運命

土日としっかり雨が降って、ガラリと空気が変わった。名実共に秋の到来である。
▼金曜は定時であがって映画館にダッシュゴーストライター疑惑で世間を騒がせた佐村河内守氏のその後を追いかけたドキュメンタリー「FAKE」を見る。

折しも佐村河内氏が自身の楽曲の使用料として未払いの700万を求めJASRACを提訴したばかり。一昨年の騒動以来久しぶりにメディアに露出したタイミングである。全聾の天才作曲家として「現代のベートーベン」と持ち上げられた氏の楽曲の全てが、現代音楽家新垣隆氏の手になるものだった事件については今さら説明する必要はないだろう。
▼監督はオウム真理教広報副部長荒木氏を追った「A」の森達也。マスコミの報道とマスコミに踊らされる世論に対して常に懐疑的な、いわゆる逆張りのジャーナリストだ。森は事件以来ほとんど表に出ず、奥さんと二人でマンションに引きこもる佐村河内氏にカメラを向ける。髪を切り、髭を剃って臨んだ謝罪会見から半年。氏は再び元の長髪、無精髭、サングラスの胡散臭いルックスに戻っている。
▼「佐村河内さんの不利になるような番組には絶対しません」出演交渉の際の約束にもかかわらず、氏を貶める内容になっているバラエティ。被爆手帳を見せながら父親が「世間は一人残らず敵に回った」と嘆く、マンションで親子で迎える正月。「音が聞こえなくても旋律は頭の中で流れている」と擁護する全聾のメンタルトレーナー。アポなしで新垣氏の新著のサイン会を訪れ、その後新垣氏サイドが取材依頼を拒否した旨のテロップが流れる。一貫して森は佐村河内氏の言い分に耳を傾ける。
▼その潮目が変わるのが「ニューリパブリック」誌取材時の撮影だ。「18年間新垣氏に代筆を頼んでいたのはスコアが読めないからっていうけど勉強しようと思わなかったの?そんなに難しいことじゃないじゃない?だって読める方が便利でしょ?」佐村河内氏が持ち出した指示書を見ながら「これを普通の人は音楽とは思わない」記者の質問は単刀直入だ。本当は耳が聴こえるかどうかなんて二次的な問題に思えてくる。
▼これを受けて森氏もついに佐村河内氏に本質的な質問をぶつける。「佐村河内さん、作りましょうよ。あなたが本当に音楽が好きなら、このブランクの間に頭の中に音楽が溢れているはずだ」そしてネタバレ厳禁の「衝撃のラスト12分」に続くのだが、簡単にネタバレしてしまうと、シンセサイザーに打ち込む形で、彼は大河ドラマのテーマソングのような曲を一曲作ってしまうのだ。
▼これをもって「やっぱり佐村河内氏には曲を作る能力があって、新垣氏に協力してもらってただけなんだ」とか「やっぱり奥さんが共犯者なんだ」とか「やっぱり耳が聴こえてるんだ」とか感想は様々だろう。ただ僕にはどうしてこの期に及ぶまで、つまり自身の味方をしてくれるドキュメンタリー映画のラストシーンになるまで、散々促されてやっと重い腰をあげるような形でしか大好きな作曲行為に至らなかったのかという疑問の方が大きくなってしまう。
▼振り返れば佐村河内氏を擁護するエピソードであるはずの場面にさえ、隠しようもなく立ち現われてくるものがあった。「一番信頼していた友人からも裏切られた」と嘆く父親の横で何度となくうなずく息子。「聴こえなくても口話である程度予測がつく」と佐村河内氏を擁護するメンタルトレーナーの話し方が、氏とは比較にならないほど聾唖者のそれであること。なにより隠し撮りまがいの突撃取材にも嫌な顔ひとつせず応える新垣氏の晴れやかな顔。
▼FAKEという同じ結果にたどりつくために、我々はそれでも逆張りのやり方で検証し直さなければならないのだ。相手の非を一方的に糾弾するやり方は、全聾の天才作曲家という語彙矛盾を盲目的に信奉するメンタリティーと表裏だ。そもそも我々に佐村河内氏を笑う資格があるだろうか。図面は読めないし引けないけど、毎日作業指示書は書いて仕事してるつもりの僕も、ある意味佐村河内氏のようなものだ。
▼「技術屋」佐村河内氏が新垣氏の印象をきかれた時の答えだ。まるで曲の発想の部分は自分で、彼はただそれを音符に直しただけと言わんばかりだ。しかし音楽とは、その「発想を音に変換する行為」のことを言うのだ。それは建築でもデザインでも他のどんな仕事も同じである。努力して身につけたその分野の専門的なスキルを駆使してアイデアを具現化する作業。それは才能はともかく、訓練により修得した技術を持つものだけに可能で、誰にでもできるわけではない。
▼とはいえ人はさだめに従って生きるほかはない。彼がこんな風になったのも、ある意味運命の悪戯だ。僕がこの映画で印象的だったのは、来客の際お茶請けとして供される大きなケーキ。それに佐村河内氏が奥さんの作ったハンバーグを前にひたすら豆乳を注ぎ飲むシーン。「豆乳が好きすぎて毎食必ず一本飲むんです」どうでもいい話だ。だが我々もまた、同じようにインスタグラムに自分の趣味嗜好を撮ったスナップをアップし、ブログで自分語りをやめることができないのだ。

