センチメンタルな旅、冬の旅

ラニーニャなのに暖冬だなんてほざいてたらとんでもない寒波がやってきた。集合住宅の我が家では今朝蛇口をひねっても水が出なかった。何年かに一度あるかないかの事態だ。ただ寒いだけでなく長くてしぶとい。
▼この土日は今シーズンの工事のピークで疲労困憊。年末に二度ほど山があって今週が年明け最初の山。寒さのピークと重なって最悪のコンデションながらなんとか乗り切った。こんなことが年度末まで毎週末あるかと思うと今からおそろしい。毎年のことながら因果な商売だ。心底春が待ち遠しい。早く暖かくならないかな。
▼インスタグラムを始めて約半年。実感はないが生活態度はかなり変わったと思う。新聞をやめ、本を全く読まなくなり、ブログの更新も間遠になった。三日に一度が一週間に一度、十日に一度となり、ついには二週間に一度になってしまった。この間インスタグラムは昼と夜の最低二回はアップしている。とりあえず例によって正月休み明けからこちらの食生活を振り返っておこう。
▼妻が戻ってきて合宿生活がようやく日常生活に戻った。

帰宅一日目の夜は鍋だったが生憎の残業。子供らに食い荒らされて肉は残っていなかった。野菜とうどん玉を足して一人さみしく食べる。

二日目は早くも妻がヨガ教室でカレー。妻の実家から持ち帰ったローストビーフがうまい。

三日目は地元名産の明太子を使った明太クリームパスタ。絶品。

四日目は駅伝で頑張った下の子の好物鶏のさっぱり煮に菜の花の肉巻き。菜の花は初物だ。

五日目はたこ焼きパーティー。下の子とケンカしながら食べる。
六日目は再び鍋。前回のリベンジで直帰した。妻がいるだけで食卓が明るい。

七日目は妻が得意のキッシュを焼くというのでまた直帰。仕事が進まない。

八日目は早くも二巡目のヨガカレー。下の子は妻がいないと20時には寝てしまう。

九日目は根菜の炒め煮にほうれん草のおひたし。妻の実家から持ち帰った蒲鉾がいちいちうまい。ちーかまなんて普段は見向きもしないのに下の子と取り合いになる。

そして寒さの底の昨夜はみぞれ鍋。あったまった。
▼みぞれ鍋には二つほど想い出がある。ひとつは学生の頃、例によってシモキタのマスターの店の前の路上で行われた鍋パーティ。それがみぞれ鍋だった。今思えばよく通報されなかったと思う。文字通り道の真ん中を占拠して行われた。当時の下北沢は今よりずっと賑やかだったが、今よりずっとおおらかだったのかもしれない。
▼常連ばかり地べたに座り込んで日本酒をガブ飲みし、僕はすぐに記憶が飛んだ。覚えているのは当時はまだ意識する前の最愛の彼女が店から降りてきて、誰かに呼ばれたのに僕の隣がいいと言って横に座ったこと。モヒカンのパンク野郎が僕に北朝鮮でライブしてきた話をしてくれたことくらいだろうか。
▼二つ目は都落ちして地元で塾の講師をしていた頃のこと。親友と韓国旅行に行ったときに釜山の海雲台の市場で食べた海鮮鍋。僕も彼も鍋いっぱいに盛られた白い雪の山を大根おろしと信じて疑わなかったが、一口食べてそれがニンニクをすったものだと悟ったときは本当にカルチャーショックだった。結構ペロッと食べたけど。
▼そのシモキタのマスターと店外デート(ホモじゃないけど)で待ち合わせた新宿のジャズ喫茶を、先日勝手にフォローしているインスタグラマーの写真の中に見つけた。店の名はDUG。言わずと知れたジャズ喫茶の老舗である。マスターが僕につきあってくれたのは覚えている限りで三度。一度目は学生時代僕がバイトしている喫茶店を訪ねてくれた時。二度目はエロ本編集時代いっしょにマドンナの店に飲みに行った時。三度目はマスターが法事で帰省した際、広島で落ち合って飲んだ時だ。
▼ネットでDUGのHPをみると1961年に前身のDIGがオープンしている。このとき僕はまだ生まれていない。次に新宿紀伊国屋裏の地下に店を移したのが1967年。このとき僕はまだ生まれたばかり。そして1977年、靖国通り沿いの地上3階地下1階のビルでnewDUGがオープンし、1987年にモアビル4階に移転している。
▼記憶の中の待ち合わせは1階だったから、1987年までのことになり時系列的には学生時代のことになるが、僕のバイト姿を見るのに僕と待ち合わせしていくのは腑に落ちない。するとDUGではなかったのだろうか。しかしどうせなら有名なところに行こうと約束し、偶然アラーキーが来ていたというような記憶も微かに残っているから、DUGである可能性はかなり高い。埋もれた記憶をたぐるこうした同定行為はある種の謎解きのようで本当に楽しい。
▼マスターとの待ち合わせ場所を探すために東京の老舗ジャズ喫茶を検索した際、白山の「映画館」というジャズ喫茶がヒットした。最愛の彼女との最後のデートで入った喫茶店だ。時は1990年。開店から14年目のことになる。ブログ等の写真で見る限り、外観や店内の雰囲気は記憶と一致する。その時は知らなかったが、当時から、そして現在も老舗ジャズ喫茶として有名なようだ。
▼別れる間際のカップルの話が弾むはずがない。お通夜のような雰囲気を見かねたのか、注文の品をもってきたママがそのまま僕らのテーブルに腰かけて話し始めた。「男は無口なくらいがいいのよ」援護射撃してくれるママに彼女は一言「そうかしら?」と答えた。そのときビールのつまみにたのんだ品が、確かキャベツ炒めのようなものだったと思ったが、食べログの口コミの中にキャベツ炒めの文字を発見した時は心が動いた。
▼その時のママがどなたか知りたくて、そのままネットで店のオーナーを調べてみた。現在のオーナーは結構有名な歌人かなにかのようだが、開店当初のオーナーは若い頃ドキュメンタリーを撮っていたとかで、「映画館」という店名はそこからきているらしい。ママは当時もかなり年配だったから、マスターの奥さんだったかもしれない。なにしろ四半世紀以上前のことだ。
▼あの日と同じように「映画館」を出て、ストリートビュー白山神社に向かう。記憶では随分長い階段だったような気がするが、なだらかな坂道に続く階段は思いのほか小さなものだった。しかし僕が彼女に引導を渡されたのは確かに白山神社だということを確信した。地下鉄白山駅により近い心光寺ではない。「映画館」との位置関係から白山神社以外ありえない。今回そのことがわかってよかった。
▼この間のお弁当。