喜劇、観劇

寒波の到来でいよいよ冬らしくなってきた。でも日中は相変わらずポカポカ陽気だ。夜半雨が降り出した。歳月は人を待たず。毎日がこうして音もなく過ぎてゆく。
▼オペラを観に上京して早いものでもう2週間がたつ。部活をしていた頃、よく先生が「1日休んだら3日遅れる」と言っていたが、仕事も同じで帰ってからはバタバタの日々だ。そんなこんなでなかなか感想をアップすることができなかった。全てを忘れてしまわないうちに記録しておこう。
東京二日目の朝は夫婦それぞれ。妻は師事するヨガマスターの直接指導を受けに5時台の電車で表参道の本部に。僕は前夜学生の頃世話になったマスターのバーで終電まで飲んで熟睡。オペラで熟睡しちゃいけないからね。妻が朝練から戻って再び表参道に向かう。いったい何回往復するつもり?
▼まずはコジャレたカフェでブランチ。

旬の雑貨屋を間に挟み、有名なヨガショップに開店と同時に入店して妻は地元のヨガ仲間に頼まれたウエアなどを購入。僕にはユニクロの股引にしか見えないものが一着ウン万円もする。狭い店に店員が5人はいるがペイできるはずだ。この辺のお店はヨガか英語のどちらかできれば採用だが、どちらもできない僕はお呼びじゃない。
▼それから妻が目星をつけていた千駄ヶ谷のアイスクリームショップに行くのに原宿駅まで行って随分遠回りした。明治通りを直進していれば15分は違ったはずだ。暑くてイライラする。ananが愛読書だった18の頃は、東京=原宿と思い込んでいて、暇さえあればこの辺をウロウロしていたのにすっかり土地勘を失くしている。
▼表参道を原宿駅に向かう通り向かいに南国酒家が見える。30年前の上京したてのある日、僕はここで生まれて初めてナマの芸能人を見た。店から出てきた黒柳徹子が数人の外人と談笑していた。以来八年間東京にいて、なぜか南国酒家側を歩いたことがない。原宿駅に着くと数年前鳴り物入りでオープンしたユニクロGAPになっていた。
▼アイスとジュースでリフレッシュして原宿駅に戻り、渋谷経由で一気に横浜に向かう。会場は神奈川県民ホール。終点の元町駅で降り、山下公園側に出て一歩の無駄もないはずなのに開演の15時は目前だ。東京で時刻表はいらないが、乗換にかかる10分、15分が意外にきく。学会の文化会館が先に目に入り、これと勘違いしたかと一瞬肝が冷えた。

▼なんとか開演10分前に到着。座席は3階で遠いが、オーケストラと舞台の両方が見渡せる好位置だ。ほどなく指揮者リッカルド・ムーティが登場し、すぐに有名な序曲が始まった。入りがあまりにスムーズで、僕は口パクならぬカラオケならぬエアフィルかと思ったよ。続くフィガロとスザンナのデュオも若いというか青いというか。
▼僕が聴いてきたフィガロは、主としてカール・ベーム指揮ウィーンフィルのもの。スザンナに歌姫エディト・マティスフィガロと伯爵のライバルにプライとフィッシャーディスカウの名バリトンを配す「フィガロの結婚」の決定版だが、それとは随分違う印象だ。だがすぐにそんなことはどうでもよくなってゆく。
▼外国語の歌劇は全て同様の配慮がなされているのかどうか、オペラ初体験の僕にはわからないが、舞台の両袖に電光掲示板の字幕が流れている。これによりダイジェスト版ではカットされるレチタティーボまで理解でき、筋がすんなり頭に入る。いったいオペラは音楽かお芝居か。そのどちらでもない歌劇というジャンルなのだとストンと腑に落ちる。
▼例えば導入のフィガロとスザンナの掛け合いは、二人が新婚生活を送ることになる部屋でフィガロがベッドの採寸をしているところ。ノー天気なフィガロに対し、伯爵に言い寄られているスザンナは不安で仕方がない。僕がよく口ずさむスザンナの♪ディンディン、ドンドンの擬音は「伯爵が部屋のドアをノックする」音なのだ。
▼例えば有名なアリア「恋とはどんなものかしら」を歌うケルビーノは美少年役のメゾソプラノで、アニメの男役を女性の声優がやるような感じか。そして同じくフィガロの有名なアリア「もう飛ぶまいぞこの蝶々」も、手当たり次第お屋敷の女性にちょっかいを出した罰に戦地に送られるケルビーノに対するフィガロの嘲笑なのだ。狂言回しのケルビーノはほとんど主役級である。
▼これらのことは一度でも実際に劇場でオペラを観れば、たちどころに理解できることだ。事実フィガロに興味のない妻も面白かったと言っていた。僕は30年もフィガロを聴きながら、その魅力の半分も触れていなかったのだ。それでいて飲み屋で「モーツァルトの真骨頂はオペラにある。なかでもフィガロの結婚が最高傑作だ」なんて知った風な口をきいて女の子を口説いてたと思うと舌を噛んで死にたい。
▼帰りに横浜中華街に寄って料理と観てきたばかりのオペラを反芻する。