金曜はトリマヨに芋サラダ。映画の後はまっすぐうちに帰って食べる。

デザートのタルト。

土曜はちょっと高級な回転寿司。

大トロ一皿680円(税抜き)。スリリングだ。下の子に一枚だけ食べて同じ種類の皿を二度と食べるなと言ったら妻に怒られた。総額は100円寿司の時の倍になる。

その後下の子をうちで下してブックカフェでまったり。寿司を食べると喉が渇く。

友だちに会いに

相変わらず暑いが、そこここに秋の気配を感じる。一面に色づく田んぼ。むせかえるような稲穂の匂い。刈り入れも近い。秋風に法被をなびかせながら、男衆が祭りの準備に余念がない。人間の季節の営みが、遅れ気味の自然の背中を押しているようだ。
▼過日、親友からのメールで、高校の同期の親御さんが亡くなったことを知った。既に終わった葬儀に参列した知人が、我々の姿が見えなかったので連絡してくれたそうだ。参列者は故人の関係者と、同期の関係者は勤務先である大学が主だったらしい。つまりお医者さんである。もう何年も会っていないとはいえ、高校の部活で同じ釜の飯を食った者としては一抹の寂しさを覚える。
▼柔道部のみんなで卒業旅行に行く前の晩、彼の家に集まって焼肉をご馳走になった。その時は親父さんも僕によく声をかけてくれた。最後に会ったのは十数年前のやはり柔道関係者の葬儀。僕を認めた親父さんは怒ったような顔で睨みつけ、口もきいてくれなかった。僕の思い過ごしかもしれないが、まるで僕が息子の友人としてふさわしくないとでもいうかのようだった。それというのも僕はこれと同じ視線を過去に浴びたことがあるからだ。
▼結婚して数年後のことだ。当時都落ちしていた僕は地元の彼といっしょに母校の同窓会に出ていた。その日彼はすれ違う人ほぼ全員と立ち止まって話をし、その都度僕は横で話が終わるのを待っていたのだが、途中やはり医者になったヤツと同業者同士特に話が長くなった時のことだ。そいつが別れ際に「なんだこいつ」というように明らかに敵意のある目で僕を一瞥したのだ。まるで「オレたちの仲間としてふさわしくない」とでもいうように。親父さんはその時の男と全く同じ目をしていた。
▼高校の柔道部で、僕らの学年は団体戦の人数と同じ部員5人の小所帯だった。入学当初は6人いたが、途中で一人やめた。レギュラーになれないからやめたのではないが、数の力学が全く働かなかったということはないと思う。体の大きな選手はおらず、全員が中量級だった。他の学年に比べ特にまとまりがよかったわけではないが、引退式の時先生が「学年ごとにその代の柔道の色というものがある。お前たちにも確かにそれがあったな」とおっしゃってくれた時はうれしかった。
▼五人全員が柔道経験者だった。二人は幼少の頃から町道場に通っており、あとの三人は中学の部活から。町道場出身が主将と副将をつとめ、彼は副将だった。実力的には五人にさして差はなかったと思う。強いて言えば勝負に対する執念が違った。それはまだ物心つかない子供に武道をやらせる親の負けん気が影響していると思う。亡くなった親父さんも道場の顧問で、応援にきた試合会場で息子の柔道着の襟をつかんで指導するほど熱心だった。
▼少ない人数で毎日同じ顔を相手にしていると煮詰まってしまう。僕はすぐに飽きて以後真剣に練習することはなかった。本番で頑張ればいいと思っていた。そういう時でも彼らはけして力を抜かなかった。それはマジメというよりは、やはり負けず嫌いといった方が近い。本番に強かった僕は練習で彼らに投げれられても実力は自分の方が上くらいに思っていたが、そういう漠然とした感覚はともかく、彼らとしては目の前のひとつひとつの具体的な力関係で下になりたくないわけだ。
▼こんなこともあった。主将の家に遊びに行った時のことだ。お母さんが僕に目をとめるなり上から下まで品定めするようにねめまわして、「あら、この子強そうね」と言ったのだ。その態度にひどく驚いたことを覚えている。その時は理由がわからなかったが今はわかる。僕の母なら自分の子供をよその子と比較するなんてありえないことだからだ。父も試合を一度見にきたきりだった。両親が頓着なく見守ってくれたおかげで、僕たち兄弟はそれ以上頑張る必要がなかった。
▼副将の彼は医者になったが、主将は日本を代表する大企業に入り、同窓会の頃は地方の事業所にいて30そこそこで自分の親世代のリストラを手掛けていた。もうすっかり縁が切れてしまったので正確なところはわからないが、今頃は本社の部長くらいにはなっているだろう。それくらいそつのない男だった。今、二人のことを思い出しながら勝ち組の条件を考えると、やはり勝利への執念のような気がする。そしてそれはそのまま親の期待の現れでもある。
▼母親の期待を背負った主将はともかく、父親の期待に応えようと努力した副将はいいやつだった。男の子なら普通は男親の期待に応えようとするものだ。その意味で彼はこれ以上ない孝行息子だったことになる。互いに結婚式のスピーチまでしたのに(僕は二次会だけど)すっかり疎遠になってしまった。なんにしろ光陰矢の如し。人生あっという間だ

