寒明け

立春の昨日は久しぶりに寒気が緩んだが、今日は再び冷たい雨。今週はまた一段と冷え込むという。春はまだ遠い。
▼この寒さに子供たちも風邪をひいた。上の子はかなり前からゴホゴホやっている。帰宅はだいたい23時。ごはんを食べるとそのままソファで寝る生活では治るものも治らない。学校でインフルエンザが流行っている下の子も昨日からダウン。熱は37度台だがインフルかどうかは微妙なところ。基本が丈夫なので症状が軽いだけかもしれない。
▼下の子は今日は部活を休んだ。なによりも部活が最優先の子供たちだが、不思議と病気やケガをおしてまで無理はしない。逆に僕は無理がきく方だった。熱があっても学校に行ったり、ケガをおして試合に出たり。こういうことは表裏で、一方で仮病で休んだりサボることもあった。子供たちが気分屋の僕に似ず素直に育ってよかった。
▼相変わらずブログの更新意欲が乏しい。インスタグラムの熱狂も一時ほどでもない。自分はお弁当とウチゴハンしかアップしないくせに、他人の弁当や料理には興味が持てない。フォローしているのは主としてハイセンスな街撮り、アート系、陶器筋あたり。僕はミスマッチがひどすぎる。仕事でもなんでもそうだから、この傾向は僕の人格に根差すものだ。要するに文化的なものに憧れる田舎者だ。
▼フォロワーは増えないのにフォローばかり増えるのも癪なので定期的にフォローをはずしてバランスをとっている。実際フォローした外国の人が連投する人だったりすると、時差で寝ている間に物凄い数の写真がたまっいて本当に見たい写真までたどりつくのに苦労する。仕事中に四六時中スマホをいじれるわけでなし、現実的に目配りできるフォロー数はせいぜい100前後だろうか。
▼フォローする人に特に決まりはないが、まずビジネス系は×。次に基本的にSNSなので、一定期間フォローして全く反応がない人も×。交流を望まないなら、ただ撮って眺めていればいい。わざわざ共有空間にアップする必要はない。ただし外人はこの限りではない。言葉の関係から僕の方からもアプローチしてないので。
▼フォローやいいね!はともかく、コメを無視する人はまずいない。途中から無視されるようになったとしたら、それはこちらの側に問題があると思うべし。馴れ馴れしいか、しつこいか、まあその辺だ。あとはできるならテーマに偏りがなく全体にその人が顕れるものがいい。僕も今のところほぼフードネタだが、いずれは偏りのないものにしていきたい。とにかく食べ物でなく、建物でなく、自己言及しない。そういう人に私はなりたい。
▼ブログの方はうれしい誤算があった。長らく更新が途絶えていたブロガーがブログを再開したのだ。最後のブログの内容からこのまま終わってもおかしくないと思っていたので喜びもひとしおだ。まず彼女のブログを再び読めること。それにより彼女の誠実な人柄にブログを通して触れることができること。そして彼女の無事を、彼女がまがりなりにもブログを再開しようと思えるまでに回復したことを確認できたことがうれしい。変態か!
▼最新エントリは佐渡紀行。僕も大学三年の秋に佐渡に渡ったことがある。彼女はアクティブにレンタカーを借りていろんな場所を訪れているが、失恋傷心旅行の僕に外界に興味を抱く心の余裕はなかった。正直覚えていることといえば、殺風景な海岸を歩いたこと、北国行に備えて携行した上着が暑くて荷物になったことくらいだ。
佐渡から本土に戻ると、そのまま日本海側を北上した。日本一の米どころである。見渡す限りに広がる金色の稲穂がトルストイの描く穀倉地帯の描写と重なり妙に納得した記憶がある。同時に刈り入れの済んだ田んぼに落胆した気もする。青森に差し掛かるあたりでは延々連なるリンゴ畑に感嘆したのだから、時期的にみておそらく後者が正しい。人の記憶は当てにならないものだ。
▼それから本州最北端の下北半島まで行った。砂浜でも護岸でもない薄野がそのまま海に落ちるような淋しい海岸線を初めてみた。厚い雲間から一筋光が洩れている。静かで波の穏やかな入り江の町に二泊した。二階建て以上の建物はなかった。自衛隊員募集の看板より大きな掲示物は見当たらない。イタコで有名な恐山にも足をのばした。何があるわけでもない。復活した彼女のブログで知ったが佐渡にも賽の河原があるらしい。
▼明けない夜はない。今は寒くても必ず春はやってくる。今はどんなに悲しくて、涙もかれはてて、もう二度と笑顔にはなれそうもないけど、そんな時代もあったねといつか話せる日がくるわ。あんな時代もあったねときっと笑って話せるわ。(Ⓒ中島みゆき「時代」)そう彼女に、そして自分自身に歌ってあげたい。変態だ。
▼恒例のウチゴハン。インスタの世界では木曜は木造日のようだが、我が家では木曜はカレーの日