中華街はこれでようやく三度目だが、7、8年前最初に訪れた時は店のチョイスに失敗した。下の子が頭を抱えて食べていたのが可笑しかった。学生時代は近いのに行かなかった。二度ほど来ようとしたが、なぜかたどり着けなかった。僕はホントに田舎者だと思う。田舎者が精いっぱい背伸びしてきた人生だった。でも悲劇かといえば、それもまた違う気がする。
▼帰ってきてからのウチゴハン






長くなりそうなので続きはまた次回。

経験の変容

月曜から水曜まで二泊三日で東京に遊びに行ってきたので久しぶりにブログをアップします。この間の写真は逐次インスタグラムにあげてきたが、やはり写真だけでは言い足りないこともあるので。
▼小雨降る月曜の午後、互いに午前中仕事を済ませてきた僕と妻は東京に向かう新幹線に乗り込んだ。春の訪問以来半年ぶりの上京だ。昼食は東京でのグルメの負担にならない程度に軽くサンドイッチをつまむ。


今回のメインイベントはリッカルド・ムーティ指揮ウイーン国立歌劇場来日公演「フィガロの結婚」全四幕である。火曜のマチネだが、当日泊まるだけでなく前乗りして万全を期すことにした。
▼15時ちょうどに到着してそのままホテルにチェックイン。今回のお宿は品川駅近くのグランドプリンスホテル新高輪


もう少し足を伸ばせば、地図の上では高輪、白金台と続き、数年前に宿泊したシェラトン都ホテルあたりまで徒歩圏内のはずだが、周囲を高いビルに囲まれて東京タワーすら影も形も見えない。
▼部屋に荷物を置いてさっそく行動開始。トーマス・ルフ展を見たかったのだが、あいにく前日の日曜までで会期終了。最終日の一時間前まで長蛇の列ができる盛況ぶりを伝え聞くにつけ、見逃した後悔が大きくなってゆく。仕方がないので代わりに芸大美術館に展示されているロバート・フランクを見に行く。
上野駅の公園口を出て、東京文化会館、西洋美術館を左手に見ながら国立科学博物館を左に折れると、ほどなく噴水広場が見えてくる。瞬く間に26年前の初夏の記憶が甦る。夥しい数の鳩が一斉に飛び立ち、僕の視界から彼女を連れ去っていった。僕が知っている上野はここまで。地図上ではこの先に芸大があり、さらに今はやりの谷根千へと繋がっているが、僕は歩いたことがない。それは存在しないのと同じことだ。
▼芸大が近づくにつれ変わった人が目につく。極端に痩せた人、太った人。思い切りメロンパンを頬張りながら歩く女性。展示会場のスタッフはまた普通に戻った。

ロバート・フランクといえば「アメリカンズ」。折しも米国で暴言王トランプが泡沫候補から一気に大統領まで上り詰めたばかりだ。トランプ現象とは何なのか。米国人のメンタリティーを知る一助になればと思ったのだ。
▼会場は写真撮影OK。トーマス・ルフ展もそうだったらしい。おそらくそれは写真という展示内容や作家の意向というより、時代の要請だと思う。今後は美術展といえどもそうでないと成り立たないのではないか。飲食だってWi−Fiが飛んでないと商売にならないはずだ。今は誰でもいったんスマホに納めた上で署名入りでネットに拡散しないと納得しないだろう。そうしないと何事も経験した気がしないんだな。
▼展示そのものは期待外れ。手ぶれにピンボケ、露光不足に構図もありきたり。端的に言ってヘタクソな写真だ。意図してそうしたというより、それらのことにあまり注意が払われていない感じ。要するにシロートに近い。まあ僕の写真のようなものだ。何もかもが安っぽく見える。パリジャンだかパリだかいう写真集をめくったが、アメリカンズとの差異がわからなかった。


