2016から2017にかけて

晦日から今日まで実家に帰省していた。とても暖かな三が日だった。この穏やかな天気が今年一年の象徴であることを願うばかりだ。ラニーニャの年は猛暑厳冬になるというが、この冬は今のところ雨が多く暖冬傾向にある。やはり温暖化の影響だろうか。
▼写真は都度インスタグラムにアップしているので、ブログは二番煎じの感が拭えず、なかなかモチベーションが上がらないが、気力の続く限りなんとか更新しようと思う。まずは一足先に妻が帰省した後の昼食事情についてランキング形式で発表しよう。一番多かったのは担当事業所近くの中華店で計7回。近いのでつい入ってしまう。







次点は会社と事業所の中間地点にある製麺所直営うどん店の計3回。どうしても仕事のルート上にある店が中心になる。



三位はやはり担当事業所近くのカツ丼チェーンの2回。


そして最後に自宅近くの牛丼チェーンが1回。これはサボって早引きした時のものだ。

18日から30日まで実に13回の外食の内訳をみると、いつ脳の血管が切れてもおかしくないラインナップだ。今回は弁当を一度も食べなかったのが特徴と言える。
▼次に朝食。



過去の合宿がパン+牛乳+ヨーグルトの定型だったのに対し、今回の特徴はレンジでごはんを活用した朝カレーが多かったこと。またカップラーメンにモチを入れたナンチャッテ雑煮も多用した。これもかなり血糖値があがりそうな食事ではある。パン食は実に大晦日の帰省前一度きりであった。

▼最後に夕食であるが、こちらは昼食とは逆に外食が少なく、ほとんどが惣菜を買い込んでのおうち居酒屋となった。





また初期においては妻が作り置いていった豚汁に過ってモツをぶち込んでしまい、やっつけるのにたいへん苦労した。

また時折たこ焼き日やチゲ鍋日を挿入することで変化をつけた。


またおうち居酒屋はハシゴ酒になることが多く、初期においては赤提灯で焼きスルメに酎ハイというパターンだったが、クリスマス以降バーでシングルモルトを覚えてからは深酒する日が多くなった。あくまでおうちの中の話である。


子どもたちとの恒例の最後の晩餐は、一昨年あたりから三人揃っての予定が合わなくなってきた。今回も28日に下の子とラーメン、29日に上の子とトンカツとバラバラの会食になった。


▼今年(もう昨年か)は晦日が仕事納めとなり、例によって仕事で一番お世話になっている沖縄の職人集団との忘年会で〆た。僕も50を過ぎて、この先何十年も仕事ができるわけじゃない。どうせなら気の合う仲間といっしょに大過なく残りの仕事人生を終わりたいと思うのが人情だ。

▼大晦日は朝からたまった洗濯物を片づけ、余裕をもって帰省の途につく。今こうしてブログを書いていると、過ぎてしまえばあっという間だが列車を待つあの瞬間が一番幸福なひとときだったのはまちがいない。

今回は行きも帰りも混雑のピーク中のピークだったが、新幹線は乗り方によっては全然苦労せずにすむ。これも学生時代から繁忙期に何度も往復してきた経験によって培われたものだ。
▼早い時間に到着して昼間から親友と居酒屋でダダ飲み。冷酒を何杯も飲んで最後は年越しそばでシメた。我ながらこの年になってお酒が強くなった気がする。



妻の実家に帰って紅白を見るも全然おもしろくない。歌の力だの聴かせるだの言ってる割にくだらん演出が多すぎる。ほんとにこんなんでいいのだろうか。それに今回は誰がどう見ても白の勝ちだろ。
▼お義父さんが亡くなってから二回目のお正月。今年のおせちはセブンから生協のものに変わり随分小ぶりで上品になった。


お義母さんの妹から毎年送られてきた牡蠣もやめたらしい。お雑煮がかしわになっていた。

妻も下の子もお義母さんが変わった変わった言うが、僕はそこまで気にならなかった。それよりも雑煮の具やおせちの変化が心に残った。
▼暮れから刺身のようなものばかりで飽き飽きしていたので、昼は初詣の帰りにちゃんぽんを食す。

それからもう一度気合を入れ直して夜の部にのぞむも、すき焼きはついに肉まではどうしても入らなかった。


▼明けて正月二日は僕の実家に挨拶。

ずっと大晦日は妻の実家、元旦に僕の実家でおせちを囲む習わしだったが、数年前から両親は温泉宿で年を越すようになった。変化は少しずつだが不可逆的なものだ。今年は下の子の顔を見せられてよかった。5人で近くのステーキ店で会食後戻って歓談。


▼三日の朝、最後のお雑煮とおせちの残りと四国のかまぼこを食べて早くも帰りの新幹線に乗る。明日からまた仕事だ。いい骨休みになった。