続いて金曜は先週が豚肉のケチャップ炒め、今週はトリマヨ。妻は木、金連続でヨガ教室の講師をしているが、二日連続でカレーでないだけでもエライと思う。


続いて土曜日は先週が鱒のソテーに豚しゃぶサラダに中華スープ。今週は豚丼全部乗せ。


先週の日曜は妻と二人で久しぶりにオーソドックスなお好み焼きを食べた。めんどくさいけど自分で焼いた方が楽しい。物事はすべからくそうだ。ものぐさは人生の大半を損しているようなものだ。

月曜はキッシュ。「焼けるよ」のメールと同時に消防士なみのスピードで会社を出たのに既に下の子にかじられていた。



給料日の火曜は正月以来の完オフ。昼間成人病の月イチ検診、夜はしゃぶしゃぶ食い放題。サイドメニューも食べまくって病院の意味全くなし。

月が替わって朔日は映画の日。仕事をフライング気味にあがって懸案の「この世界の片隅に」を観にいく。エンドロールにこの映画のクラウドファンディングの出資者の名前が完全に流れ終わるまで、誰ひとり席を立つ人はいなかった。身じろぎひとつ、しわぶきひとつ聞こえなかった。こんなことは初めてだ。そんな映画だった。

その晩はブリ大根に大根葉炒め、カリブロサラダ、逆キャベツロール。

三日の節分は下の子はまだ喜ぶだろうと久しぶりにお菓子を買って帰るともう寝ていた。妻もヨガで不在とはいえ、ちょっと残業しただけなのに。うちの子たちは誰もいないとすぐに寝てしまう。きっとおもしろくないのだろう。


今日は二週連続のランチデート。日曜の昼くらいいいでしょう。先週は昼休みに抜け出したのだが、今日は雨が強くなったので午後からの作業を中止した。妻はかき揚げ丼、僕はカキ丼。実は僕、先週もカキフライを食べていた。

子供の頃牡蠣にあたってひどい目にあって以来、大人になるまで怖くて口にしなかったのが嘘みたいだ。

そして晩ごはんは明太スパにピザにカリブロサラダ。
▼最後にこの間のお弁当。







僕らはこの世界の片隅に生きている。それ以上でも以下でもない。卑屈になる必要はない。そのことにもっと誇りをもっていい。

寒中

この時期らしい厳しい冷え込みが続いている。正月が穏やかだっただけにギャップに苦しむ。この寒さも明日までの予報。もう少しの辛抱だ。
大寒の1月20日、米大統領就任式が行われた。

ここ三代続けて二期八年の任期を満了しているので、オバマ、ブッシュ、クリントンのたった三人で四半世紀が過ぎたことになる。政策の継続性という点からはいいことだとか、いろいろ感想はあるかもしれないが、僕は単純にあっという間だと思った。そんなに時間がたった気がしないのに、確実に24年の歳月が過ぎている。
▼過去ログにも書いたが、僕は父ブッシュの就任式以来なぜか日本時間で深夜になるこの米大統領就任式を見るのが習慣になってしまった。

吐く息も白い身を切るような極寒の中での宣誓式こそ、新しい政権の清新な船出に相応しい。その意味で今回の就任式は僕のイメージする就任式とは違った。これが僕の感想の全てだ。

▼さて、その日は妻がヨガ教室の日で、相変わらずテレビは面白くなく、団塊スタイルを見ていたのだが、風吹ジュンには本当に癒される。

それはともかくその日は喫茶店特集でいろんな喫茶店が紹介されいた。その中になんと前回エントリに書いたジャズ喫茶が出てきたではないか。こんな偶然てあるのだろうか。いろいろ嫌なこともあるけれど、ささやかな喜びもあるのが人生だ。
▼先々週の年明け最初のピークを乗り越えて先週土日は楽勝モード。とりあえず作業員がヒトケタなら余裕である。日曜は久々にゆっくり朝食をとって現場はお任せで午前中事務処理。人と会わないで済むだけで全くストレスがない。逆にいえばいかに自動化機械化されようとも、仕事の肝はやはり対人関係にあるといえる。
▼ヨガの朝練から戻った妻と午後から新年のお参り。松の内も過ぎてかなりたつのに結構な人出である。