玉子焼きに肉野菜炒めに出来合の惣菜に冷凍食品各イチの毎日同じ弁当だが不思議に飽きない。

水曜はオクラの肉巻きに芋サラダ。

そして今日はヨガカレー

インスタグラム臭

10月になった。相変わらず雨模様で蒸し暑い。今週は木曜まで雨、金曜を挟んで土日も雨の予報。台風18号が暑さも雨もみんなまとめて持ってってくれないだろうか。
▼日曜日。朝目が覚めて休みだと気づいた時の安堵感がハンパない。それだけ気が張ってるということだ。朝が早いのは同じだが、ゆっくり「住人十色」を見る幸せ。今週の住人は北海道の保育園を敷地ごと買い取ってリノベーション(この言葉もなんだかな。リフォームでいいじゃん)した。なんと500㎡で90万!坪六千円である。国が大手デベロッパーに五輪用地として都心の一等地を破格で払い下げるのは頭にくるのに、個人相手にこの程度の物件だと何とも思わない。ホントは規模の問題じゃないんだろうけど。
▼それにしても豊洲はそもそもの初めからおかしいことだらけだ。普通の商取引なら汚染土の処理費用が土地の価格に反映されないはずがない。豊洲40ヘクタールの土地に対して東京ガスに支払われたのは1980億。後から土壌汚染対策費が860億かかるなら、普通はその分を引いて1120億になるはずが、実際は2840億かかったことになる。土地の値段は事実上71万/㎡の坪230万。うちの近所(政令市の山の手)の十倍だ。これが適正かどうか、僕には判断がつかない。
▼他方、盛り土は40万㎡×4.5mの180万㎥。10,000/㎥としても180億。建物の地下を埋め戻さないことで、建坪半分として100億くらいは浮くだろう。これが裏金としてどこぞの誰に流れただのゼネコンが儲けただの言われているが、どこにもいっちゃいない。元々設計数量に入ってないんだから。都の担当者としては節約したつもりなんだろうけど、最初に間違えると取り戻すのは難しい。東京ガス通常の3倍払って、盛り土しないことで3%節約するようなものだからだ。話が逸れた。
▼ご主人は光学系の技術職から脱サラして家具職人になり、保育園のリフォームも自ら手掛けた。最初の会社を辞めてから家具づくりを勉強して製作会社に所属し、マイホームの入手を機に独立した。そこまでに何年もの時間を要しているが、会社勤めの蓄えもあったのだろう。冒険的に見えて、その実かなり計画的な人生だ。逆に好きなように生きるには、用意周到な計画が必要だ。かのフロベールも「独創的な仕事は規則正しい生活から生まれる」と言っている。僕のように行き当たりばったりでは何事もなしえない。もちろん家も建たない。
▼その後はスマホでひたすらインスタグラム。ウマイヘタは抜きにして、写真はその人の趣味嗜好から生き様まで全てが写り込んでしまう。風景や食レポ、セルフポートレートからオモシロ写真といったテーマもそうだし、構図や光の具合もそう。その人に世界がどう見えているか、その人が世界の何を見ているかがほとんどわかってしまう。極端な話、写真のセンスがない人は、美しいものを美しいと感じていないかもしれない。僕も含め、たいていは食べ物の投稿。みんな三度のメシだけが楽しみなのだ。
▼しかし同時に、ただセンスのいいコジャレタ写真を撮ることに何か意味があるのかなとも思う。見る人の世界観を変えるような写真なら別だけど。そんなのはアクセスフリーの公開の場ではめったにお目にかかれない。スマホの機能を使って後から補正されたものなどは論外。ブレイクした芸人ではないが、「ゴッホより普通にラッセンが好き」と告白しているようなものだ。
▼ランダムに眺めるうち、那須の山中で暮らしている人を見つけ、フォローさせていただいた。那須は子供の頃、仲のいい三家族でキャンプに行った想い出の場所だ。僕が住んでいたところもかなりの田舎で、探せばカブトやクワを採るのに苦労はなかったが、那須では道を歩けばそれこそ掃いて捨てるほど転がっていた。一泊する間にミヤマも二匹ほどゲットした。難易度でいえば、うちのカナブンが那須のカブト。コクワがミヤマという感覚か。
▼子供も小さく、まだ若いだろうに立派なものだ。時々東京に出ているようだけど、いったいどんな仕事をしてるんだろう。根が貧乏性なので、まずは経済的なことが気になってしまう。実際は普通にローンを組んでいるだけかもしれない。単にスナックのホステス相手に朝までバカ騒ぎするより、木立の中でモーニングコーヒーをすする方がいいという選択の問題だ。だが写真に全く生活臭がないのはどういうわけだろう。自然に囲まれた理想的なライフスタイルを申し分のないセンスで切り取った写真の、それもまた紛れもない属性のひとつに違いない。







