巨乳好き

土曜は随分蒸し暑い日だと思っていたら、夜になって少し雨が降った。日曜は一転風が強く少し肌寒いくらいだ。だが冬の間レンゲ畑だった田んぼは攪拌され、水気を含み、新しい肌を外気にさらしている。季節は確実に一歩進んだ。もう春とは言えない。
▼来月まで現場の予定はなく週末はオール土休のつもりでいたが、見積やなんやらが重なって結局土曜は出勤になってしまう。まあ本来の業務ではあるが。しかし世間的には土休もすっかり定着したと思う。電話一本かかってこない。ところがこの建設業界というところはとにかく休まない。現場も薄いはずなのに必ず出てくる。日給だから仕方ないか。それに合わせる幹部社員も偉いと思う。たしかに「月給制の連中は休みやがって」ということになれば士気は上がらない。
▼土曜は帰宅後下の子がステーキが食べたいというのでショッピングモールのファミレスに。ステーキやハンバーグのプレートと、サラダ、スープ、カレーが食べ放題のセット。いつものように即断即決。誰よりも早く注文し、誰よりも早く食べ、嵐のように席をたつ。回転率勝負の店にとっては神様のような客だ。なぜ同じことが仕事でできない?
▼続いて同じショッピングモールのいつものブックカフェで食後のコーヒータイム。下の子はさっそくトイレに消える。彼は小さい頃から本屋に行くと必ず大をもよおす。僕もそうだ。なんでだろう。本特有のにおいの成分のせいだろうか。映画「百円の恋」(観とけばよかった)でブレークした足立紳氏の初小説「乳房と蚊」に、尊敬する中村稔氏の集大成「萩原朔太郎論」を購入。
▼ブックカフェではタイトルは忘れたがホリエモンの新書を立ち読み(実際には座っているがタダ読みという意味で)。ホリエモンの論旨は単純明快。人生は有限だから言いたいことややりたいことをガマンする手はない。そのためには次の3つのことに気をつけろ。①他人のことはほっておけ。②バランスをとろうとするな。③自意識とプライドを捨てろ。どれも僕のことだ。全くつまらない人間の典型だな。
▼なかなか寝つけず家人が寝静まった後で、買ってきたばかりの「乳房と蚊」を読み始めると、これがおもしろくて一気読み。売れないシナリオライターが、妻と5才の娘を伴って四国に取材旅行に出かけるロードムービーもといノベルだ。タイトルは自由律俳句尾崎放哉の「すばらしい乳房だ蚊が居る」からきている。学生の頃は放哉の句なんて「咳をしてもひとり」くらいしか知らないくせに、飲み屋で自嘲気味に披露したりして。全くどうしようもないバカだ。
▼とにかくこの小説の隅から隅まで僕にはわかりすぎるほどわかる。主人公の奥さんのセリフのいちいちが、いつかどこかで僕が妻の口から耳にした言葉ばかりだ。奥さんの態度のいちいちが、僕がこれまでの結婚生活で見てきた妻の振舞いにそっくりなのだ。彼は間違いなく自分の実体験を書いているはずだ。大柄で巨乳の妻と情けない夫。これまた僕たち夫婦そのものである。
▼これは売れない脚本家や小説家、役者や芸人を支える糟糠の妻といった特殊な夫婦の話ではない。プライドばかり高くて使い物にならないダメンズとしっかりもの奥さん、つまりは世の中のたいていの夫婦に共通する話である。これ、映画化されるんじゃないかな。映画のワンシーンワンカットが目に見えるようだ。さすがはシナリオライターだ。
▼そのままソファで寝入ってしまい、日曜は睡眠不足で午前中ウトウト。衣替えをする妻を後目にテレビ半分、文藝春秋の小説半分。ここ3回ほど文春の芥川賞掲載号を買っているが、読まないうちに次の芥川賞がきちゃうよ。しかし芥川賞も毎年半期に一度、多い時は複数受賞で年に4人も選出されていることになる。他にも三島賞など作家にちなむ賞が多数あり、その下に新人作家の登竜門たる各文芸誌や新聞主催の賞が並ぶ。大賞だけでなく優秀賞や佳作だってある。
▼もともと狭い裾野で毎年何十人もの中に入れないなんて、もうあきらめた方がいい。まあ何もしてないけど。ホリエモンに言わせれば、才能の有無なんて言い訳にすぎないが。僕はまだ何もしていない。プライドが高すぎて、実際にやってみて本当に才能がないことを思い知るのがこわいのだ。やるかやらないか、それだけだ。やらないうちは何も語る資格はない。でもどの業界も、そんなどうしようもない連中の裾野に支えられている。
▼午後から買い物に出かけ仕事用のポロシャツをユニクロで購入。夕食はタコヤキ。

なんか同じ絵面が多いな。昨日のステーキは、いつものように食べ終わってから写真を撮り忘れていたことに気づいた。
▼妻は本当にすばらしい。よく僕みたいな男にここまでついてきた。でも「乳房と蚊」のチカだって、この世知辛い世の中で豪太のそんなどうしようもないところに惹かれて結婚したのだ。その上あわよくば成功すればなんて虫がよすぎる。お人よしの上に仕事もキレキレなんてありえない。ホリエモンも言っている。「世の中全てトレードオフだ」と。危機にある物語の夫婦の年齢は39と37.ちょうど僕たち夫婦が危機に陥った時と同じ年だ。その意味でもこの小説は、たいていのなかよし夫婦に共通の物語なのだ。