喜劇、観劇

寒波の到来でいよいよ冬らしくなってきた。でも日中は相変わらずポカポカ陽気だ。夜半雨が降り出した。歳月は人を待たず。毎日がこうして音もなく過ぎてゆく。
▼オペラを観に上京して早いものでもう2週間がたつ。部活をしていた頃、よく先生が「1日休んだら3日遅れる」と言っていたが、仕事も同じで帰ってからはバタバタの日々だ。そんなこんなでなかなか感想をアップすることができなかった。全てを忘れてしまわないうちに記録しておこう。
東京二日目の朝は夫婦それぞれ。妻は師事するヨガマスターの直接指導を受けに5時台の電車で表参道の本部に。僕は前夜学生の頃世話になったマスターのバーで終電まで飲んで熟睡。オペラで熟睡しちゃいけないからね。妻が朝練から戻って再び表参道に向かう。いったい何回往復するつもり?
▼まずはコジャレたカフェでブランチ。

旬の雑貨屋を間に挟み、有名なヨガショップに開店と同時に入店して妻は地元のヨガ仲間に頼まれたウエアなどを購入。僕にはユニクロの股引にしか見えないものが一着ウン万円もする。狭い店に店員が5人はいるがペイできるはずだ。この辺のお店はヨガか英語のどちらかできれば採用だが、どちらもできない僕はお呼びじゃない。
▼それから妻が目星をつけていた千駄ヶ谷のアイスクリームショップに行くのに原宿駅まで行って随分遠回りした。明治通りを直進していれば15分は違ったはずだ。暑くてイライラする。ananが愛読書だった18の頃は、東京=原宿と思い込んでいて、暇さえあればこの辺をウロウロしていたのにすっかり土地勘を失くしている。
▼表参道を原宿駅に向かう通り向かいに南国酒家が見える。30年前の上京したてのある日、僕はここで生まれて初めてナマの芸能人を見た。店から出てきた黒柳徹子が数人の外人と談笑していた。以来八年間東京にいて、なぜか南国酒家側を歩いたことがない。原宿駅に着くと数年前鳴り物入りでオープンしたユニクロGAPになっていた。
▼アイスとジュースでリフレッシュして原宿駅に戻り、渋谷経由で一気に横浜に向かう。会場は神奈川県民ホール。終点の元町駅で降り、山下公園側に出て一歩の無駄もないはずなのに開演の15時は目前だ。東京で時刻表はいらないが、乗換にかかる10分、15分が意外にきく。学会の文化会館が先に目に入り、これと勘違いしたかと一瞬肝が冷えた。

▼なんとか開演10分前に到着。座席は3階で遠いが、オーケストラと舞台の両方が見渡せる好位置だ。ほどなく指揮者リッカルド・ムーティが登場し、すぐに有名な序曲が始まった。入りがあまりにスムーズで、僕は口パクならぬカラオケならぬエアフィルかと思ったよ。続くフィガロとスザンナのデュオも若いというか青いというか。
▼僕が聴いてきたフィガロは、主としてカール・ベーム指揮ウィーンフィルのもの。スザンナに歌姫エディト・マティスフィガロと伯爵のライバルにプライとフィッシャーディスカウの名バリトンを配す「フィガロの結婚」の決定版だが、それとは随分違う印象だ。だがすぐにそんなことはどうでもよくなってゆく。
▼外国語の歌劇は全て同様の配慮がなされているのかどうか、オペラ初体験の僕にはわからないが、舞台の両袖に電光掲示板の字幕が流れている。これによりダイジェスト版ではカットされるレチタティーボまで理解でき、筋がすんなり頭に入る。いったいオペラは音楽かお芝居か。そのどちらでもない歌劇というジャンルなのだとストンと腑に落ちる。
▼例えば導入のフィガロとスザンナの掛け合いは、二人が新婚生活を送ることになる部屋でフィガロがベッドの採寸をしているところ。ノー天気なフィガロに対し、伯爵に言い寄られているスザンナは不安で仕方がない。僕がよく口ずさむスザンナの♪ディンディン、ドンドンの擬音は「伯爵が部屋のドアをノックする」音なのだ。
▼例えば有名なアリア「恋とはどんなものかしら」を歌うケルビーノは美少年役のメゾソプラノで、アニメの男役を女性の声優がやるような感じか。そして同じくフィガロの有名なアリア「もう飛ぶまいぞこの蝶々」も、手当たり次第お屋敷の女性にちょっかいを出した罰に戦地に送られるケルビーノに対するフィガロの嘲笑なのだ。狂言回しのケルビーノはほとんど主役級である。
▼これらのことは一度でも実際に劇場でオペラを観れば、たちどころに理解できることだ。事実フィガロに興味のない妻も面白かったと言っていた。僕は30年もフィガロを聴きながら、その魅力の半分も触れていなかったのだ。それでいて飲み屋で「モーツァルトの真骨頂はオペラにある。なかでもフィガロの結婚が最高傑作だ」なんて知った風な口をきいて女の子を口説いてたと思うと舌を噛んで死にたい。
▼帰りに横浜中華街に寄って料理と観てきたばかりのオペラを反芻する。



中華街はこれでようやく三度目だが、7、8年前最初に訪れた時は店のチョイスに失敗した。下の子が頭を抱えて食べていたのが可笑しかった。学生時代は近いのに行かなかった。二度ほど来ようとしたが、なぜかたどり着けなかった。僕はホントに田舎者だと思う。田舎者が精いっぱい背伸びしてきた人生だった。でも悲劇かといえば、それもまた違う気がする。
▼帰ってきてからのウチゴハン






長くなりそうなので続きはまた次回。