ボクらの時代

週初こそ暑かったものの、今週は比較的すごしやすかった。昨日など大暑とは思えぬ涼しさだ。来週いっぱいこの傾向が続くという。夏がこの程度ならどんなに楽だろう。
▼仕事が動き始めて一気に忙しくなってきた。何の問題もない物件はひとつもない。納期も品質も守れそうにないものばかり。十分な利益を積めば端からとれない。ギリギリでとればとったで赤字の恐怖。比較的余裕のある物件は難工事だ。仕事を出す方が一枚も二枚も上手。なにもかも承知の上である。細かいことがいちいち気になってよく眠れない。むしろここまで気にせずやってこれたのがある意味驚きだ。
▼上の子は22時より早く帰る日がない。会社でも「きつくない?」「親は何も言わない?」ときかれるらしい。思えば高校の部活と同じサイクルだ。厳しい練習が役に立つ時がきた。繁忙期は2時3時になるという。これがやらされているのであれば完全にブラックだが、自分の成績のために自主的にがんばっているのだ。山積する問題を放置して遅くとも20時には帰宅して晩酌している自分が恥ずかしい。
▼合宿を終えた下の子は疲労による肉離れを起こしているようだ。多くを語らない名医のところに行ったら、診察室を出ていこうとする下の子を追いかけてまでいろいろアドバイスするらしい。「○×ちゃん(下の子)がそれをポカンときく様子がおかしかった」とつきそいの妻が笑っていた。素直で子供らしい下の子に、どの先生もつい言い聞かせたくなってしまうんだな。彼もきっと自分の限界を感じながらそいつと戦っているはずだ。健気な姿にこちらが恥ずかしくなる。
▼さて、全世界で大ブームのポケモンGOがついに昨日、日本にも上陸した。(これも古い言い方だ。配信が開始された。)下の子はさっそく朝4時から2時間自転車を漕いで「何十匹も捕まえてきた」そうだ。肉離れは?これだけきくと夏休みにクワガタをとりにいく小学生の生態だ。高2だけど。上の子も一応ダウンロードして2匹ゲットしたという。下の子は同じ種類を何匹も捕まえて頓着ない。性格がもろに出る。彼は分類の感覚が未分化なのかもしれない。
▼ゲームそのものもどんどんリアルになっているが、子供たちの生きる現実の中にゲームの占める位置が、虫取りなど旧来の子供の遊びと完全に入れ替わっている。ポケモンGOは子供に限らずかなり上の世代まで、それぞれの世代の娯楽のメインの位置にすんなり収まることだろう。今後、同種の体験型ゲームが次々と出てくるに違いない。
▼この上限は、幼少期にポケモンを見て育った世代(上の子=20代)というより、ネットリテラシースマホリテラシーの差に求められる。両親の世代はダメ。僕の世代だとかなり個人差が出てくるが僕もダメ。僕のようにパソコンでヤフーニュースを見たりブログを書くだけでは、テレビを見たりオナニーするのを別の形でやっているだけだ。本人はそのつもりでもインターネットを利用しているとはいえない。
▼面白いと思えるかどうかは要はリアリティの問題だ。僕らより上の世代は物事にどうしても意味(教養)を求めてしまう。意味のないことは時間の無駄だと思ってしまう。そういう人は端からゲームをやろうとも思わない。世代にかかわらず、意味のないことを純粋に楽しめない人、ネットやスマホをコミュニケーションツールとして利用できていない人には関係のない世界だ。
永六輔に続き大橋巨泉が亡くなった。11PM、クイズダービー、世界まるごとHOWMUCH…テレビでの活躍は衆目の知るところだが、大学在学中からジャズ評論家、放送作家として活躍し、俳句、競馬、麻雀はプロはだし。50代半ばの絶頂期にセミリタイアして愛妻と外国暮らししていたかと思えば、参院選でトップ当選して半年後にはささっさとやめてしまう。
黒鉄ヒロシが「まさに男子の本懐」と言う通り、僕なんかからすれば羨ましいほど自由奔放な生き方だが、うちの子たちは憧れどころか巨泉なんて知りもしないだろう。ラジオの時代はとっくに終わっているが、ラジオの神様である小沢昭一永六輔が亡くなり、テレビの申し子大橋巨泉が亡くなったことで、テレビ(教養)の時代も静かに終わりつつある。そしてスマホを介したネット空間が、かつてのテレビの位置を占めるのかもしれない。それは意味はないかもしれないが、誰でも参加できるフラットな空間ではある。

火曜日ポークソテーにズリラー。

水曜瓦そばにジャガイモサラダ。木曜ヨガカレーで金曜ナスとタケノコ炒めに絶品ポテサラ。