子供に顔向けできる?

寒の戻りで肌寒い日々が続いていたが、今日はすっかり春の陽気である。身を縮めていた桜も一気に花をつけ始めた。週末は満開の見ごろ、来週は桜吹雪だろう。春はとどめようもなく過ぎてゆく。
▼年度末工事にようやくメドがついた。今週は片づけと補修のみ。来期の予算取り等の事務仕事は別にして、これでしばらく現場はない。瑕疵がないわけでないが、細かいことを言えばきりがない。よくぞここまでたどり着いたと思う。というわけで、昨夜はひとり祝杯をあげようと近所のスーパーに買い出しに行った。
▼うちのことを済ませて外に出ると路面が濡れている。通り雨が降ったようだ。土埃の匂いがする。缶ビールとつまみを適当にみつくろってレジに並んでからサイフを忘れたことに気づいた。今入れたかごの中身をそれぞれの棚に戻してうちに引き返す。これが一回目。まだ心に余裕がある。
▼二回目は車で行った。先刻棚に戻したものをかごに入れて会計を済ませ、うちに戻ってからスーパーの駐車場に車を置き忘れたことに気づく。一瞬後でとりにいこうかと思ったが、それでは祝杯ができないことに気づき泣く泣く階段を駆け下りる。これで三回目。春のせいかな。いや、仕事もこんな調子だ。
▼移動中のカーラジオで久しぶりにFMミュージックプラザを聴いてみると、なんと3月で終了するという。大好きな鈴木万由香ちゃんともお別れだ。11年ときくと長いか短いかすぐには判然としないが、鈴の鳴るようだった彼女の声も心なしか疲れてきこえる。僕も彼女も年をとった。三十代後半が、五十に手が届こうとしているのだ。変化がないわけがない。
▼変化といえば、荒れる春場所横綱白鵬が変化で優勝を決めた。相星決戦でこそないものの、優勝の行方を左右する横綱同士の千秋楽の大一番である。ドッチラケとはこのことだ。館内はブーイングの嵐。観客の半分は賜杯授与の前に引き上げてしまった。こんなことは始めてだ。
白鵬はもう、かつての盤石の強さを誇る横綱ではない。パッとしない他の二人の横綱と同等。自力ではキセや照ノ富士の方が上だ。現にがっぷり四つで胸が合えば力負けしている。相手が三役クラスでも、受けて立つ横綱相撲をとれば危ない。初日の宝富士戦で本人がそのことに気づいただろう。
▼場所中注意を受けたダメ押しは余裕がない証拠である。立ち合いの駆け引きや変化ワザを駆使しないと優勝はおぼつかない。だが平幕はともかく、横綱だけは「なんでもあり」というわけにはいかないのだ。だからまだ相撲がとれるうちに引退しなければならない。引き際の美学というものがある。誰かが彼に引導を渡さなければならないのに、悲しいかなモンゴル人の横綱にそのことを教えられる日本人がいない。
▼場所の優勝力士として恒例のサンスポに出演した白鵬は、モチベーションを保つ秘訣をきかれ「欲張っていろんな目標を立てること」と答えた。貪欲だ。そのひとつがモンゴル相撲の大横綱だった父親の優勝回数に並ぶことだったという。そんな内輪の話どうでもいい。優勝インタの涙の理由もその思いからときけば二度シラケる。
▼冒頭、マンスリーキャスターの桑田が白鵬に花束を渡すシーンが象徴的だ。スポーツの第一人者同士のツーショットがこれほど清新さに欠けるのもめずらしい。子供が大好きなものは、昔は巨人大鵬卵焼き、僕らの時代は巨人貴ノ花ハンバーグだったが、今巨人白鵬ときいて思い浮かぶのは「なんでもあり」だ。子供に見せられるシロモノじゃない。
▼桑田はサンスポキャスター着任の初日に渦中の清原についてきかれ、「友人として、野球人として、人間として」とのたまった。清原の転落の全てはあの密約ドラフトに始まる。そんなことを考え出した大人が一番悪いが、桑田は最後まで密約の事実を清原に黙り通したのだ。「友人」という言葉だけは使っちゃいけないと思う。もちろん人間としてもスポーツマンとしても褒められた行為ではない。
▼密約ドラフトで桑田を指名したのは世界の王貞治である。江川の電撃トレード、前監督の不倫もみ消し疑惑、資金力にものを言わせたなりふり構わぬ補強、そして野球賭博。紳士がきいてあきれる。球界の盟主がこれだけ真っ黒に汚れてちゃ子供たちに夢もクソもない。今ジャイアンツに憧れる子供がいるとしたら、そいつもどうかしてるぜ。
▼本日新安保法が施行された。だが参院選への影響を考慮して、実際のオペレーションは夏以降に先送りするという。「国民の安全に不可欠」という信念があるならさっさとやればいい。最初は取り合わなかったのに、世論の風向きを見て火消しに回る保育園問題の対応といい、この国の大人たちは見苦しいことこの上ない。