実家で初詣は済ませているが、妻がこちらでも行っておきたいという。僕にはない美徳だ。何度も書くが、こういうことは迷信というより心構えの問題である。いってみれば大統領就任式に参加する米国民のようなものだ。家族の無病息災のためにできることはなんでもやっておきたいわけだ。僕も妻の隣で一年の無事を祈った。

▼さて、恒例のウチゴハンであるが、今クールは寒いこともあり鍋が多かった。先々週月曜のチキングリルをのぞけば、あとはミネストローネ→シチュー鍋→カレー→シチュー→トマト鍋→クリームパスタ→豆乳鍋→カレー鍋→クラムチャウダーと、鍋またはカレーまたはシチューのバリエーション。分類学上はほぼ同類に属する。妻に言わせると「味噌汁が毎日出ても不思議に思わないでしょ」とのこと。










▼続いてお弁当。









こうしてみるとゴハンとオカズの右左と光の具合以外に違いを探すのが難しいくらいだ。手抜きののっけ弁が逆に変化を与えてくれている。しかしこんなのは全然幸せな方なのだ。世の中にはいろんな人がいる。僕はホントに中途半端だ。つきぬけないと。

センチメンタルな旅、冬の旅

ラニーニャなのに暖冬だなんてほざいてたらとんでもない寒波がやってきた。集合住宅の我が家では今朝蛇口をひねっても水が出なかった。何年かに一度あるかないかの事態だ。ただ寒いだけでなく長くてしぶとい。
▼この土日は今シーズンの工事のピークで疲労困憊。年末に二度ほど山があって今週が年明け最初の山。寒さのピークと重なって最悪のコンデションながらなんとか乗り切った。こんなことが年度末まで毎週末あるかと思うと今からおそろしい。毎年のことながら因果な商売だ。心底春が待ち遠しい。早く暖かくならないかな。
▼インスタグラムを始めて約半年。実感はないが生活態度はかなり変わったと思う。新聞をやめ、本を全く読まなくなり、ブログの更新も間遠になった。三日に一度が一週間に一度、十日に一度となり、ついには二週間に一度になってしまった。この間インスタグラムは昼と夜の最低二回はアップしている。とりあえず例によって正月休み明けからこちらの食生活を振り返っておこう。
▼妻が戻ってきて合宿生活がようやく日常生活に戻った。

