少年時代

台風のおかげで天候が不順である。快晴よりはマシな程度で随分蒸し暑い。今年の夏は本当にシブトイ。最低でも彼岸過ぎまでは暑さを覚悟しなくては。
▼土曜の夜から間歇的に雨が降り、日曜は夜中にケータイが鳴って避難準備情報が出た。もちろん僕も東北の老人ホームが濁流に飲み込まれるまでは、その正確な意味を知らなかった。避難勧告などの避難指示レベルのうち、一番軽いものという認識だった。人間は情報を意味ではなく序列で処理する。一番重いものでも避難しない人の方がずっと多いのに、一番軽いので避難する人がいるだろうか。
▼この土日は作業員を雇うほどの工事もなく、会社の土休も重なって、久しぶりの連休のはずが、両日とも朝小一時間だけどうしても立ち会わなければならない仕事があり、丸々一日は休めなかった。朝ゆっくりできないと、全然休んだ気がしない。まあ途中から出ていくのはもっと嫌だけど。
▼土曜は10時前に帰って水風呂を浴び、ブログを更新しながらヨガレンの妻の帰りを待つ。来月の家族会会場の下見を兼ねつつランチ。部活から帰ってきた下の子もついてきた。いつも混雑している和食の店。



僕は天ぷら定食、妻は天丼セット、下の子はイクラ丼。おいしいものは人の機嫌をよくする。
▼昼が押したので夕食はたこ焼き。


お隣さんが漬けた紅ショウガのデキがいい。

デザートは無花果。果物が桃→スイカ→巨峰→無花果→梨と推移していく感じが好きでたまらん。
▼翌日曜は9時に事業所を出て映画館に直行。台湾ニューウエーブの旗手、我が青春の侯孝賢監督「冬冬の夏休み」を観る。

タイトルの通り、台北で暮らす男の子冬冬が、妹と二人で母親の実家で過ごすひと夏を描いたものだ。
▼冬冬兄妹が夏休みを田舎で過ごす理由でもある母親の病気と、その病状を知らせる電話が背景にある。川遊び。帰ってこない友だちをみんなで探す。狂言回しの白痴の寒子。その妊娠。踏切のない線路。線路で転んだ妹を間一髪で助ける寒子。小鳥を返そうとして木から落ち流産する寒子。おかげで医者の祖父は危篤の娘に会いに台北に行けない…
▼全く生きているのが不思議なくらいだ。以前にも書いたことがあるが、夏は彼岸がぐっと近づく季節だ。だからこそ命の輝きがいや増す。映画ではこれらのことが順番に、遠景、中景、近景と交互にバランスよく淡々と描かれていく。遠景は山があり川がある台湾の地方ののどかな田園風景だ。中景は家並みであり門構えであり木々の枝ぶりである。そして近景はそこで暮らす人々の表情だ。日本にとてもよく似ている。
▼僕にも半ズボンの少年時代があった。小さい頃は母の身体の調子が悪かった記憶がある。弟と二人で夏休みに母方の実家に遊びに行った。親戚のおじさんに連れられて渓谷で遊んだ。父の赴任先でひと夏を過ごした年もあった。冬冬と同じように、僕もそこで知り合った友だちと遊ぶのに夢中で、あまり弟を構わなかった。全くよくぞ無事だったと思う。そのことが奇跡だ。自分にとってそれらの想い出がどんなに大切なものか、映画を観てわかった。
▼昼前に帰って、部活がオフの下の子を連れて久しぶりの釣行。ほとんど2年ぶりだ。空だけはすっかり秋なのにクソ暑い。

キスには少し遅くカワハギには早い。釣れるとすればハゼか。型は期待できないが、水温が高く魚の活性がいいのでボウズにはならない。はたして釣果は下の子がハゼ×3。僕がネコマタ(ネコも跨ぐ=食わない)×2、小魚×2。
▼気持ちのやさしい下の子は魚が酸欠にならないように何度もバケツの水を替えている。それでも針を飲んだ魚はすぐに腹を見せる。それを下の子が何を思うのか時々手にとってじっと眺めている。いつものように最後は一匹ずつリリース。下の子は死んだ魚が海の藻屑となって消えるまでずっと目で追っている。遠い将来、この日の想い出が彼の人生の支えとなることを願う。
▼夕飯は我が家の第二食堂、いつもの韓国料理店。ママにテンションの似た店員がひとり増えている。妹だろうか。その日はお姉さんは見えなかったが、すると三姉妹なのかな。

オススメのエゴマサラダにサムギョプサルセットのサンチュとネギサラダ。

フワフワの海鮮チヂミが絶品。そしてメインのサムギョプサル。

妹が豚の三枚肉をハサミで切ってくれる。最後に中央のキムチゴハンのおこげをスプーンでこそいで下の子の口に直接三回も持っていった。あのーうちの子もう高2なんすけど。まあ口をあける方も方だが。彼はまだ少年時代にいる。