とろがその同じ写真が、一見して写真がウマイとわかるインスタグラマーに紹介されると様になって見えるのだ。なんだか狐につままれた気分だ。今や個人的な体験の成否はスマホ写真の腕次第である。
▼芸大を出て、来た道とは反対に進み、上野公園を一周して上野駅に戻る。日脚が早く、既に真っ暗だ。芸大と並んで上野高校がある。こんな環境で青春期を送った人と、地方出の田舎者では世界の見え方が全く違うだろう。夕食はインスタグラムで紹介されていた神田のとんかつ屋


究極の口コミだと思う。
▼その後早い時間にホテルに戻り、翌朝ヨガマスターの直接指導を受けにいく妻を残してひとりマスターの店に。オープンから32年。続いてるだけで奇跡だ。先客の二人組の男の子は店にいる間中スマホを見ていた。彼らが帰って次のカップルが来るまで一時間ほど二人きりで話した。「誰知ってる?」「○×さんとか」「ああ、彼は…」当時の常連の消息はあまり芳しいものではない。「バブルだったからね」いいながら僕も内心忸怩たる思いがない訳ではないが、こうして顔を出せるだけでも幸せなのかもしれない。
長くなりそうなのでつづきは次回!

最近のスナップ

家族会以来3週間ぶりの休日である。特に忙しいとも辛いとも感じないが、朝目が覚めて休みだと悟った時の安堵感で、気が張っていることを痛感する。たまには休まないとダメだね。
▼ブログの更新が滞り気味だ。やっとこさ更新してもすぐ一週間くらいたってしまう。変化のない毎日でネタがないこともあるが、一番大きいのはスマホでインスタグラムを始めたことだろうか。ボクログの目玉であるウチゴハンも新企画の愛妻弁当シリーズもインスタグラムならその場で即アップ。当初自らに禁じていたコメを解禁してからはブログの必要性を全く感じない。日録はこれで十分。反応も早い。
▼今やパソコンに比べ、いつでもどこでも誰とでも繋がれるスマホの優位性は動かない。それはそのままブログとインスタグラムのアナロジーでもある。一時期アダルトにハマって「あだると」という小説まで出してしまった作家の高橋源一郎が、カンパニー松尾のナンパハメ撮りビデオを評して「スピード感と軽いノリがリアルな恋愛感覚により近い」というようなことをどっかで書いてたけどそんな感じ。
▼というわけで僕もインスタグラム初心者として匿名放言ブログでは学べなかったSNSのマナーを習得すべく試行錯誤しているところだ。まずは実際に会ったこともないネット上だけの関係で、知己になったつもりで軽口をたたかないこと。リアルな関係でないことの気安さは距離感を誤らせる。あくまでいいね!にはいいね!、コメにはコメ、フォローにはフォローで丁寧に対応するのが基本であることは通常の人間関係と同じである。
▼以上のことに気をつけながら最近やっと要領がわかってきたところだが、なかなか軌道にのらない。原因を一言で言うならミスマッチ。特別な力のある写真でもない限り黙っていてもフォローは増えない。ご承知の通り僕の写真は食べ物がメイン。妻がいる時は妻の手料理、いない時はラーメンやお惣菜。勢いハッシュタグからやってくるのは子供のお弁当をアップしたり献立のレシピを求める主婦や食べ歩き男子ばかり。一方僕は彼らの写真にはほとんど興味がないのである。
▼絶好の行楽日和にアサイチでたまった洗濯物と洗い物を片づける。昨夜始発で駅伝の応援に行くと言ってた下の子はもういない。宵っ張りの上の子はまだ寝ている。休みは昼過ぎまで起きてこないだろう。更新が滞っている間に妻が一周忌で帰省し、既に合宿生活中である。この間昼はこんな感じ。







夜は基本スーパーのお惣菜でおうち居酒屋。
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シメのカップ麺がやめられない。そのうち死ぬな。まあいつかは死ぬけど。
▼木曜は映画イエジー・スコリモフスキ監督の「イレブン・ミニッツ」を観る。

同監督の「アンナと過ごした四日間」を渋谷のイメージ・フォーラムに観に行った時には、まだこのミニシアターはなく、感想をはてブロの前のブログ人に書いたのだと思うと時の経過に愕然とする。まだ震災前のことだ。その頃ならまだ何もかもやり直しがきいたような気がするが、それは思い過ごしというものだろう。
▼映画はスマホやインスタグラムを始めたばかりの僕にはとてもタイムリーなものだった。ラストで防犯カメラのモニターに映る事故現場の映像が、他のいくつものモニターのひとつになり、その数がどんどん増えていき、やがてドットのように判別がつかなくなるほど小さくなっていく映像が、スマホの写真整理機能をタップしていくと、月別、年別と写真が画面内に密集してひとつひとつはどんどん小さくなっていく感じにそっくりでゾッとした。
▼妻もいないのでそのまま飲みに出る。このあたりではあまり見かけないやきとん屋に入る。地方の淋しいところは、もつ焼き屋どころか焼鳥屋すら少ないところ。あるのは総花的なチェーンの居酒屋ばかりだ。