帰宅一日目の夜は鍋だったが生憎の残業。子供らに食い荒らされて肉は残っていなかった。野菜とうどん玉を足して一人さみしく食べる。

二日目は早くも妻がヨガ教室でカレー。妻の実家から持ち帰ったローストビーフがうまい。

三日目は地元名産の明太子を使った明太クリームパスタ。絶品。

四日目は駅伝で頑張った下の子の好物鶏のさっぱり煮に菜の花の肉巻き。菜の花は初物だ。

五日目はたこ焼きパーティー。下の子とケンカしながら食べる。
六日目は再び鍋。前回のリベンジで直帰した。妻がいるだけで食卓が明るい。

七日目は妻が得意のキッシュを焼くというのでまた直帰。仕事が進まない。

八日目は早くも二巡目のヨガカレー。下の子は妻がいないと20時には寝てしまう。

九日目は根菜の炒め煮にほうれん草のおひたし。妻の実家から持ち帰った蒲鉾がいちいちうまい。ちーかまなんて普段は見向きもしないのに下の子と取り合いになる。

そして寒さの底の昨夜はみぞれ鍋。あったまった。
▼みぞれ鍋には二つほど想い出がある。ひとつは学生の頃、例によってシモキタのマスターの店の前の路上で行われた鍋パーティ。それがみぞれ鍋だった。今思えばよく通報されなかったと思う。文字通り道の真ん中を占拠して行われた。当時の下北沢は今よりずっと賑やかだったが、今よりずっとおおらかだったのかもしれない。
▼常連ばかり地べたに座り込んで日本酒をガブ飲みし、僕はすぐに記憶が飛んだ。覚えているのは当時はまだ意識する前の最愛の彼女が店から降りてきて、誰かに呼ばれたのに僕の隣がいいと言って横に座ったこと。モヒカンのパンク野郎が僕に北朝鮮でライブしてきた話をしてくれたことくらいだろうか。
▼二つ目は都落ちして地元で塾の講師をしていた頃のこと。親友と韓国旅行に行ったときに釜山の海雲台の市場で食べた海鮮鍋。僕も彼も鍋いっぱいに盛られた白い雪の山を大根おろしと信じて疑わなかったが、一口食べてそれがニンニクをすったものだと悟ったときは本当にカルチャーショックだった。結構ペロッと食べたけど。
▼そのシモキタのマスターと店外デート(ホモじゃないけど)で待ち合わせた新宿のジャズ喫茶を、先日勝手にフォローしているインスタグラマーの写真の中に見つけた。店の名はDUG。言わずと知れたジャズ喫茶の老舗である。マスターが僕につきあってくれたのは覚えている限りで三度。一度目は学生時代僕がバイトしている喫茶店を訪ねてくれた時。二度目はエロ本編集時代いっしょにマドンナの店に飲みに行った時。三度目はマスターが法事で帰省した際、広島で落ち合って飲んだ時だ。
▼ネットでDUGのHPをみると1961年に前身のDIGがオープンしている。このとき僕はまだ生まれていない。次に新宿紀伊国屋裏の地下に店を移したのが1967年。このとき僕はまだ生まれたばかり。そして1977年、靖国通り沿いの地上3階地下1階のビルでnewDUGがオープンし、1987年にモアビル4階に移転している。
▼記憶の中の待ち合わせは1階だったから、1987年までのことになり時系列的には学生時代のことになるが、僕のバイト姿を見るのに僕と待ち合わせしていくのは腑に落ちない。するとDUGではなかったのだろうか。しかしどうせなら有名なところに行こうと約束し、偶然アラーキーが来ていたというような記憶も微かに残っているから、DUGである可能性はかなり高い。埋もれた記憶をたぐるこうした同定行為はある種の謎解きのようで本当に楽しい。
▼マスターとの待ち合わせ場所を探すために東京の老舗ジャズ喫茶を検索した際、白山の「映画館」というジャズ喫茶がヒットした。最愛の彼女との最後のデートで入った喫茶店だ。時は1990年。開店から14年目のことになる。ブログ等の写真で見る限り、外観や店内の雰囲気は記憶と一致する。その時は知らなかったが、当時から、そして現在も老舗ジャズ喫茶として有名なようだ。
▼別れる間際のカップルの話が弾むはずがない。お通夜のような雰囲気を見かねたのか、注文の品をもってきたママがそのまま僕らのテーブルに腰かけて話し始めた。「男は無口なくらいがいいのよ」援護射撃してくれるママに彼女は一言「そうかしら?」と答えた。そのときビールのつまみにたのんだ品が、確かキャベツ炒めのようなものだったと思ったが、食べログの口コミの中にキャベツ炒めの文字を発見した時は心が動いた。
▼その時のママがどなたか知りたくて、そのままネットで店のオーナーを調べてみた。現在のオーナーは結構有名な歌人かなにかのようだが、開店当初のオーナーは若い頃ドキュメンタリーを撮っていたとかで、「映画館」という店名はそこからきているらしい。ママは当時もかなり年配だったから、マスターの奥さんだったかもしれない。なにしろ四半世紀以上前のことだ。
▼あの日と同じように「映画館」を出て、ストリートビュー白山神社に向かう。記憶では随分長い階段だったような気がするが、なだらかな坂道に続く階段は思いのほか小さなものだった。しかし僕が彼女に引導を渡されたのは確かに白山神社だということを確信した。地下鉄白山駅により近い心光寺ではない。「映画館」との位置関係から白山神社以外ありえない。今回そのことがわかってよかった。
▼この間のお弁当。








2016から2017にかけて

晦日から今日まで実家に帰省していた。とても暖かな三が日だった。この穏やかな天気が今年一年の象徴であることを願うばかりだ。ラニーニャの年は猛暑厳冬になるというが、この冬は今のところ雨が多く暖冬傾向にある。やはり温暖化の影響だろうか。
▼写真は都度インスタグラムにアップしているので、ブログは二番煎じの感が拭えず、なかなかモチベーションが上がらないが、気力の続く限りなんとか更新しようと思う。まずは一足先に妻が帰省した後の昼食事情についてランキング形式で発表しよう。一番多かったのは担当事業所近くの中華店で計7回。近いのでつい入ってしまう。







