野獣降臨

数日前からセミがワンワン鳴いている。もう完全に夏だが、梅雨前線が南に下がっている分過ごしやすい。風もあり空気がサラっとしている。朝晩は涼しいくらいだ。入道雲も地平線の彼方に平身低頭したままである。これで昨日は34度。今日は陽が陰って30度。梅雨が明ければ軒並み猛暑日だな。
▼日曜は土曜に引き続き早朝から記録会の下の子を送った妻の帰りを待って参院選の投票へ。投票所の小学校の入口にはガードマンが立っている。ひっきりなしの車を捌くには必要な措置だが、近所の人が歩いて投票に来さえすれば必要ないものだ。実際には小学校の隣に住んでいる人以外はほぼ車だろう。小学生が歩いて通う距離を、大人はどうして車を使うのかな。僕もだけど。
▼どこの誰に投票していいかわからない人のために、現在の日本の諸課題について質問に答えれば、考え方の割と近い政党がわかるアンケートがネットにあると知って試しにやってみた。経済や安保などテーマ別に10の質問があり、それぞれメリット、デメリットの解説がついている。賛成、やや賛成、中立、やや反対、反対の5段階で回答するのだが、考えれば考えるほど中立しか押せなくなる。
▼それだけ日本の抱える問題は根深いものばかりなのだ。あちらを立てればこちらが立たず。万人にとって都合のいいイシューなんてない。少子高齢化であらゆることに金がかかる。財政健全化は夢のまた夢。ただ僕は、みんなが歩いて投票に行きさえすれば済む、投票所のガードマンの類の問題もかなりあると思う。政治家は不人気でも国民に「次の世代のために歩いてください」というのが仕事だ。
▼今回から18歳以上に選挙権が与えられた。意外にも18、19歳の自民党支持が、他の世代より10ポイントも高い。虚心に眺めれば、護憲、反原発の主張は古い固定観念にすぎないのだろうかと不安になる。今回初めて選挙権を得た上の子は「おおさか維新に入れた。橋下さんがいればもっとよかった」という。何にしろ若い世代に閉塞感が広がっていて、旧来のリベラルがそれを解消できていないことは確かだ。
▼僕自身についていえば、社会の在り方は利他と共助をベースに考えるべきだという信念から、多少のオペレーションのまずさには目をつぶってリベラル勢に一票を投じさせていただいた。アベチャンは小手先の経済政策の成果ばかり強調するが、人気取りの政策はやろうと思えば誰だってできる。リベラルが政策を考えるのが不得手なら、そんなの官僚が代わりに考えてやればいいだけの話だ。
▼政治家は日本をどのような国にしたいかの理念を語るのが仕事だ。自民党の理念は自助であり、国民の基本単位を家族としている。聞こえはいいが、国の負担を個人に押し付けるものだ。改憲論議にしても同じ。あらゆる考え方のベースに、個人より国家を優先させる思想がある。9条の平和主義のみならず、基本的人権国民主権をもないがしろにする思想だ。
▼その後妻といつものショッピングモールデート。サマーバーゲンで日本製よりワンサイズ大きい外国ブランドのポロシャツと短パンを買う。僕はもうユニクロのXLは入らない。うちに帰ってさっそく着替えるとチャックがない。妻が「前をおろしてするんじゃないの?子供みたいに」と言うのでそんなものかなとそのまま街に出る。デパートのトイレでしてみると、前だけではすまず子供みたいにお尻が丸見えになってしまった。
▼デパチカのオープンテラスで軽めのランチ。ファストフードもたまにはいい。

トイレついでにデザートを買ったりして道行く人を眺めながらまったり一時間を過ごす。本当にお年寄りばかりだ。いつからこんな風になったのだろう。それから妻のH&Mめぐりにつきあい、夕食の支度に戻る妻と別れ僕は映画「緑はよみがえる」を観る。

▼舞台は第一次世戦イタリア山中の最前線。「敵に吐く息が届くほどの距離で」雪中の籠城が続く。塹壕から一歩でも出れば狙撃兵の餌食だ。モノトーンの(僕はずっとモノクロ映画だと勘違いしていた。)光景に爆音だけが響き、最後まで緑はよみがえらない。その月と雪だけの神秘的な景色の中で、自由に動けるのはキツネや野ウサギといった獣だけだ。「戦争とは大地を動きまわる獣だ」。つまり人間の住む世界ではない。
▼戦後70年以上が過ぎた日本で、我々はいわば「緑がよみがえった」世界に暮らしている。ここからモノクロの戦争の世界を想像することは難しい。公式ホームページのフェイスブックで誰かがコメントしていたように「参院選前にみんなに観てほしい映画」だった。自由と民主主義のためといえば聞こえはいいが、戦争するにたる思想信条なんて存在しない。アベチャンは「国の仕事は国民の命を守ること」とのたまうが、戦争するくらいなら国の体制なんか何度でもどうにでも変わればいいのだ。

土曜は下の子の誕生日祝いに食べ放題ではない焼肉。

日曜は下の子の大好物明太クリームパスタ。

月曜は絶品カラアゲ。