オススメの野菜サラダと基本の串五本セットでビールと酎ハイ一杯ずつ飲んで三千円てどうよ。味は悪くなかったけどやきとん屋の単価じゃないな。
▼もう一軒お気に入りのバーで飲み直し。お気に入りと言っても一年ぶりだ。甘いシングルモルトというリクエストでマスターにクライヌリシュ、グレンギリー、トマーティン、アベラワーを選んでもらう。


そんなに詳しいわけではないので、リクエストをマスターに選んでもらうのが好きだ。いい感じで酔っ払い、ギリシャのウゾとアレキサンダーでシメて気分よく帰る。


▼翌金曜は二日酔いのまま毎年恒例の業界団体の宿泊研修会にのぞむ。15時からの研修は興味深い話ではあったが熟睡タイム。部屋に戻りひと風呂浴びて宴席へ。このホテル、窓は汚いが眺めはいい。

前日のお酒が残ってあまり飲み食いできないと思っていたが案外いけた。

宴席の料理って最初から全品一膳で用意されている。以前は刺身は干からび天ぷらは油が回り温かいお椀は冷めて散々な印象だったけど、いろんな工夫がなされている。少なくとも前菜から順番に出されて待たされるよりはマシだな。
▼十年来の会合で初めて朝食のバイキングを食べた。食べると仕事に間に合わないと思い込んでいたが余裕だった。思い込みは怖い。

あーあ、もうお昼だ。たしかに半日つぶれてしまうようならブログなんてやってられないね。もうやめようかな。

恩讐の彼方

昨日は湿りがちの肌寒い一日だった。まだ夏服だけど。うちの会社の衣更えは11月半ば。お局が冬服のオーダーをとっていたのはつい先日のことだ。温暖化の昨今はそれで正解かも。案の定今日は一転して夏日だ。気温差10度。いい加減にしてほしい。
東日本大震災津波にのまれ児童74人が命を落とした大川小の遺族による訴訟で、県と市に賠償を命じる判決が出た。争点は津波を予見できたかどうか。判決は少なくとも津波到達の7分前には予見できたとし、裏山への避難誘導が適当とした。震災4か月後に現地を訪れた僕の感想を言わせてもらえば、裏山を下から見上げれば急。でも登ってみれば案外簡単というもの。
▼大人になって卒業した小学校を訪ねると、あまりに小さくてびっくりする。大人が急に思える傾斜に子供が登れっこないというのもひとつの考えだろう。でも小学生ほど野山に分け入って遊ぶものだ。僕自身よく小学校の裏山でアケビをとって食べた。きっと大人と子供では空間の把握の仕方が違うのだろう。なんにしろ「なぜ子供が死ななければならなかったのか、その理由が知りたい」という親御さんの思いを納得させる答えなどありはしない。
▼日曜は現場が終わった後も宿題があって、会社に戻って事務処理。それもこれも締切ギリギリまでやらない自分が悪い。おかげで楽しみな真田丸は車載テレビでの鑑賞。うちに帰って風呂に入って夕飯を食べるともう22時だ。このまま日曜が終わるのは忍びなくて、家人が寝室に消えても未練タラタラ居間に残ってザッピングしていると、NHKで海外ドラマ「戦争と平和」第5話をやっていた。
▼ロシアの文豪レフ・トルストイの「戦争と平和」は「アンナ・カレーニナ」と並ぶ僕のマイフェイバリットノベルだ。僕がこの小説を読んだのはたしか大学6年の彼女にフラれた後だったか。少なくとも大学4年の時、年上の彼女を好きになった時にはまだ読んでいなかった。なぜなら酔った勢いで彼女に電話をかけドストエフスキーについて熱く語った後、彼女に「トルストイは?」ときかれ、僕は返事に窮したからだ。
▼「戦争と平和」はヘップバーン出演のもの以外に最近も映画化されていたはずだが、リトルドものっぽく思えて観なかった。このような大河小説はドラマ化には不向きだ。僕はドラマが始まってかなりたってからもずっと、まだ予告編だと思っていた。とはいえ第5話はヒロインナターシャ・ロストフが、婚約者アンドレイ公爵の不在中、色男アナトールに誘惑される前半の山場である。
▼家族の機転ですんでのところで駆け落ちは阻止されるものの、スケコマシの誘惑に落ちた自分を赦すことができず自殺を図るナターシャ。また自分以外の男に一瞬でも気をゆるした婚約者を赦すことができず、再び戦地に赴くアンドレイ。やがてアンドレイは重症を負い、看病するナターシャの腕の中で息を引き取る。このようなあらすじだけでは小説の魅力を十分に説明したとは言い難い。
トルストイの小説の魅力は、その人物描写にある。茫洋とした大男の主人公ピエール、美人で我儘なナターシャ、お人よしの父親ロストフ伯爵、繊細で気位の高いアンドレイ公爵、マットな感じの妹マリア、気難しい父親のボルコンスキー公爵、スノッブなピエールの妻エレーヌ、その兄で妻子持ちの遊び人アナトール…小説の全てのエピソードが、これら主要人物のキャラを補強していく。その歩みに乱れがない。
▼例えばナターシャがオペラでアナトールを初めて見た時に覚えた今までに感じたことのない感覚の描写は、村上春樹の小説によく出てくる性欲の理不尽さの表現よりよほどよくできている。第5話にも何が悲しいのか唐突に浴びるように酒を飲むピエールの描写があるが、理想を追求する途上の青年には往々にして見られる態度だ。本人にもわけがわからないのである。
▼長い回り道を経て最終的にナターシャとピエールは結ばれるのだが、これらの苦難や試練も、全てはここに至る道だったと思えてくる。世の中にはいろんな人がいて、いい人も悪い人もいる。せめて自分はよき方向を目指して歩いていこう。ジタバタしても仕方ないと思えるのだ。