次点は会社と事業所の中間地点にある製麺所直営うどん店の計3回。どうしても仕事のルート上にある店が中心になる。



三位はやはり担当事業所近くのカツ丼チェーンの2回。


そして最後に自宅近くの牛丼チェーンが1回。これはサボって早引きした時のものだ。

18日から30日まで実に13回の外食の内訳をみると、いつ脳の血管が切れてもおかしくないラインナップだ。今回は弁当を一度も食べなかったのが特徴と言える。
▼次に朝食。



過去の合宿がパン+牛乳+ヨーグルトの定型だったのに対し、今回の特徴はレンジでごはんを活用した朝カレーが多かったこと。またカップラーメンにモチを入れたナンチャッテ雑煮も多用した。これもかなり血糖値があがりそうな食事ではある。パン食は実に大晦日の帰省前一度きりであった。

▼最後に夕食であるが、こちらは昼食とは逆に外食が少なく、ほとんどが惣菜を買い込んでのおうち居酒屋となった。





また初期においては妻が作り置いていった豚汁に過ってモツをぶち込んでしまい、やっつけるのにたいへん苦労した。

また時折たこ焼き日やチゲ鍋日を挿入することで変化をつけた。


またおうち居酒屋はハシゴ酒になることが多く、初期においては赤提灯で焼きスルメに酎ハイというパターンだったが、クリスマス以降バーでシングルモルトを覚えてからは深酒する日が多くなった。あくまでおうちの中の話である。


子どもたちとの恒例の最後の晩餐は、一昨年あたりから三人揃っての予定が合わなくなってきた。今回も28日に下の子とラーメン、29日に上の子とトンカツとバラバラの会食になった。


▼今年(もう昨年か)は晦日が仕事納めとなり、例によって仕事で一番お世話になっている沖縄の職人集団との忘年会で〆た。僕も50を過ぎて、この先何十年も仕事ができるわけじゃない。どうせなら気の合う仲間といっしょに大過なく残りの仕事人生を終わりたいと思うのが人情だ。

▼大晦日は朝からたまった洗濯物を片づけ、余裕をもって帰省の途につく。今こうしてブログを書いていると、過ぎてしまえばあっという間だが列車を待つあの瞬間が一番幸福なひとときだったのはまちがいない。

今回は行きも帰りも混雑のピーク中のピークだったが、新幹線は乗り方によっては全然苦労せずにすむ。これも学生時代から繁忙期に何度も往復してきた経験によって培われたものだ。
▼早い時間に到着して昼間から親友と居酒屋でダダ飲み。冷酒を何杯も飲んで最後は年越しそばでシメた。我ながらこの年になってお酒が強くなった気がする。



妻の実家に帰って紅白を見るも全然おもしろくない。歌の力だの聴かせるだの言ってる割にくだらん演出が多すぎる。ほんとにこんなんでいいのだろうか。それに今回は誰がどう見ても白の勝ちだろ。
▼お義父さんが亡くなってから二回目のお正月。今年のおせちはセブンから生協のものに変わり随分小ぶりで上品になった。


お義母さんの妹から毎年送られてきた牡蠣もやめたらしい。お雑煮がかしわになっていた。

妻も下の子もお義母さんが変わった変わった言うが、僕はそこまで気にならなかった。それよりも雑煮の具やおせちの変化が心に残った。
▼暮れから刺身のようなものばかりで飽き飽きしていたので、昼は初詣の帰りにちゃんぽんを食す。

それからもう一度気合を入れ直して夜の部にのぞむも、すき焼きはついに肉まではどうしても入らなかった。


▼明けて正月二日は僕の実家に挨拶。

ずっと大晦日は妻の実家、元旦に僕の実家でおせちを囲む習わしだったが、数年前から両親は温泉宿で年を越すようになった。変化は少しずつだが不可逆的なものだ。今年は下の子の顔を見せられてよかった。5人で近くのステーキ店で会食後戻って歓談。


▼三日の朝、最後のお雑煮とおせちの残りと四国のかまぼこを食べて早くも帰りの新幹線に乗る。明日からまた仕事だ。いい骨休みになった。

さらに十日

今週は暖かく穏やかな日が続いている。もう一雨降って、今度こそ本格的な真冬の到来となるだろう。
▼何もかもが駆け足で過ぎてゆく。インスタグラムで写真をあげてしまうとわざわざブログを書く理由がない。インスタグラムのいいところは手軽なところ。写真が主でコメントは従。添え物は1フレーズで十分。長くても3センテンスまで。文章は長くなればなるほど余計なことを考える。短ければ暗くなる前に終われる。俳句と短歌の関係に似ている。短歌に哀歌が多く、逆に俳句に見当たらないのは形式の問題だと思う。
▼長らく食べたい飲みたいの生理的欲求だけだった僕は、結婚することで安全欲求と社会的欲求を満たし、今ようやくマズローのいう四番目の承認欲求をSNSで満たそうとしている。ちょっと20年くらい遅い感じだ。最後の自己実現までいかないうちに人生終わりそう。ともあれなにか新しい着想を得るまでは、当ブログも過去picの総集編のような形になると思うのでご容赦願いたい。
▼まずは食べたい飲みたいの生理的欲求に従ってうちごはんの紹介から。

