それぞれの物語

今日はあたたかな一日だった。上の子は仕事で毎晩午前様。下の子は修学旅行。子供たちがいないとなんとなくサミシイ。もう12月。師走なんてあっという間だ。一年もあっという間。そして人生も。
▼今週はいろんなことがあった。仕事で久しぶりに肝が冷えた。今期はヒマな上に、早くからできる社員が応援にきたので油断したのかもしれない。試行錯誤の末ひとつの仕事に慣れて、やっとルーチンになった途端に落とし穴が待っているものだ。仕事の失敗は自分ひとり責任をとれば済む話ではない。会社なんか簡単にとんでしまう。まだ完全に解決したわけではないので気が気ではない。
▼そんなこんなで先週は残業続きだったが、膠着状態の金曜は早めにあがって映画を観に行った。深田晃司監督「淵に立つ」

「ほとりの朔子」の時もそうだったが、かなり倫理的な映画だった。倫理的なテーマを映像化している。まあそれが映画監督の仕事だが。優れた作品とは「淵に立つ」の淵、「ほとりの朔子」のほとりまで、観客を誘うものでなければならない。
▼さて、東京紀行の続きである。東京三日目はホテルを9時にチェックアウトして品川駅の港南側にカフェを探す。通勤時間帯の品川駅は物凄い人だ。人の流れに乗って運ばれていくと、ガラス張りの高層ビルに吸い込まれていく。大きな会社だけでもNTTとソニーがあった。このビルにこれだけの人の席があるのに僕の席がないのは当然としても、これだけの人のサラリーを払い、これだけの高層ビルを建ててなお利益が出るなんて途方もないことだ。ある種のシステムができあがってないととても無理な話だ。
▼お目当てのカフェがイベント中(またヨガだよ)だったので、引き返して駅ナカのカフェに入る。

店員に「お好きなパンをとって最後にドリンクを」と言われ、その通りにして支払いを済ませた後で別カウンターのモーニングセットに気づく。500円平均のパン2個とドリンクで1500円だったが、セットだと1000円くらいになる感じ。しつこく悔やんでいると妻が機嫌を損ねる。「ケチ!」と言われた気がして顔をあげると、隣のアジア系の外人が彼氏の「ケンジ」を呼ぶ声だった。小せえ男だなあ。
▼せっかくなので町田の版画美術館で開催されているホックニー展まで足を伸ばす。都内の美術イベントを検索してチョイスしたつもりが、町田はかなり遠い。八王子というか相模原、つまり神奈川県と言った方がいい。それが小田急線の特急に乗れば割とすぐだからまた勘違いしてしまう。駅を降りてグーグルの指示通り歩く。徒歩10分と出ていれば15分、15分なら20分と、どこへ行くにも必ず5分は余計にかかる。探しながら時々立ち止まるからかな。グーグルを使う人の歩き方はむしろこちらの方が近いだろう。
▼キャッチコピーは「それはポップアートから始まった」

僕はホックニーポップアートの作家ではないと思う。少なくともウォーホルやリキテンスタインとは違う。いろんなクレジットに「明るい色彩」と書いてあるけど、僕はそうは思わない。無機的で冷たい、どこか悲しげな、その意味では暗い色調だと思う。少なくとも受け取る印象はそうだ。ホックニーの代表作であるプールサイドの水色が寒色だからだろうか。
▼僕がホックニーを知ったのは、四半世紀以上も前、年上の建築家の彼女と新宿紀伊国屋書店の美術コーナーで待ち合わせた時のことだ。デートはその一度きりで、当然のことながら僕はすぐにフラれた。その記憶が、ホックニーについての僕の印象のベースになっているのかもしれない。ホックニーがまだ存命で、父と同い年だったのは少し意外だった。知った時点で既に故人だと思っていたが、同時に父の方がずっと年のような気もする。
▼展示は東京都現代美術館所収のものが多く、点数もあり充実したものだった。初期のエッチングのシリーズは初めて目にしたが、とても気に入った。グリム童話の「一度もゾッとしたことがない男が怖がることを習いに旅に出る話」をモチーフにした作品の逸話が上の子そのままで笑ってしまった。母親をフロベールの「純な心」の主人公フェリシテに重ねた連作もよかった。母親の朴訥な人柄がそのまま形になったような絵だった。平日の昼間ということもあってギャラリーは少なかったが、それでも若くて自意識の強そうな女性が見られた。
▼晩秋の公園を抜けて帰途につく。

カボチャのようなスカートをはいた▽のシルエットの女の子とすれ違う。彼女もホックニーを観に行くに違いない。見る絵は同じでも、彼女と僕の感想は同じではないだろう。それがその人の背景というものだ。彼女がこれまで歩いてきた人生の何が、ここに足を向けさせたのだろう。
井の頭線に乗り換えて吉祥寺で降り、東京ラストランチはカレーでシメる。

一日目の上野の杜、二日目のフィガロの結婚、そして三日目のホックニー展…結局のところ僕は30年以上も同じところをぐるぐる回っているわけだ。それが僕のここに至る物語なのだ。真田丸の見過ぎだな。この間のウチゴハン



昨日は子供らがいないので妻と近所の韓国食堂。