日曜は白菜と豚肉のミルフィーユ鍋にポテサラに妻が大北海道展で買ってきたカニ入りコロッケ。コロッケがポテサラに負けて箸が進まない。

月曜は豚丼に中華スープ。最近ようやく汁物が解禁になった。我が家では7〜9月は味噌汁は休みである。

火曜は鶏とさつま芋と里芋の炒め煮。

シメに会社の女子社員に頂いた生シラスを丼にして生卵を落とす。スーパーで売っている灰色に溶けたものとは違って真っ白だ。

そして今日はミートローフに野菜サラダ。

帰省前に妻が得意のチョコチップクッキーを焼いてくれた。
▼ピエールと結婚したナターシャをトルストイはたしか乳牛のように表現していたと思う。か細かったナターシャは今やすっかり豊満で逞しい母親になったという風に。妻は最初からか細くはなかったが、さりとて今も乳牛ではない。しかし僕を含めて三人のバカの母親であることは確かだ。誰かに刺されるといけないからこの辺でやめときます。

ぼっちがマシ?

週初の大雨の後、夏に戻ったような陽気が三日続いた。昨日、すっかり陽が落ちた駐車場から家への道すがら、虫の音が急に大きくなった気がした。ようやく秋がやってきた。もう11月も目の前だ。
▼寒くなってきたところで日本シリーズが始まった。テレビの画面越しにもわかるほど雨が降っている。この時期の雨は冷たい。選手が風邪をひかないか心配だ。一雨ごとに寒くなる。誰かがケガをしないうちに終わってほしい。似たようなチームカラーだが、日ハムの方が打線に迫力がある。ジョンソンがどれだけ踏ん張れるかだな。
▼毎日よく眠れない。慢性的な睡眠不足なので、晩ごはんを食べるともう眠くて仕方ない。妻といっしょにドラマを見ていても、僕はほとんど寝ているらしい。しかし布団に入ってシーパップを装着すると眠れない。何度も書いたが、1時には目が覚めるか、寝るのをいったん諦める。そしてスマホで自分のィンスタグラムとブログに反応がないことを確かめて、そのまま過去ログを読んで3時頃もう一度寝る。
▼家族会以来、弟が気がかりでしょうがない。他人の家庭の事情を詮索することに対する常識的な遠慮を取っ払ってしまえば、彼が苦境にあることは間違いない。具体的な事例よりも彼のある態度、いろんな言い訳をして現実を見ようとしない態度が気になった。その言い訳は僕らに向けられたものではなく、自分自身を誤魔化すためのものだ。現状から抜け出せない多くの人が身につける習慣である。
▼例えば太っていることを指摘すると「無呼吸だから」という。実際無呼吸で睡眠がとれないと基礎代謝が落ちるらしい。つまり巷間言われているように、太っているから無呼吸になるのではなく、肥満と無呼吸は卵と鶏の関係にある。それなら無呼吸の治療をしているかといえば「シーパップは面倒だからやめた」という。そして「太っていること以外全ての数値は正常だからね」と続く。予め自分を納得させておいた答えが間髪入れずに返ってくる。
