モラルハザード

晴れる予報が雨が残る。それがなかなか上がらない。つまりは四六時中降っている。これが梅雨だ。今日も梅雨の晴れ間の割に曇っていた。明日はまた雨。上がれば週末は真夏日の予報だ。まさかこのまま明けきってしまわないとは思うが、少し不安だ。
▼仕事が一気に立て込んできた。これが平均的、漸進的であればどんなにいいだろうと思うが、こちらの都合で構わないような仕事なら、それは仕事ではない。少なくともビジネスではなく、公共事業か社会福祉の類だろう。毎日定時に通ってお金がもらえるような仕事は、早晩コンビニの店員くらいしかなくなるのではないか。
▼仕事が立て込んだ時に規定通りにしか働かないと商機を逃す。そこは休みなく寝ずに働くしかない。それならヒマな時に敢えて出勤する必要はないだろう。つまり完全裁量労働だ。ビジネスの評価は最終的にはいくら稼いでいくら残したかで決まる。かけた時間は関係ない。まじめだとかいい人だとか思想とか宗教も関係ない。たいへんではあるが、ある意味公平だ。
▼そんなわけで今日は週中の休日にした。昨夜は本当に気持ちが楽だった。これから毎晩明日は休みだと思うことにしよっと。ヨガ(朝の場合は自主練)に行った妻を待つ午前中はひたすら惰眠を貪る。目が覚めると何件も電話が入っている。それぞれかけ直したところで妻が帰ってくる。たいていのことはうちにいながら電話で済んでしまう。
▼昨夜見たダイエット特番で、通販サイトの管理をしている人がいて、通勤が嫌いな自分には最適な仕事だと言っていた。番組には全部で八人のデブが出演していたが、他にも部屋から出ない人が多く、太っている以前に性格に難があるように見受けられた。僕もコイツラと同じだな。要はコミュニケーション不全なわけだ。仕事はひとりでするもんじゃない。何が裁量労働だ。自分都合で仕事してるのは僕の方だった。
▼昼前に妻の運転で隣市の商業施設に出発。着くまでずっとスマホでランチの店を探していたが、着くなりどうでもよくなり商業施設のフードコートで済ます。

流行りの自然食ビュッフェ。こういうところはどうしても食べ過ぎてしまう。
▼食事が終わると別行動。妻はアパレルショップ、僕は本屋。スマホ購入と引き換えに今月から新聞をやめたので、書評欄を読む機会がなく見当がつかない。やはり何もかもヤフーニュースで代わりがきくわけではない。手探りで開沼博「漂白される社会」を購入。震災のフクシマ論でデビューした、かなり若い世代の批評家だ。
▼このところヒマな割に読書欲は低調。垣谷美雨「七十歳死亡法案可決」、ピース又吉「火花」と芥川賞同時受賞の羽田圭介スクラップアンドビルド」、井上荒野「それを愛とまちがえるから」を読んだくらい。この手の中間小説はほとんど飲み物のようなものだ。苦も無く読めてしまう。読みやすいのはいいことだが、あまりに引掛りがなくて残るものがない。
▼前二作は超高齢化社会、残りのひとつは倦怠期の夫婦がテーマ。三作ともうまく読ませる。確かにこの通りだと納得させる筆力がある。だがあまりにステレオタイプだ。エンターテイメントとしてはよくできていても、現実に問題を抱えている人たちは一般化できない個別の苦しみを生きている。そのリアリティが僕には感じられなかった。
▼例えば井上荒野の作品は、結婚して十数年になる子供のいない夫婦が、それぞれの浮気相手を伴って四人でキャンプに行く話だ。瑛太尾野真千子らが演じた坂元裕二脚本の傑作ドラマ「最高の離婚」も二組の夫婦の四角関係を描いた似たような設定だったが、僕はそっちの方がずっと感情移入できた。
井上荒野は以前にもう一冊読んだことがあるが、これらの作品は一言で言って「身も蓋もない」感じがする。ちょっと女性週刊誌の読み過ぎじゃないの?というような。普通の人はみんな、それぞれに煩悶しながらも最後の一線だけは越えずに生きているのではないか。少なくとも僕は実際に浮気や不倫している人たちを知らない。いや知ってはいるが、きいただけで見たわけじゃないのでイマイチピンとこない。
▼しかし昨今の有名人不倫の土砂降り報道を見るにつけ、僕が知らないだけで世間一般もとっくの昔に「身も蓋もない」状態になっているのかもしれない。ある程度時間的金銭的に余裕があり、それなりに容姿や地位に恵まれている人の全てが例外なく不倫行為を働いている有様だ。つまりこれもマスゾエ公私混同問題と同様、人間可能でさえあれば必ず欲得で行動し、自分にできないことは嫉妬とルサンチマンからバッシングに回る醜い生き物であることの証明のようだ。
▼月曜は写真撮り忘れどころか記憶そのものがない。少し痴呆の気がある。ヤッベーゾ。

火曜は前回「酢の味しかしない」と不評だった酢鶏ナス炒めのリベンジにスパサラ。そして今日は角煮オムチャーハンに夏野菜サラダ。

ランチビュッフェを食べ過ぎた僕はお腹が減らず食べれなかった。