先週は寒かったので今冬初鍋に一同興奮。


シメのうどんにシメのシメの雑炊と二段締め。

続いて仲間の東北土産のせんべい汁に挑戦。

歯ごたえがなくなる前に食べた方がいいと思って「まだ早いな」を繰り返すうち、これは最後までつけておいた方がダシを吸っておいしいようにできているものだとなくなってから気づいた。シメは雑炊のみ。

そして最後にもう一度、先週だけで三回鍋したのだが、そのときは誰もシメをしようと言い出さなかった。鍋以外のうちごはんは以下の通り。


▼金曜は会社の忘年会。

社長が冒頭の挨拶で百年カレンダーをもってきて「目標のない人生が一番つまらない。これを会社に張っておくのでみんなここに書き入れるように」というのはいい話だったが、一番印象的だったのは「この時点(カレンダーの最後を指して)で生きている人はこの中に一人もいません」だった。

二次会は同僚と大竹しのぶママのバーに。最近、といっても一年以上たつが、ちょっと見かけないほど可愛いアルバイトが入ったので楽しみ。なるべく意識しないようにしているつもりが、考えると彼女のいる日しか行ってないなあ。気づけば若い人が随分増えた今年の忘年会で、初めて今後の(社内での)身の処し方を考えてしまった。横で飲んでる同僚も口にこそ出さないが、たぶん同じことを考えていたと思う。
▼最後にお弁当タイム。




早くも日曜に妻が帰省したので今後は全て外食の写真となります。

師走、この十日

このところ暖かい日が続いていたが、今日は冬らしく冷え込んだ。風さえ強くなければ、これくらい寒い方が凛として気持ちいい。だいぶ太ったな。
▼ブログの更新をしないうちに瞬く間に日が過ぎてゆく。ブログに掲載している写真は基本的に撮った端からインスタグラムにアップしている。インスタグラムの使い方は人それぞれだが、僕の場合は対象が主にウチゴハンなので日録である。日録とは絵日記のことだ。小学生も宿題の絵日記がインスタグラムなら随分楽だろう。意味合いは同じだからそれでいいんじゃないか。それではダメというなら、絵日記の目的は記録ではなく修業か苦行かなんらかの訓練ということになる。話が逸れた。
▼2010年11月にブログを再開してはや6年。初年度こそ2万アクセスだったものの、ほぼ年4万アクセスをキープしてきたが、とうとう今年は4万を割り込んだ。友人知人に公開しての数字に、読者は確実に減少傾向にあると嘆いていたが、おそらく原因はネットやSNSそのものの環境変化にある。端的にいってブログ利用者の絶対数が減っているのだ。子供の宿題かお達者クラブでもない限り誰も絵日記や絵手紙を書かないように、パソコンからスマホへのハード環境の変化が、ブログやフェイスブックからツイッターやインスタグラムへの移行を不可遡なものにしている。
▼さてそんな話は置いといて、前回エントリーから今日までに撮りためた写真を駆け足で振り返っておこう。同じ対象で複数枚あるものはなるべくインスタと被らないようにしたい。

土曜は快晴の中ラグビー社会人リーグ観戦。僕もラグビーはけして嫌いではないが、感覚的には選挙運動に駆り出されたサクラの気分を否定できない。大学ラグビーも実力的には長らく帝京の後塵を拝している早慶早明戦のカードの方が人気だけは断然上である。スポーツが本当に強くなるには、実力的に一番のカードが好まれるようにならなければならない。日本人は一度、組織の論理から抜け出さないと真の人生は永遠に訪れないだろう。って僕もだけど。
▼夜は下の子が修学旅行でいないうちに妻とデート。シネコンで映画を観る前に腹ごなし。


ショッピングモールのフードコートで今週二度目の韓国料理は僕が石焼ビビンバとスンドゥブチゲのセット。妻が牡蠣入りチゲのセット。この季節イチオシはどうしたって牡蠣だ。いつも妻に先を越される。
▼映画はトム・クルーズの「ジャック・リーチャー」