▼NHKラジオすっぴん金曜のゲストはコラムニストの朝井麻由美さん。テーマは「ぼっち」。一人っ子の朝井さんが、一人っ子の特徴と(ひとり)ぼっちの気楽さについて語る。人間関係にいらぬ気を使わなくてすみ、いわゆるおひとりさまも全く気にならないという。たしかに一人っ子なら、僕が今考えているような気苦労とは無縁でいられる。
▼朝井さんのことは知らなかった。お父さんは著名なコラムニストの泉麻人。バブル期に超売れっ子だった氏を知らない人はいなかった。けどやはり未読である。お父さんは僕より10才上、娘さんは20才下。もう少し年が近いか遠ければ、先輩後輩、先生と生徒、親子など想像しやすい関係もあったかもしれない。父親はたしか「街の歩き方」のような本だったが、娘の新作も「ぼっちの歩き方」らしい。
▼妻を初め、僕の周りにも意外に一人っ子は多い。僕の一人っ子に対する印象はクールでスマート。子供を持ってわかったことだが、一人が二人になれば何もかも二人分かかる、テマヒマ、端的に言ってお金が子供の人数分かかるのは当たり前のことだ。一人ならその分手をかけられる。つまり一人っ子は一人だから快適なのではなく、余裕があるから快適なのだ。
▼やはり少し前のすっぴんで子供の教育についての話があった。パーソナリティのゲンちゃんが自分の話として「僕の父は自分が好きなことができなかったから子供には好きなことをやらせたいと自由放任だった」と話した後で、今度は安藤親子の話をする。父親の奥田瑛士は二人の娘に年に一度だけ必ず「将来何になるんだ」と問いかける機会を持ってきたという。結果、姉の桃子は映画監督として、妹のサクラは女優としてブレイクしている。
▼しかし安藤姉妹のお父さんは俳優の奥田瑛士、母親は女優の安藤和津だ。二人の姉妹にとっては考えるまでもなく、そうなることが自然だった。コラムニストの朝井麻由美もしかり。書いてる中身まで似てそうだ。読んでないけど。こういうのは才能というより、子供が身を置いてきた環境の問題だ。親が意図をもって意識付けしようが放任しようが、子供にとっては親の生き方や暮らしぶりだけが、想像や聞いた話ではなく現実に経験できることなのだ。
日本シリーズはジョンソンが踏ん張って広島が先勝した。弟もまたテレビで観戦しただろうか。知らず知らず歩いてきた細く長いこの道もだいぶ下流に近づいてきたようだ。僕も弟も、もう残りの人生の方が短い。今から一発逆転も上げ潮もないことを自覚しなければならない。でも海に出るにはまだ早い。自分の人生はともかく、子供のために踏ん張らないと。それにしても、まだ子供が小さい弟には気の遠くなるような話だ。途中で折れてしまわないか、やっぱり気がかりでしょうがない。なんにしろ一人でやりきれる話じゃない。夫婦で協力しないと。





この一週間のお弁当。毎日似たような感じだが不思議に飽きない。同じものを上の子も下の子も持っていく。もし子どもたちがいい子に育っているとしたら、それは妻の食育のおかげだ。





そして今週のウチゴハン。全体においしいが、ガードマンからもらった里芋の入った昨日の煮物は特筆モノ。パートナーに恵まれた僕には想像もできないが、「ぼっち」の方が気楽というのもひとつの真実かもしれない。