生活臭プンプンの僕の写真。もちろん全部メシの写真。フォロバはまだない。

アップダウン

9月も終わりというのにいつまでも蒸し暑い。そしていつまでも雨がやまない。梅雨よりひどい。おかげで工期に余裕があるはずの現場がなかなか終わらない。この2週何もできず、逆に1週分仕事が増えた感じ。なんだかなあ。
▼相変わらず心配事が多くよく眠れない。1時まで眠れないか、寝ても1時には目が覚める。それからまた3時に眠って5時には起きる毎日。睡眠時間は平均4時間あるかどうか。単に加齢のせいかもしれないが、仕事に責任が出てきた以上、たぶんリタイアするまでこの調子だろう。そんな生活があと10年程度で済むのなら、ある意味50まで自覚のない子供でよかったかも。
▼約2週間ぶりに妻が帰ってきた。せっかく戻っても、二夜連続でヨガ教室で不在なので下の子はご機嫌斜め。時々ママが車の横に乗せて走ってやらなければならないワンコのようなものだ。昨日うちに帰ると、それまで部屋の隅に山になっていた洗濯物がなくなり、きれいに掃除されてテーブルクロスが変わっていた。同じ社宅の3Kの間取りが、単身世帯のそれから高度成長期の核家族のそれへと早変わりだ。
▼もう子供も大きいので希望という言葉は使いにくいが、我が家にはまだかつての古きよき時代の喜びと光りがある。それを具体的に支えているのは、生活の細部にわたる妻の気配りだが、僕もけっこう寄与していると思う。我々は自分が記憶しているものしか再現することはできない。両親から譲り受けたもののうち、僕が一番感謝しているのは幸福の感受性だ。この無形の財産を子供たちに伝えれば、僕も人としての務めは終わったようなものだ。
▼ヨガから帰った妻が僕の顔を見るなり立て板に水のごとく喋り出す。始めの頃は妻の帰りの時間が近づくと「お腹が痛い」と子供のような引き止め工作が始まったお義母さんも、最近はすぐにまた戻ってくると安心したのかすっかりそんな素振りは見せなくなったらしい。そりゃそうだ。ほとんど半々だもの。僕にえらく感謝しているという。こちらに越してきた当初「帰りたい」と弱音を吐く妻に「まかりならん」と怒った強気のお義母さんの面影はない。おかげで頼りない僕もようやく親孝行ができた。
▼忙しいのと目立ったトピックがないのとで、ここんとこシュウイチの更新がやっとだ。先週末は客先の退職者の送別会に社長と参加。二次会は参加せず、別途大手の所長を接待。クラブ→スナックと回って3時まで。中座した社長が払っていったお金では足りず、追い銭を取られてしまった。年季の入ったホステスと下ネタ&カラオケエンドレス。あんなバカ騒ぎも久しぶりだ。
▼おかげで日曜は完全にグロッキー。一日一歩も外に出なかった。それくらい倦んでいたので、意気投合してアドレスを交換したホステスからLINEでもきていれば浮気していたかも。月曜になって来店催促しても遅いわ!火曜は同僚とチェーンの居酒屋。生大ジョッキ二杯も飲めば酔っ払うところ、その後ウーロンハイを何杯飲んだかわからない。そんなに飲めるなら飲み放題にすればよかった。若い連中が意識が低いという話。でもそれは我々ベテランにも問題があるということでは?
▼水、木と、飲み会続きでたまった事務仕事をガーッと処理して両日とも21時を回る。地方公務員女子ブロガーに比べればかわいいものだ。締切ギリギリまで待って最低限の仕事する。今期は省エネでいくと決めた。いつもか。集中するためにスマホシーナ&ロケッツとRCをイヤホンフルボリューム。周囲の雑音は遮断したが、かえって集中をそがれる。選曲ミスか。父の傘寿の誕生日に電話を入れるも出ない。LINEしておくと翌日スタンプが返ってきた。使えないわけではないらしい。ただ我々のように四六時中スマホをいじってないだけのことだ。
▼そして本日、一般には上期、当社では四半期を終えた段階で妻から「給料がいつもより多い」とのメール。理由は三つしかない。①夏季休暇出勤分②昇給③ナニカノマチガイ。①か③と思って明細を見たら、ないはずの②だった。でもちっともうれしくない。給料があがって手放しで喜ぶ人の気がしれない。サラリーに見合う職責を思うとプレッシャーで気が重い。