軍の特殊部隊にいた凄腕の主人公が軍中枢部の悪役に罠を掛けられ絶対絶命の危機的状況から大逆転劇を演ずるというお決まりのパターン。映画が始まってすぐ「ついこないだも似たようなの見たよね」と妻に耳打ちしようとしたがどうしても思い出せない。ついこないだなのに。すると映画が終わってすぐ妻が僕にきく「こないだ似たようなの見たけどなんだっけ?」しかしいくら二人で考えてもタイトルどころか出演者すらどうしても出てこないのであった。そんな映画だ。
▼翌日曜も企業スポーツの、今度はサッカーの応援。

仕事の合間を縫って着替えて行くので結構大変。お昼を食べる暇がなく競技場の売店でたこ焼きを買って頬張る。月曜締切の宿題が多く再び会社に戻り事務処理に勤しんでいると、下の子を迎えに行った妻から「バス遅れるみたいだから待つ間どっかで食事しない?」との電話。待ち合わせの駅前の駐車場に入れると目の前のたこ焼き屋に入ろうという。

オールフリー飲んだのも初めてなら一日に二度たこ焼き食べたのも初めてだ。いくつになっても驚かされることが多い。
▼日曜の予定が翌日に回った月曜は帆立のパスタに下請からのお歳暮のピザ。久しぶりに納得の夕食。


翌火曜は大根と海老芋のシチューにブリの塩焼きに卵サラダ。小針は前日のパスタソースのあまりで作ったペンネグラタン。
▼水曜は友人が中東から帰国するというので急遽大阪へ。下の子がまだ小学生の時以来だからかれこれ5年ぶりだ。先乗りして天満在住の共通の友人と駅前のもつ焼き屋で到着を待つ。


学生の頃はこの梅割を飲んでよく意識をなくしたものだ。改札から出てきた彼はまるで昨日見た時のように全く変わっていなかった。それはあちらの僕に対する感想も同じらしい。いつまでたっても子供。半世紀も生きておいて全く困ったものだ。
▼友人宅に場所を移し奥さまの手料理で宴会。

メインのブリしゃぶにタイとアジの刺身、里芋の煮っ転がしにほうれん草のおひたし。たしかにこんな料理は日本でしか食べられないだろう。大量の料理をペロリ。奥さまと二人で芋焼酎の一升瓶を半分はあけたはずだけど翌日全然残らなかった。何を話したわけでもないが楽しかった。楽しいお酒は残らないから不思議だ。

宴の後は男三人で銭湯へ。これがホントの裸のつきあい。
▼再び日常に戻るはずが翌木曜は業界団体の忘年会。

割烹の一次会からいつものメンツでラウンジ二軒ハシゴして2時。僕もまだ若いね。

ようやく本当に日常に戻った昨日はチキンゴマバーグに大根の煮物。最近妻はなぜか鶏以外のミンチを買う気になれないらしい。そしてはっきりした理由はないらしい。彼女のこういう気まぐれには困ったものだ。

そして今日は今週二度目(三食目)のたこ焼き。本場大阪で食べなくてよかったのか悪かったのか…。
▼この間のお弁当。







妻は僕がインスタグラムにお弁当をアップすることが気に入らないらしい。いわく「あのね、インスタグラムってもっとスタイリッシュなツールなの。悪いけどあんたみたいにベタッとしたもんじゃないの。自分が本当にいいなと思ったものだけをアップして見た人がそれに共感するものなの。あんたみたいに日常を垂れ流すものじゃないんよ!」「弁当とか料理あげてる人もいるよ」「自分が作ってるならいいよ。わたしはイヤなの!」とりつく島もない。でも僕(のインスタやブログ)から妻の料理をとったらいったい何が残るというのか…

それぞれの物語

今日はあたたかな一日だった。上の子は仕事で毎晩午前様。下の子は修学旅行。子供たちがいないとなんとなくサミシイ。もう12月。師走なんてあっという間だ。一年もあっという間。そして人生も。
▼今週はいろんなことがあった。仕事で久しぶりに肝が冷えた。今期はヒマな上に、早くからできる社員が応援にきたので油断したのかもしれない。試行錯誤の末ひとつの仕事に慣れて、やっとルーチンになった途端に落とし穴が待っているものだ。仕事の失敗は自分ひとり責任をとれば済む話ではない。会社なんか簡単にとんでしまう。まだ完全に解決したわけではないので気が気ではない。
▼そんなこんなで先週は残業続きだったが、膠着状態の金曜は早めにあがって映画を観に行った。深田晃司監督「淵に立つ」