月満ちて

今日は土砂降りの雨の中、午前中いっぱいずっと車を走らせていた。途中で停めて降りることができないほどの雨である。一昨日の家族会が遠い昔のようだ。
▼カーラジオはエミール・ギレリス生誕百年特集。窓を打つこの雨のように激しい連打が耳に飛び込んでくる。鍵盤か指のどちらかが傷んでしまいそうだ。ミスターベートーベンと呼ぶに相応しい激情迸る演奏である。こんな音を聴くと、やっぱりロシア人にはかなわないなと思ってしまう。こんな音は日本人には逆立ちしたって出せっこない。
▼土曜日の晩方、父の傘寿祝いに3家族10人が集まった。みんなの顔がそろうのは、2014年の正月以来約2年半ぶりのことである。今回の家族会は、3ヵ月以上も前から僕が音頭をとって計画してきたものだ。50年以上生きてきて、長男らしいことをしたのも初めてなら、親孝行らしいことをしたのも初めてのことである。
▼自分を買いかぶって転職を繰り返すうちに歳月は過ぎて、友人のはからいで現在の職を得て十余年。生活が落ち着いてきたのはようやくここ1、2年のことだ。この間、10年前に弟の奥さんと子どものお披露目を兼ねた集まりを皮切りに、父の仕切りで2、3年に一度の頻度で家族会が行われてきた。これ以上あくと途切れてしまいそうな、ギリギリの間隔である。
▼会場は僕の住む街のホテル。それ以外の場所ではうちの子どもたちが参加できない。金曜は残業して仕事をやっつけ、土曜の現場も半日で切り上げて、新幹線で出てくる両親を妻と二人で迎えに行く。弟一家は反対方面から車でくるはずだ。ちょっとした行き違いはあったものの、なんとかここまでたどりついた。
▼僕らをホテルで下すと、妻はそのまま下の子を大会の会場に迎えに回る。上の子は職場から車で直接くることになっている。子どもたちの都合で20時からにした夕食まで十分余裕があるはずが、バタバタしているうちにあっという間に過ぎていく。ひと風呂浴びて父とウエルカムドリンクで乾杯。

そうこうするうちに妻と子どもたちが到着して食事の時間である。
▼弟の子どもはまだ小さいので、20時という時間設定に奥さんは不満そうだ。

土曜日で混雑しているのか、飲み物が出てくるまでに時間がかかる。

30分が過ぎてようやく前菜と子どもの食事が出てきた。次の品が出るまでにさらに30分。

気がつくと僕は仲居に「ふざけるな」と声を荒げていた。

最後に記念撮影をして全てが終わる頃には23時。いろいろとサービスに難もあったが、父が終始機嫌がよかったのには救われた。母は相変わらずマイペースである。
▼父と弟夫婦と成人した上の子も交えて部屋に戻って少し飲むつもりだったが、時間が押して結局弟と二人だけで一時間ほど飲んだ。人のことは言えないが、弟は見るたびに太っていく。ほとんど病的なレベルだ。病気(アル中)だった学生時代は頼りきりで、社会人になってからはほとんどつきあいのない弟についてわかることはそう多くはない。弟の目には、このスーパーエキセントリックで暴君のような兄はどう映っているのだろう。
▼翌朝、部活のある下の子を送っていくはずの上の子が一番遅く朝食会場に降りてきて、妻になんでもいいから適当にとってと頼んでいる。食に執着がなく面倒臭がりの彼はバイキングが大の苦手なのだ。

朝食を終え、まず子どもたちが出てゆき、次に両親を駅まで送る僕たちがチェックアウト。弟一家はもう一度スパに入ってギリギリまでいるらしい。
▼鋼鉄のタッチがピアノソナタ8番「悲愴」から14番「月光」に移る。「月の光が水面を照らして素晴らしい眺めだった。ちょうど満月できれいだったなあ」一昨日父が言っていた景色が再び眼前に現れる。「月光」は名曲ではあるが、聴いてここまで感動したことはなかった。音が月の光となって空から降ってくるようだ。ほとんど中原中也の一つのメルヘンの世界である。
▼妻は今朝、なぜか身体がだるくて起き上がることができず、パートを休んで一日寝ていたらしい。土、日と運転し通しで、知らず知らずのうちに気が張っていたのだろう。このおもてなしが無事に終わったのも、まずは妻のおかげだ。次第に満ちていき、ついに満月を迎えるまでのこの一週間のウチゴハン

