大人の領分、子供の領分

相変わらず冷たい空気だ。強すぎる直射日光とのギャップについていけない。暑いのか寒いのかいったいどっちやねん。調子狂うわ。敏感な下の子がさっそくお腹を下してしまった。子供か!
▼今朝社長が人の顔見るなり「管理者養成学校の営業が『以前に○×さん(僕)よこしてくれましたよね』ってしつこいから『○×は降格した』と言ってやった」と言う。我ながらおかしくてつい「あはは」と笑うと「何がおかしいの?それでオレもつい余計なこと言っちゃてさ。『それをテレビで面白おかしく取り上げられて会社がえらい恥かいた』って。だってホントのことだもんな。ヒヒヒ」何がうれしいの?この人僕をからかうのが楽しくてしょうがないみたい。子供か!
▼今日は一般物件の隣地境界を同僚のドボクンと確認。いったん取れてしまう境界杭の位置の逃げ方など技術的なことだけでなく、そこが借家なら役所で公図と台帳を調べて土地の持ち主を特定するなど基本中の基本を教わる。一時間で一か月分学習した感じ。「そんなことも知らないの?工場担当はそういうの弱いね。民地は一センチでもトラブるからな」たぶんそういう問題じゃないと思う。個人の資質の問題だ。それも人間の種類じゃなく単に優劣の問題。僕は普通の人よりかなり劣っている。
▼ドボクンと別れ、午後からさっそく役所に行ってみる。財産分与、転居などの理由と共に、細かい罫線の間に小さな手書きの文字で土地の所有者とその住所の変遷が書き連ねられている。所有権移転の理由はたいていは相続だ。稀に売買がある。内務省という文字も見える。遡っても明治だから現在の持ち主はだいたい三代から四代目。それではとても升目は埋まらない。だからいくらボロボロになっても茶色く変色しても、最初の持ち主の名前が記された時の紙のままだ。新しい紙はほとんどない。
▼普通なら社会人一年目に使い走りでやらされる仕事だろう。細かく筆が分かれた公図とボロボロの土地台帳とを交互に眺めるうち、ある感慨が去来して手が止まる。それ以上調査を続けることができない。ここには全てが記されている。これが世界の歴史なのだ。これまで仕事ですらただの一度も役所の資産税課を訪れたことがないというのはいったいどういうことだろう。自分に関係のない世界だということだけはわかる。自分の抱えてきた疎外感の正体に思いをはせる。
▼さて、弟も巻き込んで継続中のスマホ大作戦。さっそくLINEの○×家(我が家4人+父)の部屋に招待する。ところが何を言っても絵文字とスタンプでしか返事をよこさない。あいつこんな人間だったっけ。すると上の子が「○×ちゃん(弟の名前)はおとうさんと違って、なんていうか…俗っぽい?普通の人。オレほっとしたもん」と言う。自由放任で育てたつもりでいたが、知らないうちに妙なプレッシャーをかけていたのかもしれない。反省。
▼子供といえば、山中で行方不明になっていた男の子が無事保護された。いろんなことが言われているが、とにかく素直によかったねと喜びたい。父親の話によると、車に向かって石を投げたことに対する躾のつもりで山に連れていって降ろしたということらしいが、そのこと自体は言うほどめずらしいことではないと思う。ただちょっとタイミングが悪かった。子供は時に大人の想像が及びもしないような行動をとるものだ。
▼上の子もちょうどこの子供と同じ小学2年の7才の時に、走っている車に向かって石を投げて当たり、運転手に警察に突き出されたことがある。当時は引っ越した影響かと心配したが、この年頃の男の子に共通する行動様式かもしれない。それと山に連れていって置き去りにするやり方。これも家の外に締め出す怒り方の野外(車)バージョンだと思う。常日頃愛情を注いでいるからこそ、親が怒っていることが子供に効果的に伝わるわけだ。
▼彼は隣で山狩りが行われている5日の間、一人で自衛隊の宿営地で雨露をしのぎ、水を飲んでマットの間に挟まって寝ていた。時代劇なら古いお堂や祠とかでみられるやり方だ。現代風にいえば、身体が自然にスマホの省エネモードのような状態になっていたのだろう。そこまで不思議なことじゃない。うちの子供たちも病気になるとまずは何も食べずにこんこんと眠り続け、目覚めるとほとんど治っている。
▼子供は大人が考えているよりずっとしっかりしているものだ。正直なところ僕はこの子供が上の子に見えてしょうがない。僕が豆腐製造工場の夜勤で指を二本切断した時、知らせをきいてパニクる妻に、まだ幼稚園児の彼はこう言ったそうだ。「ママ、大丈夫だよ。命まで取られるわけじゃないんだから」。全くケロッとしている。

水曜は取り忘れたと思ったら妻がバックアップしてくれていた。サーモンに今年初のとうもろこし。甘くておいしい。そのかわり妻のいない木、金は写真なし。妻がいなくても自分のスマホで撮れるのについ忘れてしまう。