合宿中、近所のとんかつの名店でチキンカツ。チキンも絶品。

2週間ぶりのお弁当。デリシャス。

2週間ぶりのウチゴハンマリメッコ風のテーブルクロスは品数が多く見える。

デザートは妻のヨガ教室の生徒の手作りフルーツゼリー。プロ級だ。

泥沼

秋分の日は雨模様の涼しい一日となった。もちろん休みではない。お彼岸を前に台風16号が列島を縦断(横断)し、秋の条件が整ったように見えたが、来週はまた残暑がぶり返すらしい。30度を超す予報もある。その前に雨がやまない。いったいいつまで続くんだろう。
▼長雨に祟られて9月工期の現場が延び延びになっている。なにしろ雨でぬかるんで整地ができない。現場はぐちゃぐちゃの泥沼状態である。客先に余裕を見て申告した工期をいっぱいに使う最悪のパターンだ。工事が終わっていないのにスタッフが散り散りになる前に先に打ち上げを済ませたことは書いた。
▼さて長雨と僕の手持ち工事と同じく先の見えない都の豊洲新市場移転問題。前回のエントリーで見たように、新市場は建物を建てる立場で考えると非常に効率よく作られている。工事はあらかじめ土をさらった状態から始められ、難しい建物の内側は埋めずに簡単な外側だけ埋めた。通常のGLから始めた場合に発生する掘削と埋め戻しの二つも工程を省くことができ、かなりのコスト削減効果があったはずだ。
▼ところで用語の問題だが、普通土壌汚染対策で土を盛る行為は「覆土」と言い「盛り土」とは言わない。読んで字のごとく汚染された部分を覆う役割である。「盛り土」は「覆土」に比べればずっとポピュラーな言葉だ。建設工事で土を入れればみな「盛り土」となる。豊洲地下空洞問題では当初から「盛り土」が使われ「覆土」という言葉はきかない。土壌汚染対策なのになぜ?そこに違和感を覚えた。
▼もう少し見ていこう。元の地盤から2mの土を全て入れ換え、さらに2.5m土を盛る荒川水位プラス4.5mを現状地盤に設定した根拠は何か。土壌汚染対策の前提とされる「盛り土」は専門家会議の提言と思っている人も多いかもしれないが、この数字は元々都側から専門家会議にトスされたものらしい。
▼そしてこれは降雨時に上昇する地下水位の上限値でもある。工事前、この土地は雨が降ると沼地になっていた。つまり土壌汚染対策如何にかかわらず、ここまでの盛り土は必須なのである。地下水監視システムもしかり。汚染物質のモニタリング以前に、ポンプアップして地下水位を管理しないと商品が水没する恐れがある。
▼要するにここで行われていることの全ては、徹頭徹尾建設工事上の要請に基づいたものである。土壌汚染対策如何にかかわらず、建物を建てるにあたって当然必要な措置ばかりだ。表向きの理由はどうあれ、実際の施工に携わる関係者の念頭に土壌汚染対策は一切ない。そしてそれは最初から、設計段階からそうだったことは前回見た通りだ。
▼ところがおかしなことに、盛り土を初め本来建設工事の範疇に属する工種のかなりの部分が土壌汚染対策工事として契約されている。豊洲盛り土問題の本質は、元々は建設工事範囲の項目(しかも相当手間が省かれている)に、土壌汚染対策の名目で莫大な追い銭が支払われているところにある。だから安全が担保されれば問題ないということにはならない。
▼この件は食の安全の問題というより、単に土壌汚染対策関連で500億が858億に、建設プロパーで当初予算の900億が2700億の三倍に膨れあがったという事実の問題である。狭い豊洲のひとつの事業を建物ごとにわざわざ三つの工区に分け、それぞれの入札に大手ゼネコン一社ずつしか参加せず、落札率が全て99.9%だったことの問題である。事前に情報が洩れ、談合が行われていたことは明白だ。
▼安全は、ここでは単に工事の前には「安全のために念には念を入れて盛り土を」とゼネコンが金を引っ張ってくるダシに使われ、工事が終われば「安全性に問題がないなら盛り土がなくてもいいじゃないか」という口実にされるアリバイにすぎない。公金はこれまでもこのように引き出され、この際限のない横領が東京五輪でさらに大規模な形で行われようとしている。この流れに異を唱えるものは誰であれ消される。イノセもマスゾエも節約を言うものは例外なく失脚する。
▼先日の会合で社長に「自分でミスしておいてそのお詫びと称して接待するなんてマッチポンプもいいとこだ」と怒られたが、僕のやってることなんて豊洲の盛り土に比べればかわいいものだ。過剰な安全対策で値を釣り上げて、実際には必要ないとやらないなんてこれ以上のマッチポンプもないだろう。例によってゼネコンはだんまりを決め込んでいるが、意図して誰かが絵を描かない限り当初予定の3倍もの金を引っ張ってこれるもんじゃない。



