残余の休日

連休(僕の)最終日は朝から雨が降り始め、昼過ぎまで降り散らかしてあっという間に通過していった。おかげで町内の草むしりが中止になってよかった。ここのところ風邪気味で銚子が悪い。金曜のデパートか、それともその前の東京でもらってきたか。なんにしろ人混みはよくない。
▼木曜、現場が引けて会社で事務処理をしている最中に熊本で大地震が発生した。今も余震が続いている。震源地の熊本の被害はたいへんなものだが、九州全域でもかなり揺れたようだ。実家に電話をかけ、友人にメールした。九州はあまり地震が多いところではないので驚いた人も多かったと思う。
▼逆に地震が多いのが東京で、僕は学生時代下宿を飛び出すほど揺れたことが何度もあった。一度などは本棚の本が全部落ちてしまった。だが地震の記憶は最初の下宿に限られるので、そのうち慣れっこになってしまったのかもしれない。あるいはアル中になって足元が常にゆらゆら揺れていたのかもしれない。ともかく友人によれば、東京の頃を合わせてもかつて経験したことのないレベルだそうだ。
▼木曜夜なべして金曜は休んだ。午前中ブログに東京紀行をアップし、昼にパートの妻と待ち合わせてデパートの九州物産展に。規模もにぎわいも北海道展の半分だ。やはり「食べ物は北に行くほどうまくなる」は本当だ。全体に茶色がかって色味が悪い。昼食用に海鮮むすびと手羽カラを買って車中で頬張る。こういう食べ方が一番おいしい。物足りなくて買物に回ったドンキのロッテリアハンバーガーも頬張る。太るはずだ。
▼夕食はプルコギ。妻のヨガ教室の生徒がコストコに行ってタレを買ってきた。僕らが行った時は漬けこんであるものを買ったが、肉とカラーピーマンを買って妻が漬けた方が断然おいしい。同じ味付けのはずなのに不思議だ。

▼土曜はスポットの現場。休日気分で行くと意外にたいへんだった。直行直帰で前日物産展で購入した熊本名物辛子レンコンで晩酌。超うまい。下の子が食べようとするので「辛いよ」「平気」というやりとりの後、口に入れて「カラッ」と涙目になるココイチと同じパターン。夕食は春キャベツのパスタにサラダ。


地震は終息に向かうどころか未明に本審に見舞われ被害がさらに拡大している。シンボルの熊本城が見る影もない。
▼日曜は体調が最悪で午前中ウトウト。午後はヨガから帰ってきた妻とショッピングモールへ。メガネがあまりにも汚いので交換。夕食の買物を終えたところでタイミングよく記録会の下の子から連絡があり迎えに回る。乗り込むなり「あとちょっとで県大会いけなかった。悔しい…」と泣き出した。行きは友達といっしょだったから、涙を見られたくないがためのお迎え要請だったか。健気だ。夕食はお惣菜のお寿司にやはりコストコみやげの豆腐チゲ。あさりを足してウマミが増した。

地震特番で一日延期になったNスぺ「老人漂流社会〜団塊世代しのびよる老後破産」を見る。逃げ切り成功世代と思われていた団塊世代が、老親の介護と子供世代の援助の両方の負担で首が回らないという話。番組では三つの例をあげていた。①埼玉の公団に住み年金生活を送る独居老人。月15万の年金では横浜の施設に入る母親に月イチ面会に行くのがやっと。子供に援助はできていない。②母親の面倒を見ながら悠々自適の生活を送るはずが、息子家族が転がり込んできて暗転する三世代同居家族。③自営で年金受給額が少なく、貯金を取り崩しながら高齢の母親を介護する男性。
▼どの例も身につまされるが、気の持ちようという気もしないでもない。一例目はあるだけでやっていくしかないだろう。二例目も当人に全く問題がないとは言えない。三例目の貯蓄二千万で自殺を考えるのはちょっと悲観しすぎだろう。番組は団塊世代の1/4に蓄えがないことを強調する。しかし一方で三千万以上貯蓄のある世帯が1/4もある。僕からすれば夢のまた夢だ。あとはその中間に分布している。番組はその苦しい方の例だ。言うほどひどくはないと思う。
▼この手のテーマは、経済的あるいは社会的な問題と、老いや死そのものが持つ悲惨さを混同しがちだ。後者は人間である以上避けようがない運命である。「どうせ老い先短いんだから」くらいの気持ちでいいんじゃないか。