寒明け

立春の昨日は久しぶりに寒気が緩んだが、今日は再び冷たい雨。今週はまた一段と冷え込むという。春はまだ遠い。
▼この寒さに子供たちも風邪をひいた。上の子はかなり前からゴホゴホやっている。帰宅はだいたい23時。ごはんを食べるとそのままソファで寝る生活では治るものも治らない。学校でインフルエンザが流行っている下の子も昨日からダウン。熱は37度台だがインフルかどうかは微妙なところ。基本が丈夫なので症状が軽いだけかもしれない。
▼下の子は今日は部活を休んだ。なによりも部活が最優先の子供たちだが、不思議と病気やケガをおしてまで無理はしない。逆に僕は無理がきく方だった。熱があっても学校に行ったり、ケガをおして試合に出たり。こういうことは表裏で、一方で仮病で休んだりサボることもあった。子供たちが気分屋の僕に似ず素直に育ってよかった。
▼相変わらずブログの更新意欲が乏しい。インスタグラムの熱狂も一時ほどでもない。自分はお弁当とウチゴハンしかアップしないくせに、他人の弁当や料理には興味が持てない。フォローしているのは主としてハイセンスな街撮り、アート系、陶器筋あたり。僕はミスマッチがひどすぎる。仕事でもなんでもそうだから、この傾向は僕の人格に根差すものだ。要するに文化的なものに憧れる田舎者だ。
▼フォロワーは増えないのにフォローばかり増えるのも癪なので定期的にフォローをはずしてバランスをとっている。実際フォローした外国の人が連投する人だったりすると、時差で寝ている間に物凄い数の写真がたまっいて本当に見たい写真までたどりつくのに苦労する。仕事中に四六時中スマホをいじれるわけでなし、現実的に目配りできるフォロー数はせいぜい100前後だろうか。
▼フォローする人に特に決まりはないが、まずビジネス系は×。次に基本的にSNSなので、一定期間フォローして全く反応がない人も×。交流を望まないなら、ただ撮って眺めていればいい。わざわざ共有空間にアップする必要はない。ただし外人はこの限りではない。言葉の関係から僕の方からもアプローチしてないので。
▼フォローやいいね!はともかく、コメを無視する人はまずいない。途中から無視されるようになったとしたら、それはこちらの側に問題があると思うべし。馴れ馴れしいか、しつこいか、まあその辺だ。あとはできるならテーマに偏りがなく全体にその人が顕れるものがいい。僕も今のところほぼフードネタだが、いずれは偏りのないものにしていきたい。とにかく食べ物でなく、建物でなく、自己言及しない。そういう人に私はなりたい。
▼ブログの方はうれしい誤算があった。長らく更新が途絶えていたブロガーがブログを再開したのだ。最後のブログの内容からこのまま終わってもおかしくないと思っていたので喜びもひとしおだ。まず彼女のブログを再び読めること。それにより彼女の誠実な人柄にブログを通して触れることができること。そして彼女の無事を、彼女がまがりなりにもブログを再開しようと思えるまでに回復したことを確認できたことがうれしい。変態か!
▼最新エントリは佐渡紀行。僕も大学三年の秋に佐渡に渡ったことがある。彼女はアクティブにレンタカーを借りていろんな場所を訪れているが、失恋傷心旅行の僕に外界に興味を抱く心の余裕はなかった。正直覚えていることといえば、殺風景な海岸を歩いたこと、北国行に備えて携行した上着が暑くて荷物になったことくらいだ。
佐渡から本土に戻ると、そのまま日本海側を北上した。日本一の米どころである。見渡す限りに広がる金色の稲穂がトルストイの描く穀倉地帯の描写と重なり妙に納得した記憶がある。同時に刈り入れの済んだ田んぼに落胆した気もする。青森に差し掛かるあたりでは延々連なるリンゴ畑に感嘆したのだから、時期的にみておそらく後者が正しい。人の記憶は当てにならないものだ。
▼それから本州最北端の下北半島まで行った。砂浜でも護岸でもない薄野がそのまま海に落ちるような淋しい海岸線を初めてみた。厚い雲間から一筋光が洩れている。静かで波の穏やかな入り江の町に二泊した。二階建て以上の建物はなかった。自衛隊員募集の看板より大きな掲示物は見当たらない。イタコで有名な恐山にも足をのばした。何があるわけでもない。復活した彼女のブログで知ったが佐渡にも賽の河原があるらしい。
▼明けない夜はない。今は寒くても必ず春はやってくる。今はどんなに悲しくて、涙もかれはてて、もう二度と笑顔にはなれそうもないけど、そんな時代もあったねといつか話せる日がくるわ。あんな時代もあったねときっと笑って話せるわ。(Ⓒ中島みゆき「時代」)そう彼女に、そして自分自身に歌ってあげたい。変態だ。
▼恒例のウチゴハン。インスタの世界では木曜は木造日のようだが、我が家では木曜はカレーの日


続いて金曜は先週が豚肉のケチャップ炒め、今週はトリマヨ。妻は木、金連続でヨガ教室の講師をしているが、二日連続でカレーでないだけでもエライと思う。


続いて土曜日は先週が鱒のソテーに豚しゃぶサラダに中華スープ。今週は豚丼全部乗せ。


先週の日曜は妻と二人で久しぶりにオーソドックスなお好み焼きを食べた。めんどくさいけど自分で焼いた方が楽しい。物事はすべからくそうだ。ものぐさは人生の大半を損しているようなものだ。

月曜はキッシュ。「焼けるよ」のメールと同時に消防士なみのスピードで会社を出たのに既に下の子にかじられていた。



給料日の火曜は正月以来の完オフ。昼間成人病の月イチ検診、夜はしゃぶしゃぶ食い放題。サイドメニューも食べまくって病院の意味全くなし。

月が替わって朔日は映画の日。仕事をフライング気味にあがって懸案の「この世界の片隅に」を観にいく。エンドロールにこの映画のクラウドファンディングの出資者の名前が完全に流れ終わるまで、誰ひとり席を立つ人はいなかった。身じろぎひとつ、しわぶきひとつ聞こえなかった。こんなことは初めてだ。そんな映画だった。

その晩はブリ大根に大根葉炒め、カリブロサラダ、逆キャベツロール。

三日の節分は下の子はまだ喜ぶだろうと久しぶりにお菓子を買って帰るともう寝ていた。妻もヨガで不在とはいえ、ちょっと残業しただけなのに。うちの子たちは誰もいないとすぐに寝てしまう。きっとおもしろくないのだろう。


今日は二週連続のランチデート。日曜の昼くらいいいでしょう。先週は昼休みに抜け出したのだが、今日は雨が強くなったので午後からの作業を中止した。妻はかき揚げ丼、僕はカキ丼。実は僕、先週もカキフライを食べていた。

子供の頃牡蠣にあたってひどい目にあって以来、大人になるまで怖くて口にしなかったのが嘘みたいだ。

そして晩ごはんは明太スパにピザにカリブロサラダ。
▼最後にこの間のお弁当。







僕らはこの世界の片隅に生きている。それ以上でも以下でもない。卑屈になる必要はない。そのことにもっと誇りをもっていい。