合宿中はどうしても似たような食事になってしまう。そのうち脳の血管が詰まるな。


忙しい最中にも気分転換は必要だ。

負うた子に教えられ

昨日までひどく蒸し暑かったが、雨が降りだして少し涼しくなった。列島を秋雨前線が見事に貫通している。それをめがけて次々に台風がやってくる。9月はほとんど雨、10月もヤバイらしい。すがすがしい秋晴れはいつやってくるのだろう。
▼下期が近づくにつれて少しずつ忙しくなり、なかなか更新することができない。PVが伸びないのもむべなるかな。せっかく訪問してくれても更新されてないんじゃそのうち来なくなるわな。いろんなことが気になってよく眠れない。慢性的な睡眠不足だ。一番眠いのは朝の通勤の車中と夕食後すぐだが、運転中に眠るわけにはいかない。
▼夜はウトウトしているうちに夜中の1時を回るか、グッスリ眠っても1時には目が覚める。そこからスマホをいじったりして運がよければもう一度眠れる。5時にはめざましが鳴る。ブツ切れの2時間×二回くらいの睡眠。シーパップはこのうち前半1時までのウトウト時に装着。つけるとよく眠れない。かといってしないと無呼吸で一時間に60回くらい脳が起きるらしいので、どっちにしろよく眠れないようにできている。いつ見てもよく眠っている妻と子供たちがうらやましい。
▼お彼岸で妻が帰省して第八次(頻繁すぎて何次かわからない)合宿生活が始まった。同時に下の子も本物の部活の合宿に入ったので随分静かなスタートだ。いつもならどっちが洗濯するのしないのでワーワー喧嘩になるところなので拍子抜け。いずれにしろ上の子は全くの我関せずである。おかげで久しぶりにゆっくりの日曜日を過ごすことができた。
▼高2の下の子は、今進路を決める最中にある。基礎学力の劣る彼が進学する道は、高校がそうであったように部活の裁量枠しかない。先日の新人戦も、悔し涙を流したインターハイと同様県大会に進めなかったらしい。まだ3年のインターハイが残っているが、自分のポテンシャルを自覚するには十分だろう。幼稚園の運動会では圧倒していた幼馴染は楽々進出。父親も有名な選手だったという。
▼全国の強豪を見て目を丸くした初めての霧ヶ峰の夏合宿。やっと練習についていけるようになったと喜んでいた二回目の夏。夢見る時間は本当にあっという間に過ぎる。その彼が最近「理学療法士になる専門学校に行く」と言いだしたと妻にきいて、僕は涙が出そうになった。一年の後半からずっと、彼が伸び悩むタイムと自分の進路について考え続けてきたことが痛いほどよくわかる答えだったから。進学か就職しか頭になく、いずれにしろ「少しでもいいところに」くらいの想像力しかなかった自分が親として、人間として恥ずかしい。
▼単なる思いつきではなく、散々煩悶した末に出された結論は一見地味なものだ。その結論を、親の見栄や欲目や経済的都合で台無しにしないようにしなければ。子供は親の背中を見て育つというが、親も子供に教えられて互いに成長していくものなのかもしれない。下の子はいわゆる地アタマは悪いが、人生に真摯に向き合う姿勢にはときどきハッとさせられることが多い。
▼日曜午前の報道系バラエティのトピックは、やはり豊洲新市場盛り土問題。工事を順を追って考えてみる。まず土壌汚染対策工事でマイナス2mの土は全て撤去。さらに汚染が深部に及んでいるところは部分的に土を入れ替えた。ここで土壌汚染対策工事は完了。だから技術会議は盛り土抜きで工事の完了を確認している。逆に言えば盛り土は単なる提言にすぎず、実際の土壌汚染対策工事の正式な仕様ではなかった。仕様に入っていれば検査が通るはずがない。
