戦いのフィールド

大雨の週末である。猛暑日猛暑日の間に雨が挟まると、気温差は実に10度にも及ぶ。身体がおかしくなってしまう。やはり、晴れた時の気温の上昇が異常なのだろう。昔は32度の予報は32度だったが、今予報が32度なら、実際は確実に猛暑日になる。来週も断続的に雨が降る模様。梅雨明け宣言は例年通り海の日前後になりそうだ。
▼連休前に受注した物件が今週ようやく着工の運びとなった。少し間があきすぎた。やり始めるとそうでもないが、始まる前は何年やっててもドキドキする。いくら考えても準備しても、実際に始まると足らずはいくらでも出てくる。くよくよしても始まらない。最低限の準備をしたら、あとは腹をくくる。僕もリリースの達人にならなければ。
▼今週はその現場を含む三現場動いていたが、ほとんど残業もしていない。昔は昼夜勤で三日三晩眠らないこともザラだったので、これくらい朝飯前だ。業務だけなら鼻唄まじりである。能力的には問題ない。あとは気が小さい、自信がないといった気持の問題だ。人間のステージはアタマではなくハートで決まる。技量ではなく器量だ。
▼12日ぶりに妻が実家から帰ってきた。今回はのびのびになっていたお義父さんの納骨。それにピアノも処分してきたらしい。ピアノが出ていった後の二階の一室は、すぐにヨガの練習場に早変わり。ヨガマットの敷かれたガランとした板の間がインスタグラムにアップされていた。人生は短い。感傷に浸っているヒマはない。僕も妻を見習わなければ。
▼もうひとつ、僕の実家に寄って両親にスマホのレクチャーをしてもらった。とりあえずその場でLINEは使えるようになった。ビデオ通話だけでなく、家族トークもなんら問題ない。ところが何日かたつとまたこちらからのアクセスに反応がなくなってしまった。まあ人にはそれぞれ自分のペースがある。親子とはいえ常にコンタクトをとる必要はないかもしれない。
▼今日は3週間ぶりの休み。土日連休にするために昨日は頑張って少し残業した。木、金は早く帰ってもどうせ妻はヨガ教室でいない。月の半分は帰省して、戻ってくれば海外や東京に遊びに出かけ、うちにいる時はヨガ三昧というのが冗談にきこえなくなってきた。だが人生は短い。ガマンするだけ損だ。好きなように生きたもん勝ちである。
▼大雨の土曜日は午前中水虫の外来。25人待ちの間にコインランドリーと買物を済ます。家電量販店で掃除機と扇風機をゲット。帰ってさっそく使ってみた妻は「久しぶりにストレスなく掃除できた」とご満悦。ボーナスさまさまだ。扇風機は子供部屋用。本当はクーラーを入れてやりたいのだが、居間のクーラーと同時に使うとブレーカーが落ちてしまう可能性が高い。
▼今日は下の子の誕生日である。昨日まで赤ちゃんに毛が生えた程度だったのに、早いものでもう17歳だ。合宿生活では毎回妻が帰る前日までこぎつけながら、あと一歩のところで機嫌を損ねてしまう。この子の場合ベースのマインドが重要だ。いつも僕らがそろって傍にいて安心させてやらねばならない。陸上部の彼は早朝から土砂降りの中を記録会に出ていった。
▼高校の部活は、その後続けるにしろ続けないにしろ、その人の人生のかなり重要な部分を占めることになる。こうした人生の選択は、いったいどのようになされているのだろう。下の子が走るのが好きなのは、僕の父ゆずりかもしれない。上の子が何のゆかりもないバレーボールを始めた時は不思議だったが、先日お義母さんが言うには、お義母さんのお父さんの兄弟は背が高い人が多く、バレーの選手もいたという。もちろん上の子は知る由もない。
▼自分で意識して頭でたどることができるいわゆる「記憶」以外にも、遺伝子レベルで無意識に覚えている「身体の記憶」というものがあると思う。普通の人は人生の様々な決定機に、放っておけば自然に自分に一番しっくりくる環境に身を落ち着けるものだ。そこを無理に矯めようとしても、その人にとってけして幸せなことにはならないのではないか。下の子は何事にもひたむきに努力するいい子に育ってくれた。しかし戦いのフィールドそのものを変える努力はするべきではないと思う。
イチローが日米通算安打でピートローズを抜いて世界一になった時の記者会見のセリフは、ここ最近の人の言葉の中で一番感動的なものだった。いわく「僕は常に他人に笑われてきた歴史がある。夜遅くまで練習していると、あいつどうしちゃったんだと。プロ野球選手にでもなるつもりかと。で、プロになった。大リーグに行って首位打者になりたいと言った時もそうだった。で、首位打者になった」。彼の戦いのフィールドが野球であることは疑いない。子供たちが自分の人生を生きることを願うばかりだ。

妻が帰ってきた初日の水曜は下請から届いたお中元のうなぎ。

木曜はさっそくヨガカレー。

金曜は豚肉とナスの炒めものにズリラー。