水曜照り焼きチキンにマカロニサラダにブリの塩焼き。

木曜ヨガカレー。

金曜豚の生姜焼きに卵サラダ。
▼両親を駅で見送って、妻と二人でスタバで慰労会。

日曜はきのこパスタにいろどりサラダ。

そして今日は焼き餃子に豆苗サラダ。

みんなが再び元気な顔をそろえる日に向かう第1日目という意味で、今日は我が一族の新月の日だ。

労働と余暇

土日の雨を境にすっかり秋の風情だが、たいして涼しくなった気がしないのは、実際は言うほど気温が低くなっていないのか、それとも僕が太っているからか。
▼体育の日を含むこの三連休は全国的に雨に祟られたようだが、行楽日和云々以前に僕には休みがなかった。土曜は2現場あったが比較的早く済んだ。月曜が旗日でリース屋が休みなので、若い社員に月曜の材料を用意させようと「材料積んだら終わっていいよ」と声をかけると、当然のような顔をしている。つい頭にきて「若いうちにズル覚えてどうすんだ!」と怒鳴ってしまった。
▼基本仕事が嫌いなので休みがないとイライラしていけない。気分転換に夜は高級回転寿司(語彙矛盾か。百均ではないだけで中級かも)の後、ブックカフェに回ったまでは前回エントリに書いた。ところでスマホ入手以来めっきり本を読まなくなった。以前は読書をあてていたちょっとした暇潰しがスマホにとって替わったからだ。前回購入した本にまだ手をつけぬうち、片山杜秀「見果てぬ日本」と石原千秋漱石入門」の二冊を買ってしまった。気分転換気分転換。
▼うちに帰りたくない気分だったので、マットデイモンの人気アクションシリーズ「ジェイソンボーン」を見る。妻は「FAKE」のような映画は見ない。

公開直後なのに当日席がとれるのはなぜ?そういえば連休初日にもかかわらず商業施設全体が閑散としている。秋祭りのせいだ。ボーンは最強の工作員かもしれないが、公開時期を間違えた。日本についての調査不足だ。知日派のトミーリージョーンズが出てるのに。もう宇宙人にしか見えないけど。レイトショー割引はなかったが、50歳以上は夫婦でいつでも割引みたい。これで毎月1日の映画の日も14日のTOHOの日も関係ない。年をとったもんだ。
▼日曜は雨と共に午前中いっぱいで仕事も済んで午後から妻とスタバデート。まったり読書するつもりがここでもついスマホ。使い方としては自分のブログとインスタグラムをのぞくくらい。解約しようかな。新作のピーチなんちゃらフラペチーノとゆずシトラスティー

なんで今頃ピーチ?しかも新作スタートが月曜(10/3)なんて。スタバも気がきかんなあ。日本人なめてんのか。これでウケるならなめられても仕方ないけど。iPhoneがウケるのと同じ。日本人の同調性には並々ならぬものがある。

夕食はクリームパスタに野菜サラダにチーズパン。最高。
▼月曜は半日であがるつもりが結局定時。夕食はたこ焼きの予定だったが、オフの下の子が友だちと食べるというので街中にオープンしたお好み焼きに。行ってみるとオープン記念の半額サービスで長蛇の列。

どうしようか迷っていたら妻は迷わず僕を列に並ばせH&Mに行ってしまった。順番がくると同時に戻ってきた妻と入店。たこ焼×2、お好み、ネギ焼き、焼きそばを金麦で流し込む。



大阪心斎橋のふれこみだが、確かにたこ焼きはうまかった。
電通女子社員の自殺が過労死と認定された。若くて美人なのにああもったいない。労災認定の目安になる月80時間を大幅に超える105時間の残業というが、僕の好きな元東京出向女子地方公務員ブロガーの方が100倍働いていると断言できる。「2徹で作った書類をボロカスに言われ今週も休出決定」といったツイッターの内容は、入社当時の僕そのままだ。これは彼女の側の問題で、最初のうちは誰でもそうだ。要するに仕事に必要なスキルが欠けているのである。
▼残業時間から見てみよう。法的には週休2日の週40時間を超える労働は残業である。これを建設業界に当てはめると、事実上土休祝日は存在しないから、これだけで8時間×4週で32時間。当社の場合現場8時開始の会社7時20分朝礼、現場が17時に終わって平均18時帰社だから、1日1時間半×25日=37.5時間。建設業界の感覚では全く残業してるつもりはないのに、一般には過労死ライン手前の70時間の残業になってしまう。この水準で過労死する人はまずいまい。
▼現場が残業になることもあれば、帰社後事務処理で遅くなることもある。ちょっと仕事に集中すれば20時くらいにはすぐなる。一日平均2時間残業すれば、プラス50時間の120時間。月に二回は日曜も出るからプラス16時間の136時間。これでもおそらくゼネコンの監督としては全然少ない方だ。そして事情は公務員でもバンカーでも商社マンでも似たリ寄ったりだろう。105時間なんてそれこそ新人の数字だ。
▼よく正社員が恵まれているというが、バイトやパートや非正規の倍働いてるんだから当然だ。時給に均せば同じくらいじゃないか。つまり正社員は働かない自由がなく、非正規には働く自由がないだけの話だ。それと労働も時間も定量化できないものだ。だから労働条件についての闘争は常にピントがずれたものになる。グズグズ言うよりちょっとしたヒマを見つけて楽しんだ方が早い。

連休明けの今日は豚肉と白菜のミルフィーユ鍋にオクラの豚肉巻きの豚づくし。

鍋を食べて残った汁に豆腐とキムチを入れ、卵を落としてスンドゥブチゲ風にしてみた。