▼そこから建物を建てるにあたり、これから基礎をつくる部分をいったん埋めてまた掘り返すというのは二度手間である。といって基礎以外の部分を埋め戻さないということもありえない。空洞のままでは床がもたないからだ。通常は土があるところから工事が始まるので構造物がないところは掘らずに島として残しておく。上階につながる鉄筋などを大型ダンプが乗り越えて、作ったばかりの構造物を壊さないように内側を埋めていくのは簡単な作業ではない。豊洲市場の建物は計画段階からこれらのことを考慮して設計された。これらのこととは二度手間にならず後から埋め戻さない、つまり空洞でも床が抜けない構造である。
▼専門家委員は「盛り土ありき」「盛り土が前提」と口を揃えるが、少なくとも実際の事業計画に汚染対策としての盛り土は存在しなかった。あったのは建設工事の埋め戻し土。性格は違うが土砂を搬入する行為に変わりはない。外から見ただけではわからない周囲4.5mの盛り土をもって、これを専門家会議のいう汚染対策の盛り土とする意図があったのかどうか。いずれにしろ豊洲新市場はそもそもの最初から建物下は空洞とする仕様だった。そうでないとそのような設計にならない。提言が完全に無視された、そしてそのことを知らされなかった、あるいはごまかされた格好の専門家会議の位置づけはどういうものだったのだろう。

火曜忙しくて昼の弁当が夜に回る。

金曜トリマヨにサラダ。

デザートは妻がヨガ教室で生徒にもらってきたケーキ。

土曜まだ完成していないのに工事を離れるスタッフと焼肉で打ち上げ。ホントに終わるのかな。

心の旅

いつまでも暑いが向こう一週間はずっと傘マークだ。秋雨である。こいつがやんだら本格的な秋の訪れだ。結局お彼岸まで暑いんだね。
▼2010年11月から始まった当ブログも足かけ6年。一日200万PVを誇る超人気ブロガー女史の顰に倣い「筆力だけで」読者を獲得すべく誰にも知らせてこなかったが、最近は禁を破り請われるままにアカウントを教えるようにしている。にもかかわらず今年はここまで3万PVに満たない。年平均の4万にも届かないペースだ。
▼新規の読者が増えてもアクセスが減っているということは、これまでの読者が離れているということだ。二年以上前に自由人さんが認知してくれるきっかけになった兵六のマスターやお仲間たちは今ものぞいてくれているだろうか。長く続けていると個人的なネタが枯渇し、つい時事ネタに頼ってしまう。勢い内容が新味に欠け、どうしても更新頻度が落ちてくる。
▼要するにマンネリ気味なのだが、試みに他の人気ブロガーはどうしているか気にしてみた。小学生神隠し事件で炎上したオギママブログや、妻の乳がんを告白したエビゾーブログなど。彼らは人気があるだけでなく超多忙な有名人である。にもかかわらず毎日どころか日に何度も更新しているようだ。果たしてそんなことが可能なのか。
▼けどどうも様子がおかしい。センテンスが短い。ワンフレーズごとに改行した上さらに一行ずつあけている。ブログというよりつぶやきだ。単にアメブロ上でツイートしているにすぎない。これでアクセスが青天井なら楽なものだ。僕も仕事上のメールなら、年配のカウンターパートナーが読みやすいように目いっぱいポイントあげて一行おきに書いてるけどね。
▼昨日は担当事業所内で複数現場がありテンテコマイ。久しぶりにメシを食う間もないほど忙しかった。今日も日曜出勤だったが、アサイチに現場で指示だけして抜け出し映画鑑賞。以前の僕なら間違いなく仕事を優先していただろう。忠誠を誓っても誰も褒めてはくれない。全く半世紀近く棒に振ったようなものだ。人生は短い。したいことをガマンする手はない。
▼二週連続侯孝賢監督の「戀戀風塵」

