人はいかにして壊れるのか

一昨日久しぶりにまとまった雨が降った。夏にしては低めの気温がさらに下がり、夜はタオルケットなしでは寒いくらいだった。ここのところ晴れ間が少ない。東京は今日やっと梅雨明けである。西日本はとっくに猛暑日だ。このあたりも実際は東京といっしょに梅雨明けでもよかったかもしれない。暑くさえなければどっちでもいいが。
▼神奈川県相模原市の障害者施設で、26日未明とんでもない事件が発生した。26才の元職員が施設に侵入して入所者を刃物で刺す凶行に及び、死傷者45人を数える未曾有の大惨事となった。このような無差別大量殺人に際し感想は様々だろうが、容疑者の男が人間として完全に壊れてしまっていることだけは確かだ。
▼「挨拶をする明るい好青年」「小中はマジメでおとなしかった」「大学で人格が変わった」「刺青を入れ、彫師を目指していた」「完全なヤクチュウ」「母校の小学校に教育実習にきた」「父親は図工の先生、母親は漫画家」「家は施設から徒歩10分の一軒家」「両親は東京に転居して一人暮らし」…断片的な情報から凶悪事件の真因を窺い知ることは難しい。
▼神奈川の実家と、両親の転居先あるいは容疑者の通った私大が東京ときくと、土地勘のない人には随分離れているように感じられるかもしれないが、実際は八王子である。この相模原と八王子、町田などは行政区は違ってもほぼ隣接している。容疑者の通った帝京大八王子キャンパスなど大学が密集するいわゆる学園都市、都心のベッドタウンにあたる。地理的にみれば、容疑者の行動範囲は極めて狭い地域に限定されている。
▼次に縦軸である生育環境を見てみよう。地元の高校から帝京大学に進学し、教職の道を目指した。これも父親が教員であることから容易に想像できる行動だ。自らの身体に入れた刺青が原因で教職を断念しなければならなくなった彫師への傾倒も、父親が図工の教師、母親が漫画家という環境を考えれば理解できないこともない。人は自分の見てきた範囲でしか人生を想像できないものだ。
▼予断や憶測は厳に慎むべきだが、仮に彼の精神が学生時代から既にクスリ等に蝕まれていたとしても、彼をこのようなおぞましい行為に走らせた決定的な要因のひとつを障害者施設での経験に求めるのはそれほど無茶なことではないように思う。意思の疎通が困難であるような重度の障害者について僕が何を知るわけでもないが、少なくとも身内でさえ介護できずに施設に預けざるをえない現実はある。そしてそれは障害者に限らず高齢者介護にも共通するものだ。
▼彼は感受性が強すぎた。重度の障害者の悲惨な現実を正視することができなかった。やがてその存在そのものが耐え難くなる。職を離れてもなお忘れることができない。ただでさえ弱く脆い彼の精神は完全に壊れてしまった。介護は相手が死ぬことによってしか解放されることがない。これも一種の介護殺人である。人はなぜ介護殺人に走るのか。なぜならそこに自分自身の姿を見るからだ。介護殺人は究極の近親憎悪である、
▼連休の土日は基本うちでマッタリ。なぜなら妻がヨガだから。土曜は下の子の学校の高校野球の地区大会をローカルテレビ桟敷でかぶりつき。日曜は隣市までランチ&買物デート。月曜は下請の社長と同僚二人の計四人で飲み会。もつ焼き→フィリピンのコースだが、一時間ごとの延長に下請の社長がシビレをきらし、一挙に閉店の2時まで延長してしまった。長かった。
▼若い頃はフィリピンパブなんて入る気もしなかったが、年をとるほど居心地がよくなってゆく。あちらの女性はなにしろサービス精神が違う。ウエルベックではないが、まさに「他人の満足が自分の幸せ」のようだ。僕についた子はなかなかよかった。カラオケの合間に身の上話をする。日本にきて13年のベテランだ。もう35なので子供が欲しいそうだ。何人かいい人はいて一度できかけたけどうまくいかなかった。「所詮遊び」と自分が相手を信じきれなかったという。
▼翌日妻に「遅い!話したいこといっぱいあったのに」と怒られる。「それで○×ちゃんがね…」と間髪入れず地元の友人について喋り出す。「今悪く言ってるその子と次の帰省で100パー会うって請け合うよ。かけてもいい」と僕が言うと「まあね…」だって。全く女ってのはアタマの中で「これ、誰かに話さなきゃ」って思いながら友人の相談にふんふん頷いてるかと思うと空恐ろしいな。


土曜簡単パスタ。日曜ガパオライス。

月曜飲み会で写真なし、火曜ネバネバソバ。


昨日照り焼きチキンマヨに今日はナスの煮びたし