巻きにした彼女の後ろ姿が見える。彼女の後れ毛が春の風になびく。