主人公のアワンとアフンは家が隣同士の幼馴染というより許嫁。アワンはデキがいいが家庭に進学させる余裕はなく台北に出て働きながら夜学に通う。追っかけでアフンも台北で洋裁の仕事につくが、アワンはアフンのことより勉強の方が大事なようだ。
▼「冬冬の夏休み」もそうだったが、僕は侯監督の代表作「非情城市」をいっしょに観に行った彼女にフラれた後、レンタルビデオの侯作品は全て借りて観たはずなのに全く記憶がない。若い二人の実家である台湾の山村の原風景、印象的な鉄道信号が変わるシーン、台北での二人の逢瀬…どこまでいってもこれらの映像を以前に見た気がしない。
▼僕はボンヤリと、この映画を主人公が兵役に行ってる間にヒロインが別の男と結婚してしまう話だと思っていた。実際その通りだったが、ラスト近くに弟からの手紙でその事実を知らされた主人公が、兵舎のベッドを叩いて泣くシーン以外見事に何一つ覚えていなかった。きっとそのシーンだけは感情移入できたのだろう。
▼アワンの兵役が決まった後の二人の受け止め方には違いが伺える。アフンはケガをした共通の友人を見舞うお粥の塩加減を間違えるほどの動揺を見せる。台北駅の見送りも辛くて最後までいられない。一方アワンはバイト先の社長や実家への義理や挨拶を優先させ、アフンを十分ケアしていない。金門島もはじめのうちアフンから一日何通も届く手紙に返事を返していないように見える。どうでもいい遭難者のエピソードを書いてみたり。
▼学校からの帰り道、電車の中で二人で勉強するシーン、後から来るアフンをアワンが台北駅に迎えに行くシーン、映画館の屋根裏で仲間と食事をするシーン、兵役が決まった仲間の送別会のシーン、アワンが仕事中、家族にお土産を買うアフンの買物につきあうシーン、アワンがアフンの洋裁屋を訪ねる格子越しの会話のシーン、熱を出したアワンをアフンが看病するシーン、腕をあげたアフンがアワンのシャツを仕立てるシーン…
▼これらのシーン(映画のほとんど大半なのだが)を僕がすっかり忘れていたように、アワンもまたアフンを失うまで彼女が自分にとってかけがえのない存在であることが見えていなかった。兵役から帰ったアワンに畑仕事をしていた祖父が言う。「苗を植える前に全然雨が降らなかったり、伸びてきたところで台風が蔓を切ってしまったりうまくいかない。サツマイモは薬用人参より難しい」
▼二人の実家のある駅に十份の文字が見える。兵役の前に台北から実家に戻るアワンが乗る列車は基隆行きだ。流れる雲が切れると緑の山肌を移動していく光の帯が見えるほど強烈な陽射し。昨年結婚20周年記念に台湾を訪れたからこそわかることも多い。1990年の春、偶然立ち読みの漫画誌の中に「非情城市」を紹介する谷口ジローのコラムを目にしたところから、侯監督と台湾を巡る僕の旅は始まり今もまだ完全に終わってはいない。願わくば僕の拙いブログも、読者にとってそのような契機でありたい。




月曜はこの夏最後のガパオライス。火曜明太クリームパスタ。水曜鶏と野菜のオーブン焼き。肉がボンレスだと子供たちの食いつきが違う。木、金ヨガで写真なし。土曜はナスとレンコンの肉炒め。そしてデザートは毎日巨峰。