「ほとりの朔子」の時もそうだったが、かなり倫理的な映画だった。倫理的なテーマを映像化している。まあそれが映画監督の仕事だが。優れた作品とは「淵に立つ」の淵、「ほとりの朔子」のほとりまで、観客を誘うものでなければならない。
▼さて、東京紀行の続きである。東京三日目はホテルを9時にチェックアウトして品川駅の港南側にカフェを探す。通勤時間帯の品川駅は物凄い人だ。人の流れに乗って運ばれていくと、ガラス張りの高層ビルに吸い込まれていく。大きな会社だけでもNTTとソニーがあった。このビルにこれだけの人の席があるのに僕の席がないのは当然としても、これだけの人のサラリーを払い、これだけの高層ビルを建ててなお利益が出るなんて途方もないことだ。ある種のシステムができあがってないととても無理な話だ。
▼お目当てのカフェがイベント中(またヨガだよ)だったので、引き返して駅ナカのカフェに入る。

店員に「お好きなパンをとって最後にドリンクを」と言われ、その通りにして支払いを済ませた後で別カウンターのモーニングセットに気づく。500円平均のパン2個とドリンクで1500円だったが、セットだと1000円くらいになる感じ。しつこく悔やんでいると妻が機嫌を損ねる。「ケチ!」と言われた気がして顔をあげると、隣のアジア系の外人が彼氏の「ケンジ」を呼ぶ声だった。小せえ男だなあ。
▼せっかくなので町田の版画美術館で開催されているホックニー展まで足を伸ばす。都内の美術イベントを検索してチョイスしたつもりが、町田はかなり遠い。八王子というか相模原、つまり神奈川県と言った方がいい。それが小田急線の特急に乗れば割とすぐだからまた勘違いしてしまう。駅を降りてグーグルの指示通り歩く。徒歩10分と出ていれば15分、15分なら20分と、どこへ行くにも必ず5分は余計にかかる。探しながら時々立ち止まるからかな。グーグルを使う人の歩き方はむしろこちらの方が近いだろう。
▼キャッチコピーは「それはポップアートから始まった」

僕はホックニーポップアートの作家ではないと思う。少なくともウォーホルやリキテンスタインとは違う。いろんなクレジットに「明るい色彩」と書いてあるけど、僕はそうは思わない。無機的で冷たい、どこか悲しげな、その意味では暗い色調だと思う。少なくとも受け取る印象はそうだ。ホックニーの代表作であるプールサイドの水色が寒色だからだろうか。
▼僕がホックニーを知ったのは、四半世紀以上も前、年上の建築家の彼女と新宿紀伊国屋書店の美術コーナーで待ち合わせた時のことだ。デートはその一度きりで、当然のことながら僕はすぐにフラれた。その記憶が、ホックニーについての僕の印象のベースになっているのかもしれない。ホックニーがまだ存命で、父と同い年だったのは少し意外だった。知った時点で既に故人だと思っていたが、同時に父の方がずっと年のような気もする。
▼展示は東京都現代美術館所収のものが多く、点数もあり充実したものだった。初期のエッチングのシリーズは初めて目にしたが、とても気に入った。グリム童話の「一度もゾッとしたことがない男が怖がることを習いに旅に出る話」をモチーフにした作品の逸話が上の子そのままで笑ってしまった。母親をフロベールの「純な心」の主人公フェリシテに重ねた連作もよかった。母親の朴訥な人柄がそのまま形になったような絵だった。平日の昼間ということもあってギャラリーは少なかったが、それでも若くて自意識の強そうな女性が見られた。
▼晩秋の公園を抜けて帰途につく。

カボチャのようなスカートをはいた▽のシルエットの女の子とすれ違う。彼女もホックニーを観に行くに違いない。見る絵は同じでも、彼女と僕の感想は同じではないだろう。それがその人の背景というものだ。彼女がこれまで歩いてきた人生の何が、ここに足を向けさせたのだろう。
井の頭線に乗り換えて吉祥寺で降り、東京ラストランチはカレーでシメる。

一日目の上野の杜、二日目のフィガロの結婚、そして三日目のホックニー展…結局のところ僕は30年以上も同じところをぐるぐる回っているわけだ。それが僕のここに至る物語なのだ。真田丸の見過ぎだな。この間のウチゴハン



昨日は子供らがいないので妻と近所の韓国食堂。